第12話 千秋の嘘②

「えっ!? 佳純かすみ? どうしたの? 佳純!」

 突然ノートパソコンを開き、キーボードを打ち出した佳純に紗英さえが声を上げる。駆け寄ろうとする陽介ようすけを制し太一は立ちすくむ。思わず佳純の肩を掴む紗英。

 だが、その手を振り払い無表情のまま紗英を一瞥すると佳純は黙ってキーを打ち続けた。

 それは初めて根付に触れた時の陽介の様子にどこか似ている。しかしここに根付は無い。佳純は根付に触れてはいない。


 数分前、佳純は渋々ながら三人を伴って自宅に戻っていた。おそらく佳純の自宅に何かあると言う太一に押し切られたかたちだ。

 その太一が佳純の自宅に足を踏み入れるなり机の上を指差して言ったのだ。

「多分、これだ」

 そこにあったのは一枚の栞。

「これ? 根付じゃないぜ?」

 そう言いながら、その栞に不用意に触れようとする陽介の手を紗英が慌てて押さえた。

「懲りない人ね。またあんな目に遭っても良いの?」

「あれは『はしか』みたいに一回きりだって言ってたじゃないか」

「だとしても! 一回あんな目に遭ったら普通は用心するでしょう?」

「そうだけど。でも、あれもあれで案外面白かったしなあ」

 紗英と陽介がそんなやり取りをしている隙に、佳純がその栞を手に取ったのだ。

「この栞が何だって言うのよ?」

 そう言い終えるや否や表情を無くしノートパソコンを開いたのだった。



「ジャマヲスルナっ!」

 画面を覗き込もうする三人を怒鳴りつけ、佳純は一心不乱にキーを打ち続ける。


「暫く様子を見よう」

 太一がそう言うので、紗英と陽介はこれが佳純にとって危険なものではないのだろうと解釈する。

 半年前の根付事件の後、太一とは件の根付について詳しく調べていた。おそらく大体の性質は掴んでいるのだろう。今回は根付ではないが似たような系統のものなのだろうと、紗英と陽介はアイコンタクトで会話する。

「千秋の事も気になるよな」

 太一が声に出して言う。しかし佳純の耳には届かぬようで様子は変わらない。それを見て陽介も紗英も話し出した。

「電話してみようか?」

 紗英がスマホを手に取るが

「さっき掛けたんだけど、繋がらない。圏外になってるんだ」

 太一が言う。

「ちょっと心配だな。違う形で巻き込まれてるんじゃないのか?」

 陽介は拡散の件で千秋にも嘘をついたのが後ろめたい。

「そうね。千秋は人を騙すような人間じゃないのよ、本当は。よほどの事情があったんだと思うわ」

「確かに。相当の覚悟だったはずだ。たった一人で探ってたんだから。長年の友人たちを騙してでもそうする必要があった、って事なんだよな」

 三人は暫し言葉を失い思案を巡らせる。その間、部屋の中には佳純のキーボードを叩く音だけが響いていた。


「出来た! 後は明日読み直してからUPするわね」

 突然、キーボードの音が止み普段通りの声と表情で佳純が宣言した。が、言葉とは裏腹に即座にクラウドにUPする。

「あの日の再現だわ」

 その様子を見た紗英が驚きと納得の入り混じった複雑な表情で呟いた。

「え?」

 一瞬の間を置き、佳純もあっ!と声を上げる。そしてその瞬間に、やはりこれは人智を超えた力が働いての事だったのだと理解した。紗英たちの言っていたことは嘘ではなかったのだ。


「……佳純、大丈夫?」

 紗英が佳純の顔を覗き込む。

「大丈夫。……自分のやってた事は覚えてる。何を言ったかも覚えてる。でも、どうして、急に小説を書きだしたのか。……自分でも分からない。……邪魔をするなって言ったのも……声が勝手に出てた感じ。今は、大丈夫。自分で、自分の事は、判る。制御出来るって言った方が良いのか……。上手く言えないけど」

「佳純、この栞はいつ、どこで手に入れた?」

 太一は気遣うような声で尋ねる。問い詰めるような調子にならぬよう細心の注意を払って。

「千秋に貰ったの。先週の日曜に。美羽と千秋と私でランチして、その時に。美羽も同じのを貰ったはずなんだけど……。北海道旅行のお土産だって……」

 それを聞いた太一と紗英、陽介は顔を見合わせる。

「もしかしたら千秋が鍵を握ってるのかもしれないわね」

 紗英の言葉に、佳純は栞を貰った日の千秋との会話を思い出していた。


 北海道旅行は、千秋が立ち上げたミニコミ誌の仲間たちと発刊半年の慰労会として出かけたのだと言っていた。一年近く前に、勤めていた出版社を辞め地域密着のミニコミ誌発刊に情熱を注いできた千秋。半年前に何とか発刊に漕ぎ着け、この半年でようやく軌道に乗ってきたのだと嬉しそうに話してくれた。そして

「これ、お土産。こんなものでゴメン」

 と小さな紙袋を美羽と佳純に手渡したのだ。紙袋の中には、しっかりとビニール袋で梱包された栞が入っていた。荒く織った黄緑色の硬い布地にシマエナガのアップリケがついた栞。

「わあ。可愛い!」

 そう声をあげたのは美羽。佳純もシマエナガの可愛さに思わずビニール袋から出そうとしたが千秋に止められた。

「これね、サシェにもなってて良い香がするの。だから使う時に開けてね」

 と。

 ビニール袋から取り出して直に手に取ったのはあの晩、ホラーを書いた夜だった。

 この栞に何か秘密があるとして、なぜ千秋は自分と美羽に手渡したのだろう? 何のために? そのせいで佳純がホラーを書くことも判っていたのだろうか?


「美羽はどうしたのかな? その栞」

 紗英の疑問の声に佳純も我に返り、そう言えば……と考える。怪異に鼻の利く守護霊に守られているという話が本当なら、まだ開けずに持っているのだろうか?

「うん、気になるな。美羽に聞いてみよう」

 そう言って電話を掛けた太一だったが……


  

「ちょっとお! どおなってるの? どうして彼女がここに居るのよ? 行方不明とか言ってたじゃない!」

 太一の電話に出るなり美羽がまくし立てた。スピーカーにもしていないのに、全員に聞こえる。

 佳純の書いたばかりの小説を読み始めていた陽介も思わず顔を上げて太一を見る。

「行方不明の彼女……?」

 佳純の頭に浮かぶのは唯一人の女性だった。

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