第3話

「あ、恵美子からだ。どうしたの? もう私が恋しくなっちゃった?」


『み・た・な』


恵美子は酒焼けで喉の調子が悪いようだ。声がしわがれている。


「えっ!? 誰?」


『み・た・な・ぁ・呪い殺してやる!』


「えーっ!」


絶叫が響く。周囲の視線の痛いどころではない。電話越しなのに俺にも聞こえてしまった。きっと例の霊だ。宝華は電源を消すとスマホを僕に投げつける。


「おい、よせ。呪物をよこしてくるな」


反射的に受け取ってしまったが。


「あでゅかってて」


そして、この噛みよう。こんなデコデコした熊さんケース、持ちづらくてしょうがない。そうこうしている内にサービスワゴンが来て、タイミングの悪い店員が注文した料理を手際よく並べていく。


僕たちは破局寸前のカップルみたいに静かで、皿が置かれるコトンという音が虚しく響くのを聞いていた。それに反して明るい店員のスマイル。


「ご注文の品は以上でしょうか」

「いじょうです」


店員は何事もなかったかのように去っていった。宝華の顔は真っ青で、おまけに口をワナワナさせている。


「ど、ど、ど」


「どうしようもない」


「まだ言ってないでしょ」


「見たら呪われるタイプの幽霊だった。一般人には見えないはずなのに本当に残念だ」


「こんな時に変なこと言わないでよ。どうしよう。どうすればいい?」


「うん」


「私はまだ人生でやり残したことがあるし」


「うんうん」


「それにまだ人生でキャビアを食べたこともない」


「うんうんうん」


「っていうか平野っち、超冷静じゃん!」


「よく考えてみたら、そんなに尊い人生じゃなかったわ。これから明るい未来が来るとは思わないし。俺は社会にとって要らない存在だから。消えた所で、どうって事はないよ」


「全然冷静じゃなかった。暗すぎ! もうメンタルやられたの!」


「まあ、とにかく。最後の晩餐を楽しめ。もっと注文するか。手持ちの額までなら幾らでも奢ってやる」


「やめて! 優しい顔をしないで! 考えるから。ぐぬぬ」


ギュルギュル。すると、宝華の腹が鳴った。僕はジト目を向けて、一歳微動だにしない。無言の圧力。そんな場合か。


「・・・・ま、まずは腹ごしらえをしましょう」


「考えるって言ったのは何処のドイツだよ」


「いいから、黙ってて」


湯気の出ている人参をフォークでひとさし、口に運ぶ。すると、今までの恐怖など無かったかのような満面の笑みになった。女心とは複雑である。


ハンバーグとスパゲティを平げ、別腹のアイスを頬張った宝華は、満足げに腹をさする。こんな時によく食事が喉を通るもんだ。


『腹が減っては戦はできない』と言っていたが、そんなに腹が膨れていたらもう動けないだろう。まぁ、最期にいいもんが見れたと思って、俺は席を立つ。


「それじゃあ俺は帰るから。お互い生きて帰れるといいな」


「不穏なこと言って去ってくな。私も行くから」


「どこに?」


なんかモジモジして、喉から絞り出すように言った。


「・・・・平野っちの家」


「ウチ、幽霊出るけどいい?」


「いよくないけど。『お化けが見える』なんて家族に話したら、病院に行かされちゃうよ」


「気軽に行こう。恥じる事じゃないさ」


「全然、そんな軽い状況じゃないから」


「そういえば、口調が前みたいに戻ったな」


「前って、高校の時見たいってこと?」


「うん。あの時は可愛かった」


「『あの時は』って言うなし」


テーブルの下で靴を蹴られた。

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