第3話 それぞれの失敗

 魚津の浜焼きには開店前から人が並んでいた。テーブルというか網焼きの台は8台。日香里たちは7番目に並んだから何とかギリギリセーフだ。9番目からは前の人が食べ終わるのを待たなければならない。でも、みんなビールやら日本酒やらを飲みながらゆっくりするから、実際のところ9番以降は絶望的なのだ。

 しかも浜焼きは午前中だけ。8番目までに入れなかった人々は諦めるか、別の場所の浜焼きを目指すしかない。(実は案外あちこちで浜焼きはやっている)


 テーブルを確保したら、目当ての魚介類を購入する。基本のセットは必ず買わなければならない決まりだが、その他、オプションで好きなものを買い足す。アルコールを含み飲み物も豊富だ。値段も良心的。それをそれぞれの炭火の網焼き台で焼きながら食べる。美味しい楽しい時間が待っている。

 季節によってはこれに茹でたての松葉ガニも加わる。広い場所に網焼きのテーブルが並び、少し離れた壁際に魚介や飲み物を売るカウンターが設けられている。さらに別の壁際では茹でたてのカニが売られている。カニだけなら、網のないテーブル席でも食べられるので、網焼きにあぶれた人はそちらに座っていたりもする。

 日香里たちのおぼろな記憶ではカニは食べ放題!のはずだったのだが、そこは記憶違いで、1杯ずつの販売になっていた。が、驚くほど安い。多分、少し姿の悪いものをこうして売っているのだろうがちゃんと身は詰まっている。見渡せば他のテーブルのみんなもケダモノのようにかぶりついている。


 ここで問題になるのが帰りの運転だ。ハンドルキーパーはアルコールが飲めない。さてどうする、じゃんけんで・・・・となったが日香里が立候補した。

「沢山食べたいからね。私はビール飲まない。ビールでお腹がいっぱいになったら困るもん」

「じゃあ、日本酒にすれば?」とは誰も言わない。せっかくそう言ってくれてるのだからお任せしてしまう。美乃里も小町も美味しいものにはアルコール派だ。

 先ずは乾杯

「お疲れ様!」

 何に疲れたのか、いや、そもそも疲れているのかは分からないがとにかく

『お疲れ様』なのだ。日香里はお茶で参加する。


「この間ね、お隣の幸江さんが泣きながら家に来てさ」

 お喋りもご馳走には欠かせない。

「ひかちゃん家のお隣さん? ああ、あの小柄で上品な人よね?」

「誰誰? みーさんも知ってるの? 私も会ったことある人?」

「こまっちゃんも知ってると思うよ。前にお野菜持ってきてくれて。その時にこまっちゃんもひかちゃん家にいたじゃない」

「ああ、何となく思い出した。うん、うん、品の良い人だったね。え? でもその人が泣きながら?」

「そうなの。なんかね振り込め詐欺に遭いかけたみたいで」

「ええっ?! でも遭いかけたって事は被害はなかったって事?」

「そうなの。電話の途中でタイミングよく当の息子さんが尋ねてきたみたいで」

「あら、あの方、一人暮らしだったの?」

 美乃里が網の上でイカをひっくり返しながら聞く。

「ちょっと前までは息子さんも同居だったんだけど、会社の近くにアパート借りたそうよ。だから、今は一人なんだって」

「へえ。で、ちょうど振り込め詐欺に騙されそうになってるときに、帰ってきたのね。良かったじゃない」

 小町が開いたアサリ貝を殻から外すのに四苦八苦しながら言う。そしてビールを一口。

「イカが焼けたよ。はい、ひかちゃん」

 美乃里がイカを三等分して、日香里と小町のお皿に乗せる。それから

「でもじゃあどうして泣きながら?」

 そう言いながらプシューっと音を立てて次のビールの栓を開けた。ベースが早い。

 日香里はイカを頬張りながら答える。

「息子さんに酷く叱られたんだって。それに自分でも情けない気持だし、って」

「わあ。なんか気の毒ね」

 美乃里はそう言いながら今度は干物を焼きにかかる。

「多分、息子さんが帰って来てなかったら騙されてたって」

 それを聞いて小町はゴクゴクっとビールを飲んだあと少し声を低くして言った。

「そういうニュースがある度に思うんだけど、どうして簡単に騙されちゃうんだろう? これだけ世の中が騒いで手口も大体判ってるのにさ」

「あのね、タイミングだと思うのよ私」

 日香里は磁気ネックレスを買ってしまった前科があるからちょっと控えめに幸江の肩を持つ。

「幸江さんてすごくしっかりした人なのよ。訪問販売なんかも断るの上手だし。でも、今回のはほんとタイミングなの」

「うん。物腰は柔らかだけどしっかりした人って印象だった。確か数年前までお仕事されてたのよね? 野菜も焼く?」

 美乃里はナスを網に置く。

「数日前に息子さんが帰って来たときに、会社でのトラブルの話を聞いてたんだって。なんか新しく配属された部下の女性に息子さんがね『背が高いね』って言ったんだって。そしたら急に泣き出したらしいのよ」

「え? それだけで?」

 小町が次のビールに伸ばした手を止めて聞いた。

「そう。後でわかったんだけど、その人背が高いことを随分気にしてて、しかもその日は朝から通勤電車の中で知らない人に嫌な事を言われたみたいで」

「あらあ、タイミングが悪かったわね」

「ただ、それは後でわかった話で、その時には息子さんも訳が判らなくてちょっと悩んでたんでしょうね。幸江さんは幸江さんで、そんな話を聞いた後だったから」

「まさか、セクハラで訴えられた、みたいな内容だったの? その詐欺電話」

 ナスの火の通りを確認していた美乃里が顔を上げて日香里を見て尋ねた。

「そうなのよ。幸江さんも気にしてただけに引っかかっちゃったんでしょうね。タイミングなのよ、やっぱり。向こうは何件も電話して、そのうちの1つでも手応えがあれば良いって感じでしょ? 中にはやっぱりそうやって偶然にもタイミングか合っちゃうケースもあるんじゃない? 」

「そう聞くと、なんかわかるような気がするわー。実は私もね、」

 アルコールのまわった小町が告白する。

「近所のショッピングモールで『物価高応援キャンペーン』とかってのやっててさ、買い物するともらえるシールを集めて応募するやつ。それに応募した三日後くらいにショートメールが来て〈物価高応援キャンペーン〉って書いてあるのよ。で、続けて〈ご当選の確認をお願いします〉みたいに書いてあるわけ。後から落ち着いて考えれば変な日本語だし店名も書いてないし変なんだけど、言い訳になるけどその日は疲れてたのよ。もう眠たくて朦朧としながらスマホ見てたからさぁ」

 日香里も美乃里も手を止めて聞いている。毒舌小町でも騙されることがあるのか、と。しかもそれを自分から喋るなんて。アルコールの力は凄い。

「で、書いてある電話番号にかけて〈『確認できました』のガイダンスが流れたら登録完了です〉って事で、掛けちゃったのよ。なんか違和感はあったんだけど、疲れてたからね」

 小町は疲れていた事を強調する。

「結局、それって嘘だったの?」

 日香里が聞くと美乃里も被せて尋ねる。

「実害としてはどんな事があったの?」

「うーん。確かに〈確認できました〉ってガイダンスは流れたんだけど、そのままプチっと切れてそれだけ。多分、情報収集っていうか騙されやすい人の電話番号を集めてたんじゃないかと思う。だって、その後から迷惑系ショートメールが急に増えたのよ。でも、それには取り合わなかったから被害ってほどでもなかったんだけど。まあ、ひかちゃんの言うタイミングなのかもね。あのショッピングモールのキャンペーンに応募した直後に同じような言葉が並んでたからうっかり早とちりしちゃったのよ。疲れてたし」

「それなら私もうっかり繋がりで」

 美乃里もそう言って少し間を置きニヤリと笑って立ち上がった。

「でも、その前に。カニ食べる人!」

「はーい!」

 日香里と小町がすかさず手を挙げる。

「じゃ、ちょっと待ってて。買ってくる」

 美乃里がテーブルを離れてカニを買いに行く。その間に小町はビールを買い足しに行き、残った日香里はホタテを頬張った。

「幸せ~」

 

 ほどなくカニを三人分携えて美乃里が戻ってきた。小町はビールとチューハイを抱えている。

「で、みーさんも何かやっちゃったの?」

 小町は先に自分の失敗談を披露してしまったから、美乃里の失敗談で上書きされるのを期待している。

「この間ね、映画見に行ったのよ。『黄金なる神』」

「あ、あの素敵な若手俳優さんが出てる漫画の実写版よね? どうだった?」

 訊きながら日香里はカニの足には目もくれず甲羅をあけて汁をすすった。

「期待以上に面白かった」

「へえ~。私も見に行こうかなぁ。こまっちゃん、一緒にどう?」

「ふふふ残念。私はこの間、娘と見てきた。最高だったよー」

「あらら。私だけかあ、見てないの」

「それより、みーさんの失敗って何よ? その映画と関係あるの?」

「うん。まずね、結構時間ぎりぎりに着いてちょっと焦ってたのよね。券売機はそんなに混んでなかったんだけどタッチパネルの反応が悪くて。何とか購入まで漕ぎつけてクレジットカード入れたら画面にグルグルが出たままになっちゃったのよ。しばらく待ってグルグルが止まったと思ったら『このカードはご使用になれません。カード会社にお問い合わせください』みたいなコメントが出てさ、その券売機は〈メンテナンス中〉になっちゃったの。仕方がないからもう一度並んで、別の券売機で今度は念のため別のクレカでやっと買えたの」

 そう話しながらも美乃里はちゃんとカニの足をハサミで割って上手に身を取り出している。小町はハサミは使わず、カニの足同士を上手に使って身を押し出し、つるんと口に入れた。そしてそのまま幸せそうな顔で言う。

「買えたのね、良かったじゃない。で、何? 映画がもう始まっちゃたとか?」

「ううん。丁度開場中のランプが点灯したくらい」

「だったら逆にベストタイミングじゃない」

「ところがさて入ろうと思ったら、入り口に長蛇の列ができてたのよ。他にも人気の映画の開場ランプがついてたから。もう大きなホップコーン抱えたカップルとか、飲み物やらなんやら持たされたお父さんと家族一同とか、すっごくいっぱい並んでるわけ。でも映画って最初の十分くらいは宣伝とか映画泥棒のとかやってるでしょ? だからまあ良いかあってのんびり並んで入ったんだけど」

「そういえば、みーさんはもうシニア料金で見れるの? こまっちゃんはまだ?」

「私はまだちょっと足りない。悲しむべきか喜ぶべきか・・・・」

「私は今年から。ふふふ。年を取ると良いこともあるのね。ひかちゃんはもうどっぷりシニア割でしょ?」

「そうよぉ。どっぷり」

 そう言う日香里の前にはもうカニの甲羅が二人分カラになって積み上がっている。今は三つ目に挑んでいるところだ。美乃里と小町はカニと言えば足だが、美乃里は甲羅だ。うまい具合に争うことなくシェアが成り立つ。

「とにかくそれで席に着いたわけ。でもタッチパネルで選んだ席とチケットに書かれてる席の位置が違うのよ。端っこの席を選んだはずなのにチケット通りだと中ほどの席になっちゃうの。券売機の調子悪かったし、そのせいかもとか思いながら幸い端っこの席が空いてたからチケットの番号は無視して座ったんだけどね。でも何か違和感あるのよ。結局、映画泥棒が終わって本編が始まったら『機動戦士グンドム』だったの」

「ええーっ?! どういう事?」

 日香里は驚くが、小町はオチが判っていたようだ。

「入る扉を間違えたのね」

「その通り。慌てて出て隣の扉に入ったらまだ始まったばかりだったし、まあ良かったんだけど。あれもやっぱりタイミングというか勘違いを引き起こすような前振りがあったんだなあって思ってね」

「しっかり者のみーさんでもそんな事あるのねぇ」

 そう言う日香里に向かって美乃里と小町が叫ぶ。

「あーっ! ひかちゃん!」

「え?」

 日香里はゴクゴクと缶チューハイを口にしていた。美乃里の話を聞きながらついうっかり缶チューハイの栓を開けていたのだ。


 仕方がないのでこの日は三人で魚津に泊まることになった。

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