第26話


 部活は大切だ。それは学業の延長として理解できる。社会活動も大切だ。どちらを選ぶかは本人の意思を尊重する、そういった教育はとても重要な部分でもある。


「だよね。あのさ」


「なんだ?」


 もう二人では無理だろうなと希望を一つ引き下げてしまう。


「うーん、何でもない。当日も運営やらされるのかなーと思って」


「えっ、運営? 俺、夏希と一緒にまわるつもりだったんだけど無理そうか?」


「わ、私と? そ、そうなの!」


 どうしてそう言うのか、夏希には全くわからない。何せ綾小路を誘っているというのだから。


「ああ、何だかんだで祭り自体出るのって初めてだからさ、お前が居たらいいなって。無理にとはいわないけど」


「行くから! 私も祭り出るよ!」


「親父さんにダメって言われないか?」


「大丈夫! 絶対に大丈夫だよ。父さんに言われても無視するし!」


「おおう、じゃあ楽しみにしてる。雨やんだみたいだな、太陽まで出てきてる」


 雨雲が通りすぎて一気にまた晴れ模様が広がった。忙しい天気だ。そうとても忙しい。


「当日も晴れたらいいなっ」


「そうだな、きっと晴れるさ。さーて、洗濯でもしとくかな。朝にやってたら二度手間だったかも」


「じゃあ私は帰るね。コーヒーありがと」


「これで良ければいつでも来てくれよな。気を付けて帰れよ」


 悠に彼女が出来た、その事実が想像していた以上に重くのし掛かる。覚悟をしていたはずが、今までと変わらないどころか、やけに楽しみが増えたような気がした夏希だった。


「出来上がったか、これをキャビネットに入れて……と。よし」


 現像したスナップ写真、ネガも添えて袋に納める。四人分作ったので、自分の机にも飾った。


「いいよなこれ、ひかり先輩も喜んでくれるよな!」


 夕方なのでそろそろ部活が終わっただろうと電話を掛けてみる。


「もしもーし」

「悠ちゃん、ひかりだよ!」

「こんにちは。部活は終わりましたか?」

{うん、今帰ってる途中」

「そうですか。これから少し時間ありませんか? 渡したいものがあるんですけど」

「うん、いいよっ! お家で待ってるね」

「はい、暫くしたら伺います」


 ついてすぐは迷惑だろうと、テレビをつけて少しばかり時間を潰してから家を出ることにした。

 ピンポーン。ひかりの家のインターホンを鳴らす、足音が聞こえてきて扉が開いた。


「いらっしゃい!」


「こんにちは」


 ブラウスにミニスカート姿で迎える。夏休みなのだ、制服でないのはわかっていたが、違和感は拭えない。


「ん? 僕なんか変かな」


「いえそんなんじゃありません。部活って言ったら制服みたいなイメージがあったので」


「あー、そうだよね。ほら入ってよ」


 それはそうだ、実は帰って来て大急ぎで着替えた。こちらのほうが悠が喜ぶだろうと。招かれて家に上がる。最近こそ慣れたが、つい一ヶ月前には懐かしいと思っていたものだ。


「ほら座って」


「はい」


 テーブルには氷が入ったレモンジュースが既に用意されていた。例のスポーツドリンクの類いだ。


「悠ちゃんの」


「ありがとうございます」


 いつものようにひかりは笑みを浮かべている。不機嫌な姿など殆んど記憶にない。


「これ、ようやく出来たので持ってきました」


 包みをひかりに手渡す。角ばった薄い何か。


「開けてみるね」


 丁寧に袋を開けると中味を取り出す。そこには笑顔満点で皆がポーズをしている姿が写ったものがおさまっていた。


「あの写真だ。みんな良い顔してる。悠ちゃん、ありがとう。これは僕の宝物だよ!」


 目を少し細めてキャビネットを抱き締める。喜びが伝わってくるようだった。


「ひかり先輩が喜んでくれて嬉しいです」


「うん、一生の想い出がこうやって残ったの、凄く嬉しい! 大切にしないとねこれ」


 目を瞑り感動の余韻を楽しむ、幸せな気分が続いた。たったの一日、それがこうも大きく心を揺らしてくれるだなんて。


「同じとはいきませんけど、来年もまた旅行で写真を撮りましょう」


「来年も?」


「はい、来年も再来年も、毎年です。ですから一生の想い出じゃなくて、これは今年の想い出です。良いですよね?」


「毎年の。うん、イイねそれ!」


 こうまでされてしまい、ひかりは悠への気持ちを抑えるのが難しくなってきた。きっとこれ以上の人はもう出会えない、残された寿命が短いから。


「じゃ、来年の予約しておきますね。ちょっと気が早いですけど」


 実現するかは後回しにしても、そうしたいとの気持ちだけは伝えておきたかった。


「わかったよ、僕の予定悠ちゃんで埋め尽くしてよね!」


「ははは、それは……あ、そうだ。うちの地元の夏祭り、今度の日曜なんですけど行けますか?」


「夏祭り? うん、行くよ!」


 部活があったのは知っていたけれども、反射的に行くと答えた。断るという選択肢はもうない。由美には迷惑をかけてしまうけれども、きっと笑顔で行ってらっしゃいと言ってくれると確信している。


「良かった。ひかり先輩部活の合宿準備で忙しいかなって」


「あ、先輩禁止だって言ったよね」


「そうでした、すいません」


 中々慣れるものではないとわかりながらも、約束は約束だったと謝罪する。ひかりがテーブルをぐるっとまわって近寄る。


「これはまたお仕置きしないとダメだよね」


 横から首に腕を絡めて、耳に息を吹き掛ける。


「ぅぁぁ」


 ぞわっとして身震いしてしまう。しかしこんなお仕置きならいいかも、などと考えてしまった。


「ね、綾小路さんと進展あったかな」


「えと、はい。キスしました、でも」


「でも?」


「男性恐怖症って言うんでしょうか、無意識に怖いって感じるって」


「そうなんだ。――細い道、悠ちゃんの手を取らなかったんじゃなくて、取れなかったんだね。なのにキスはしたんだ」


「柚子香のやつ、顔面蒼白になって震えながら。それでも俺にどこにも行かないでって」


 ひかりは腕を絡めたままの姿勢で話を聞いている。どれだけの決意をして行動したか、想像するだけで胸が締め付けられてしまう。


「綾小路さん、悠ちゃんのことを本気で好きなんだね」


「俺もですよ。そんな無理しないで自然と傷が癒えるのを待つって言ったんですけどね」


「なんか妬けちゃうな。想われてていいなって」


 腕に少し力を入れて抱き着く。こんなにも好きなのに、その相手の彼女が自分ではない現実。悔しくて、辛くて、悲しくて。


「ひかり?」


「僕も悠ちゃんのこと大好きなのに、悠ちゃんは綾小路さんがイイんだよね。最初からそう言ってたし、僕だってわかっているけど」


「俺、大切な人に順番はつけられません。夏希にも言われましたけど、誰が一番だとかそういうの無いんです。彼女は柚子香だって決めてます、でもひかりより柚子香が良いとか、そういうのじゃなくて」


「わかってる。悠ちゃんだもんね。ちょっと意地悪してみたかっただけ、ごめんね」


 藤田夏希、彼女もそうだったんだと知る。けれどもそこまで衝撃はない、自分がそうだったようにきっと彼女も辛い想いをしているんだろうなと感じはした。


「いえ、俺が悪いんですよ。こんな風にはっきりしないから」


 本当に申し訳なさそうな顔で落ち込む。ひかりは微笑を浮かべて語りかけた。


「いいの、僕はそんな悠ちゃんが好きなんだから。意地悪したお詫び」


「あっ」


 ひかりが唇を重ねてきた。彼女は柚子香だ、そう言っているそばからこんなことを許している悠は、自分自身に腹をたててしまう。この優柔不断が皆に迷惑をかけていると。


「綾小路さんとキスしたなら、そろそろ次のこと教えちゃおうかな」


「つ、次ですか?」


「そっ。僕ね、悠ちゃんだったらいいからね?」


「そ、それって」


 ひかりの様子がおかしい。悠は動揺を隠せない、いつもとは随分と表情が違う。


「僕のことを想ってくれて、真っ直ぐに伝えてくれて、行動で示してくれて……こんなに優しくしてくれて」


 顔を近付けてその場に悠を押し倒す。力が強いわけではない、悠が抵抗をしないだけだ。もし拒絶していると思われたら、ひかりが傷つくかも知れないと。


「ひ、ひかり、さすがにそれは」


「これはね悠ちゃんが悪いんだよ? 僕ずっと我慢してたのに、いつも期待以上の答えばかりで。もう気持ち抑え切れないよ」


「お、落ち着いて下さいって!」


「もう無理。一生僕と付き合ってくれるんだもんね」


 ひかりのリボンがふと目に入った。悠はひかりの肩を押さえていた腕の力を抜いてしまう。自分に何が出来るのか、頭に浮かんだ時、視界はひかりの顔で一杯になっていた。ひかりの望みを叶えたい、自分が責められるだけで良いなら受け入れよう。なすがまま、悠はひかりの背に腕を回すのだった。


「祭りの準備、行かなきゃな」


 衝撃的な事件があって数日、罪悪感なのか何なのか、自分を責める気持ちが続いていた。


「はあ。俺、ほんとなにやってるんだろ。ひかり先輩」


 家を出て神社に向かう。夏祭り会場として毎年場を提供しているからだ。名前は知らないが何と無く顔だけは知っている、そんな人達と擦れ違う。


「あっ、先輩こっちですよぉ!」


「おう色葉、おはよっ」


「もうちょっとでお昼ですよ」


「そうだな、家事済ませてからだったから遅くなった」


 やることをやってから手伝いに来る、文句をつけるような筋合いではない。


「オネエがそわそわしながら待ってますよ」


「夏希が? うわ、何か怒られそ」


「先輩、相変わらずですね」


「何が?」


「何でもないですぅ」


 社務所の前に行くと夏希の姿があった。電飾を準備している真っ最中。


「おーい夏希」


「あっ、悠!」


 作業を中断して駆け寄ってくる。どうやら怒ってはいないようで一安心。


「遅くなって悪いな」


「ちゃんと来てくれたんだ!」


「まあな、お前と約束したしな。何手伝ったらいい?」


「えーと、案内板立ててきて欲しいな。色葉、地図あったよね持ってきて」


「はーい」


 色葉が社務所の中に入る。案内板とやらが近くに積まれていた、それもかなりの枚数が。


「結構あるなこれ」


「リアカー使っていいから、街中何ヵ所かあるからね」


「そっか、んじゃやるか!」


「地図持ってきたよー」


 手渡された地図には、案内板設置可能な場所に印がつけられていた。協力をしてくれている家、随分と多いようで全部とはいかなさそうだ。


「これどこでもいいのか?」


「うん、なるべく広範囲に均等になるようにね」


「どーすっかな」


 地図を睨んで悩んでいると色葉が提案してくる。


「オネエと先輩で行ってきたらいいよ、電飾は私がやっとくから」


「えと、じゃあそうしよっかな」


「んじゃ夏希が場所決めてくれ、俺がそこに立てるからさ」


「うん、わかった」


 笑顔と供に手袋を脱いで色葉に渡す。目で感謝を語っているのが色葉にもわかった。今度何かねだられたとしても、快く奢ってやるくらいの気持ちになれる。


「いってらっしゃーい!」


 にこやかに手を振って二人を見送ってから、電飾の山を見詰めた後に、ため息をついた。


「ま、一つ貸しってことで。先輩の家に遊びに行った時にでも使おっと」


 リアカーを曳いてゆき、案内板を立てながら二人で話をする。話題は先日の写真についてだ。


「夏希の分もあるから、今度来たときに持っていけよ」


「うん。藤崎先輩には渡した?」


「ああ、凄く喜んでくれた。撮った甲斐があったよ」


 嬉しそうに話す姿に一抹の不安を持ってしまった。その時の悠の表情がどうにも輝いていて、きっと先輩のことも好きなんだろうなと直感してしまう。


「どうかしたか?」


「いやいや何も、次は山田さんの家の前だね」


 地図を見ながらあっちだ、と夏希が誘導する。リアカーを曳いて悠がついていった。

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