第28話

 着物を自分で着ることが出来る若者は少ない。機会もなければ教えることが出来る人物が身近に居ないのも原因だろう。


「だから座ってなよ。冷蔵庫の物使わせてもらうね」


「はい、大したもの入ってませんけど」


「それこそ僕の腕のみせどころだよ!」


 何とも心強い言葉である。経験に裏打ちされた自信は一切の不快さなど感じさせないものだ。


「うん、これだけあったら色々作れるよ。ねぇ悠ちゃん」


「はい、何ですか?」


「浴衣脱がしてみたくない?」


「ぬっ!」


 それが言いたくて早くやってきたのか……と突っ込みを入れる余裕は無かった。悪代官の名シーンが頭に浮かんでしまった。


「帯の端っこ引っ張って、あーれーって、ははは」


「ひかり、俺で遊ばないで下さいよ」


「僕は悠ちゃんだったら良いんだよ。綾小路さんと比べたら貧相な体つきでつまらないかも知れないけど」


「ひかり! 俺、そうやって自分を卑下するようなこと言って欲しくないです。それに凄く魅力的なんですよ」


 珍しく悠が声を荒げた。けれどもそれはひかりの為、決して自分がどうこうではない。


「うん、ごめんなさい」


「えっと、大きい声だしてすいませんでした」


「ううん、僕嬉しかったよ。悠ちゃん、本気で叱ってくれたんだよね。その場凌ぎで濁されるより、どれだけ想ってくれてるか伝わるんだよ。さ、ご飯作ろっかな!」


「俺も手伝います。近くで技を盗まないといけないんで」


 ひかりの言葉に乗っかりいつものように振る舞う。言うべきことを言った、それで正されるならばそれでおしまい。


「そうしてもらおっかな。リゾット作るから、具材のカットよろしくね」


「わかりました。スープは玉ねぎと人参で?」


「お、言わなくてもコンソメスープってわかったんだ、偉いゾ!」


 師弟で手際よく分担し、あっという間にランチが出来上がった。ドライパセリで緑を足してテーブルに並べる。特筆することのない日常のひとこま、悠はそう感じようと必死だった。


「おーい、柚子香!」


 松濤南駅に二人で迎えに行った。電車から降りてくる柚子香を見付けて悠が手を振っている。


「あ、悠君。藤崎さん、またすぐ隣に居ますね」


 いつもそうやって自分の居場所を占領しているひかりを見て、やっぱりそうだと口に出してしまう。


「やっ、こんにちは綾小路さん」


「こんにちは藤崎さん。藤田さんは?」


 いつもなら一緒なのが姿が無いので尋ねた。


「あいつな、現場で朝から手伝いだってさ。まあ俺達着いたら抜けるって話だけど」


「藤田さんって、そういうの似合いますよね。集まりを仕切るのみたいな」


「だよな。親父さんに似てるんだよ、この手のことには必ず参加してる」


 少し離れてはいるが、三人で歩いて会場に向かうことにした。途中ある案内板を自分で立てた話をしながら。


「柚子香の浴衣、それ何の絵柄なんだ?」


 ぱっと見では良くわからなかった。変だとかそんなではなく、単に馴染みがないというか。灰色に茶色、くすんだ緑がランダムに折り重なっているかのような?


「これはですね、女の子向けの都市迷彩浴衣なんですよ」


「え? 女の子向けのトシメイサイ浴衣……ってなんだ? 紫陽花の仲間?」


「パステルカラーで仕上げちゃってるので、全然原型留めてませんよね」


 言いながら微笑んでいるが、全く意味がわからなかった。ひかりも首をひねって苦笑いしている。


「ああ、柚子香の雰囲気にぴったりだな。淡い色使いとか似合ってるぞ、ははは」


 相変わらず距離感が解らずに手探りでコメントしてしまう。ひかりもこれについては何も言えなかった。夏祭り会場はまあまあの賑わいだった。暗くなるにつれてもう少しは人が増えるだろう。


「あいつどこにいるかな?」


「あーっ、先輩!」


 色葉が駆けてくる、いつも元気なやつだ。そのまま抱き着くものだからちょっと困りものだが。柚子香が自分の彼氏になにをしてくれているんだと苦笑してしまう。


「おう色葉、結構人集まったな」


「うん、お父さんもホッとしてるよ。綾小路さん、こんにちは!」


「はい、こんにちは」


「えっと?」


 色葉がひかりを見て誰だろうと首を傾げた。そういえば初めてかと、悠が紹介する。


「藤崎ひかり先輩。俺や夏希に料理教えてくれてる先生」


「初めまして、藤崎ひかりだよ」


「えーっ! オネエってば先輩と料理の勉強してたの! また騙されたー!」


「色葉、ちゃんと挨拶しなきゃダメだぞ。こいつ夏希の妹なんですよ」


 中学生はやっぱりまだ子供だなとの雰囲気が漂った。


「うー、初めまして藤田色葉です」


「あーっ、そうなんだ! 藤田さんの」


 何と無く繋がりや態度の意味合いがわかり一人深く納得した。抱き着いていたことについては、ひかりもモヤモヤとしていたから。


「なあ、夏希どこにいる?」


「オネエなら今、社務所で浴衣に着替えてるよ。なーんか苦戦してるけど」


「あいつ着付けなんてしたこと無いだろ」


「まーねー。でも着たいって、無茶だよねー」


 完全に投げた態度をしている。止めたって聞かないだろうから仕方ないが。


「僕ちょっと社務所にいくかな。藤田さんの着付け手伝ってくるね」


「ひかり先輩すいません。あいつきっとテンパってますから、助けてやって下さい」


「うん、任せといてよ!」


 ひかりが行ってしまいその場で待っていると、一音と次音がやって来た。


「あー居ました!」


「色葉だけまた先輩にくっついてズルい!」


 わっと二人も悠に抱き着く。「暑いからくっつくなよ!」と言いながらも意外なことに気付いた。


「あれ、一音の服って」


「え、これですか? 都市迷彩柄なんですよ、先輩」


「柚子香? 流行ってるのか、これ?」


「一音さんの、私のと同じですね」


 浴衣とシャツの違いはあったが、柄が似通っていた。初めて見たが、案外流行の一端を担っているんだろうかと思わせしまう。


「あ、本当です」


 互いに珍しいものを見たかのような表情を浮かべていた。それが流行っているかどうかの答えである。


「ほら、暑いからもう離れろって」


 ずっと三人にくっつかれていて、流石に注意する。理由がなんだか納得いかずに憮然とした声で抗議した。


「先輩は喜びこそしても、暑いから離れろなんて言うのは、乙女に失礼ですよぉ」


「何が乙女だよ。慎ましやかな乙女は人前で抱き着いたりしないの」


「ぶー、私は大胆派なんですぅ」


「はいはい、わかったから。俺はお前たちの顔を見て話がしたいんだ、良いだろ」


 そう言うと渋々三人が距離をとった。たった一年の差がこんなにもあるとは、十代の特筆すべき点だろう。


「悠君、藤田さんの着付け終わったみたいですね」


「おー、来たな」


 夏希とひかりが並んで歩いてくる。浴衣って良いな、等と内心呟いてしまった。


「悠、どう……かな?」


 夏希が会うなり感想を求めてくる。旅行前ならそんな率直に言うことなど無かった、変化に注意を払いつつ答えた。


「夏希は普段から背筋も伸びてるし、元々和服が似合う要素多いから、浴衣姿似合ってるよ。あれだ、なんか団扇とか持ったら完璧じゃないか?」


「そ、そうかな。似合ってるんだ、団扇か……うん、良いよねどっかに無いかな!」


 本気で団扇を探す夏希を色葉が半眼で見ている。この前から随分と変わったなと、何があったやらと疑いの眼差しを向けた。


「ねぇ先輩、この前オネエ一泊旅行いったらしいんですけど、部活の仲間って?」


「あ、僕ねバスケ部のマネージャーしてるんだ。一緒に行ったよ」


 悠に向かって訊ねたけれど、ひかりが素直に受け答えしてしまった。ビクっとしたのは夏希だ、直ぐに封じ込めに掛かる。


「色葉、あんた余計なこと言わないの!」


 夏希がきつい視線を送るが、こうも人が居るところでは色葉も怖気づくことなく続ける。


「藤崎先生も行ったんだ。他は誰がいたんですかぁ?」


「先生かあ、ははは。僕のお母さんと、綾小路さんと、悠ちゃんの五人だよ」


「えー! 先輩も一緒だったんですかぁ! だって一泊って!」


「なんだ、夏希教えてなかったのか?」


 父親の許可を得ていたのでてっきり知らせているのだとばかり思っていた。


「色葉にはね。こいつうるさいから」


「オネエ部活の集まりだって言ってた。そうやってまた私を騙す、先輩と行くなら私も行きたかったぁ!」


「わ、私も行きたかったです!」


「えと、私もです」


 三人が急にうるさく言い出した、そのくらいのイベントだったのは頷ける。


「こら、騒ぐなって」


「でもぉ」


「来年また予定してるけど、その時はお前達も連れて行けるようにって考えてあるから。今回は夏希を許してやってくれ」


「え、そうなんですかぁ!」


「本当だ。今回は料理の勉強グループだったけど、来年はそういう括り必要ないから。な、みんな」


 そういって三人に同意を求める。悠が皆の輪を大切にしようとしているのが伝わって来た。


「はい、そうですね。だから悠君の周りには人が集まるんですね」


「悠がそういうなら私は別にいいけど。いつら居ても邪魔はさせないし」


「僕はそれで良いよ。大勢も楽しいだろうね! ほんと夢、膨らませてくれるんだね!」


 快諾を得る、自分の為ではなくて誰かの為。そういう悠が好きで。


「わーい、先輩大好きぃ!」


「ちゃんと私達のこと考えてくれてたんですね!」


「嬉しいです」


 また三人が抱き付くものだから困惑する。嬉しいと言えば嬉しいけれども、場所や状況を考えると素直にはなれない。


「だーから、暑いからくっつくな! おーい夏希、こいつら何とかしてくれよ!」


「ガキども離れなさい!」


 ポンポンと頭を叩いて回る。そして引き離した後にちゃっかり自分が隣に居座る。


「さ、露店回るわよ!」


「そうですね。私凄く楽しいです、こうやって大勢でっていうの初めてで」


「ははは、賑やかだよな。ほら柚子香、こっち」


 悠が右手を差し出す。前は恐怖で触れることが出来なかった、今は意識することで握ることが出来るようになった。


「はい。私が悠君の彼女なんですよね」


 これだけ居る中で唯一悠が手を差し伸べた、それが証左である。ひかりと夏希が微かに寂しそうな表情を浮かべた。が、それを堪えると皆で歩き出すのだった。


「りんご飴って祭りでしかお目に掛かれないよな」


「このりんご飴って、世界中で食べられてるんだよ。元々はカラメルにシナモンとかで、クリスマス向けのものだったって話なんだ」


「おぉ、さすが先生だ!」


 色葉が驚いている、一音次音も同様に。そんなお菓子関連知識、調べてことも無い。


「なんか照れるね、ははは」


「あれ、悠じゃねぇか!」


 通りの反対側からやってきたのは黒岩太一と新田浩だった。同じ地元なので居て当たり前ではあるのだが。


「おー太一も来てたか! 浩、相変わらず逆立ってんな」


 髪を逆立てて、怒髪天を衝くを体現しているかのようだ。パンクな男、新田浩。水濡れ厳禁は絶対だ。


「あんた達準備サボってどこ行ってたのよ!」


「藤田、いやー色々あってよ、ははは。色葉ちゃん達も一緒だったんだな」


 悠以上に久しぶりに会う友人、それぞれが話で盛り上がる。


「なあ、お前らは二人だけか?」


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