第23話

 ひかりが夏希を見ても、別にいつもの部活の時と変わらないように思えた。柚子香も学校に居る時と変わらないよういしか思えない。


「折角だし朝風呂行って来るかな」


 少し体を動かしてから、悠は一人で行ってしまった。夏希の様子がおかしいのを見て、悠の言葉が事実だったのだと確信する二人が居た。 そんなの一目で解ることがあるのか、三人が複雑な想いをする。


 一泊二食付。朝は和食の膳だった。といっても焼き魚に、煮物、漬物、味噌汁、一汁三菜というやつだ。


「十時過ぎまでゆっくりしてから帰ります。けど、その前に一つやることがあるんですよ」


 鞄をゴソゴソとしながら切り出す、今までのはこれのオマケみたいなものだ。


「何かな?」


「えーと、これです。記念撮影! 皆できたぞーって証拠を残しておこうって。いつでも思い出せるように」


「悠ちゃん、あの話を……そっか、色々と考えてくれたんだね! 僕、もう嬉しすぎて。うん、撮ろう!」


「あかりさんもこっちに。番頭さんすいません、何枚か撮って下さい」


「よしきた! いいねーこういうの。はいチーズ!」


 全員が笑顔でカメラを見る。ここに間違いなく存在した証。ひかりは悠への気持ちをいつまで抑えていられるか、わからなくなってしまっていた。



 一泊旅行から戻ってくる。まだ昼間だったが、胸一杯満足した皆は解散することにした。したのだが、夏希はそのまま悠の家についてくる。


「何だよ帰らないのか?」


「まだ早いでしょ。いいじゃない別に」


「んー、まあな。疲れてないか?」


 普段と違うことをすると人はとても疲れる生き物だ。それがたとえ遊びであったとしても。


「平気。それに家に帰ったら何か色々雑用させられそうで」


「雑用? なんのだ?」


「そろそろ夏祭りあるじゃない。その手伝い」


 地元の青年会、その会長である藤田父、確かに色々させられるだろう。去年までさせられていた実績があったりもする。


「なるほどな。また俺も駆り出されるだろうな、それ」


「当然。黒岩も新田も逃がさないわよ」


 中学時代の四人組み、まとめて手伝いの名の下に働かされるのはいつものことだった。


「あいつ等もまただな。んーと来週末だっけ?」


「そ。それ終わってすぐに強化合宿とか、げんなりするわよ」


 そうかもな、などと想像してしまう。祭りの日も部活は休みではないが、流石にそこは休ませてもらうそうな。

 

「あー、お昼時間だ。どうする?」


「なんか作るのもダルいな。夏希が作ってくれよ、ってまだ無理か」


「何かカチンとくるわねそれ。いいじゃない、私が作るわよ」


 勝ち気な性格が災いして、そう、きっと災いして言ってしまった。何もしていなければ無理と軽く言えただろうけれど、なまじ少しでも勉強したから。


「おーそれは楽しみだ。うちにある物好きに使ってくれ」


「わかったわよ。大人しくそこで待ってなさい!」


 冷蔵庫を開ける。細々と置いてはあるもののメニューと材料が頭の中で中々一つにまとまらない。


「野菜炒めと、卵焼きと、えーと」


 取り敢えず浮かんだモノを作ることにした。調理器具や食器の類はどこに何があるかは大体わかっていた。慣れない手つきで準備をしていく。


「ははは、何か新鮮だな、お前がそこに立ってて俺が座ってるっての」


「私にだって出来るんだから、見てなさい!」


 ざっくざっくと野菜を切りつけ、ごっそりとフライパンに入れて炒める。油をたらして塩コショウで適当に。皿に移して今度は卵焼きを作る。フライパン一面に薄っぺらいものが焼けた。冷凍庫にコロッケがあったので、油を火にかけて投入する。ご飯を盛ってそれらをテーブルに並べた。コップには麦茶だ。


「ほら、出来たわよ!」


「いいね、よく出来ました」


「ふん。ほら食べなさいよ」


「んじゃいただきます」


 一通り悠が箸をつけるまで夏希はじっと見ていた。様子が気になってしまい自分の腹具合どころではない。


「ど、どうなのよ」


「うん、いいんじゃないか。初めてにしては上出来だよ」


「上から目線でイラつくけど、私だってちゃんと覚えようとしてるの」


「だな。努力の跡が顕著だよ」


 パクパクと野菜炒めを口にする。ペラい卵焼きもだ。ようやく夏希が自分でも一口卵焼きを食べた。そこで異変に気付く、味見をするということに考えが及ばなかったのだ。


「う、この卵焼き全然味が無い」野菜炒めを食べると「うわ硬いの混ざってるし、コショウだまになってる」コロッケは「これは衣ボロボロだ。私全然ダメじゃない」


 ところが悠は気にせずにどんどん食べた。味がなかろうが、野菜が固かろうが、衣が崩れていようがお構いなしに。


「こんな美味しくないのに無理して食べなくていいよ」


 情けないだけでなく、申し訳ない気持ちが溢れてしまう。そしていじけるような、卑屈な言葉が出てしまった。


「何言ってるんだよ、夏希が作ったのに美味しくないわけないだろ」


「悠。こんなのでも嬉しそうに食べてくれるんだ」


 中学の三年間、部活帰りの夕食、料理の勉強、そして一泊旅行。夏希の頭に今までのことが沢山浮かんできた。


「ちゃんと作れるようになったら、また食べてくれるかな?」


「おう、また作ってくれるのか? 楽しみにして待ってるぞ」


「うん!」


 味も見た目も食感も最悪の初めての手料理、悠は残すことなく笑顔で全てを平らげた。夏希は胸が苦しくもあり、嬉しくもあり、黙って食器を下げると洗って一人で片づけをした。どうしてかわからないが涙が流れた。


「あれ? 私なんで泣いて?」


 夏希の手が止まる。悠が様子がおかしいことに気付いた。よく見ると泣いているではないか。


「おい夏希、どうしたんだ?」


「わかんないよ」


「でも泣いて」


「なんで涙が出てるか、私にも」


 悲しいのか嬉しいのか、悔しいのかもよくわからない。ただ自然と涙が溢れてしまった。悠は夏希のすぐ傍に行くと頭を撫でてやる。


「そっか、わかんなくても涙って出るんだな。泣き止むまでこうしててやるよ」


「悠……私」


 向き直るとしがみついて泣いた。悠はなにも言わずにそっと頭を撫で続ける、夏希はずっとそうしていたいと心の底から思ってしまった。この切なさが何なのか、よくわらかないまま嗚咽を堪える。


「悠ってさ」


「ん?」


「私のこと、家族だって」


 皆がいる前でそう言っていた、冗談なのか過大なサービスなのか。或いは別の何かだと思っているのか。


「ああ、なんかさそんな感じがしてる」


「それって、私を好きって思ってくれて?」


「そうだな。俺は夏希のことがとても好きだぞ」


 よしよしとあやしてやる。それは嬉しかった、けれども夏希が言いたいこと、聞きたいこととは違った。


「違うの。そうじゃなくて、その、女として好きなのかなって」


「あ。――夏希。そう、だったんだ。お前がそんな風に考えてたなんて全然知らなかった。でも言われてみたらそうかなって、色々と心当りあるな」しがみついている手に力が入っているのがわかる「異性として見たとしても、俺は夏希が大好きだよ。でもごめんな、俺、付き合ってるやつがいる」


「……藤崎先輩?」


「ひかり先輩は……あんなこと言ってるけど違う。ああやって俺のこと助けてくれてるんだ」


「助ける?」


 よく意味がわからなかった。説明が足らないので当然だが。


「ああ。俺さ柚子香と付き合ってる。夏希と違って全然柚子香のことわからないし、距離だってどうしたら良いかいつも悩むけど」


「綾小路と、なんだ。あいつだったんだ。でもわからない位の付き合いでしかないんだよね?」


「夏休み入ってからで、ついこの前なんだけどな。俺さ釣り合ってないよな、それでも柚子香は良いよって言ってくれたんだ。だから夏希、お前のことは好きだけど俺の彼女は柚子香だ」


 はっきりと言った方が良い、そうしたら夏希だって辛くなるの少ないだろうからと包み隠さず話した。


「ヤダ――綾小路は悠のことを解ってない。悠も綾小路のことは全然。私は……悠のことなら沢山知ってる、いつも一緒に居たから。なのにあいつが彼女? そんなのおかしいよ! ダメ、許せない!」


 感情があふれ出てしまい、はっきりとした嫉妬心が爆発してしまう。そんなことをいっても悠を困らせるだけだとわかっていても、それでも悔しすぎて耐えられなかった。


「夏希?」


「私そんなの嫌だよ!」


「おい、落ち着けって」


 悠がなだめるが夏希の興奮が収まることはなかった。多大な喪失感、居場所を奪われかけていることへの焦りと怒りと怖れ、全てが渦巻いて。


「私の方があいつより沢山悠を知ってる! あいつの何倍も、何十倍も傍にいる! あいつよりずっとずっと前から悠を好きだったのに、そんなの納得いかないよ!」


「夏希。ごめんな、ほんとお前が近くに居すぎて気付けなかった。俺、その気持ち凄く嬉しい。けど今は応えてやれない」

 

「私、三年も待ったんだよ? いつもいつも悠のこと目で追って、それでようやく好きって言ってもらえて。なのにごめんって。私絶対諦めないから。綾小路が彼女だからって、もう気持ちを誤魔化さない!」


 手を離すと背に腕をまわし涙の跡をそのままに間近で悠を見詰める。


「夏希」


 口づけを交わした。夏希は深い気持ちを籠めて、困惑する悠に向けて語る。


「世間ではね、彼女より家族の方が大切ってことになってるんだよ」


「いや、でも」


「悠が順番をつけること出来ないって思ってるの、知ってる。私にはわかるよ、悠のことなら。これだけ一緒に居たら理解出来てるんだから」


「うん、そう思ってた」


「だから今までみたいに接して、出来るだけ気持ち抑えるから。想ってるの誤魔化しはしないけど、外に出すのは少しにする。悠を困らせたくないから」


 二人だけの今はそこまで抑えられない、けれどもこれからは出来る。


「わかった。俺のせいで辛い想いをさせてごめん」


「いいよ。私待つの慣れちゃったし」


 二人は長いこと抱き合った。まるでそれが今生の別れであるかのように。こうしてやることしかできない、悠は夏希が満足するまでいくらでも付き合ってやるつもりでいた。

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