第21話



「そうだけど」


「ま、いっか。それにしてもさ、不思議だよな」


「え、何が?」


「何がって、俺さ朝のうちに言ってたよな、風呂と寝るのだけはって。これで明日になったら全部一緒だもんな、どうなってるんだろうな?」


 今まで喋ることも出来なかったので、ようやくだ。気楽に話せる藤田というのも手伝い今日一番リラックスしている。


「どうもこうも無いわよ、別に何も変わらないし」


「まあな、五年後とか十年後とかもこうやってるのかな。想像出来ないよな」

 

「うーん、きっとバカやってるんじゃない?」


「かもな。その度お前に怒られて、か。ほんと今と何も変わらないよなそれじゃ、ははは」


 中学時代もそうだったし、今もそう。大人になってもきっとそうだろうとか簡単に想像出来てしまう。


「木原!」


「ん、なんだ?」


「だから……その。五年後もこのままじゃヤダよ私。藤崎先輩のことひかり先輩って呼ぶじゃない」


「ああ、そうだな」


「綾小路のこと、柚子香って呼んでる」


「最近な、そうすることにした」


 周りは変化するのに、ずっとそのまま変わらない。変わらなくてよい部分はある、けれども変えたいところだってある。


「ママさんはあかりさん、色葉も一音も次音も、みんな名前で呼んでるのに、私だけどうして藤田のままなの?」


「え? そう言われてみたらそうだよな。うーん、全然気付かなかった、藤田イコールお前ってイメージだったしな、色葉を藤田って言ったら凄い違和感あるし」 どうしてそうだったかを木原なりに考えてみたら、不都合が無いからだけしか理由らしいものがない「今さら変えるのも変かなって思ってたけど、そうだよな。じゃあこれから夏希って呼ぶけど良いか?」


「うん! 私も悠って呼ぶからね!」


 三年越しでようやく名前を呼び合える仲に変えることが出来た。ずっとずっと悔しかった、みなが名前で呼ばれているのが。どうして自分だけがと、ずっと言えずに胸に秘めていた。 


「おう、それで良いぞ。ってかもうそろそろ出ないか? 俺のぼせそうなんだけど、振り向いたら叩きのめされるって話なんだが」


「べ、別にもう二人とも居ないし、振り向いたからって叩きのめしはしないわよ」


「そうか? じゃあ出るからそっち向くからな」


「うん」


 ザバっと音をたてて反対を向く。目の前にはバスタオルで体を巻いた夏希が居て、悠を見ている。どうした? とう表情でだ。


「お前ずっとこっち向いてたのかよ!」


「いじゃない別に」


「いや、まあいいけど。夏希」


「な、なに見てんのよ!」


 さして大きいとは言えない、むしろ小さめの胸を腕で隠すようにして抗議する。


「いや、お前髪下ろしてるの初めて見たから。いつものも良いけど、そういうのも何か良いなって」


「そ、そう? じゃあ今度下ろしてみようかな」


 ポニーテールにしていたのは悠が好きだと言ったから、だから三年間ずっとそうしていた。けれども下ろしてるのも良いというなら、こだわる必要もない。


「あ、本気で頭くらくらする。あがって少し休むな」


「うん。滑るから気をつけてね」


 よろよろと悠が歩いていく。夏希は一人残って、先ほどの会話をもう一度思い起こしていた。


「夏希、か。それに五年後、十年後も。そうだったらいいな。でもこのままの関係じゃなくて、だよ」


 どれだけ待たせるんだか、呆れるところもあるけど、こうやって傍にいるから今は良しとする。そうやってずっと過ごしてきた、夏希はそういうやつだ。


「うーん、完全にのぼせた」


 部屋に帰るが早いかひっくり返ってしまう。ひかりが布団を引っ張り出して敷いてくれた。


「いつまでも入ってるからだよ」


「それを言いますかね、はあ」


「あの、悠君、お水どうぞ」


「ああ、ありがと柚子香」


 体を起こして半分ずつに分けてゆっくりと飲み干す。コップを渡すとまた倒れる。


「ま、夜ご飯まで一時間位だろうし、寝てたらいいよ」


「すいませんけどそうしてます」


 戻ってきた夏希がそれを目撃する。一番長いこと入っていたし、そうもなるかと。


「うわ、何してんのよあんた」


「もう何も言わないよ」


「限度を知りなさいよね。ほら、これあげるから」


 ペットポトルのスポーツドリンクを傍に置いた。こうなっていても良いように、気を聞かせていま買ってきたところだった。


「うん、水分補給だけじゃなくて、発汗後にはこれだよね。運動部の基本だよ」


「サンキュ、助かるよ」


 夏希は窓際の椅子に座って景色を眺める。長閑な風景にゆっくりと流れる時間、心が緩む感じがした。得るものがあったから、とてもとても大きな変化が。


「ねえねえ、背中の洗いっことかしたのー?」


「してない! って、ママ完全に飲んでるよねそれ!」


 ガラスびんが机にあって、中身が半分消えていた。一人では寂しく飲まないようなことを言ってたいくせに、舌の根も乾かないうちの飲酒。


「聖なるお水よ、ふぃふぃふぃ」


 どこかの破戒僧のような言葉を口走り、にやにやとひかりを見る。どこか焦点はあっていない。


「最悪。もう、何で飲んじゃったかな!」


「それはね、酔いたくなったの。こうやってお友達が出来て、楽しそうにしてるひかりを見られて、そう思ったのよ」


「ママ」


 親子の絆を感じさせるような一言、皆がしんみりとする。子の幸せを感じられて、酔いたかったと言われたら注意することなど出来るはずもない。


「で、裸の付き合いはどうなの? パーっと脱いじゃって、あんなことやこんなことしたり」


「してない! 酔っぱらい!」


 寝ている悠が顔を赤くしてしまう。あんなことを思い出してしまったからだ。


「悠君、具合悪そうです。顔が赤くなって」


「綾小路、そう言えば楽しめる施設とか言ってたけど、それって何よ?」


「あ、それはですね、天体観測が出来る場所が近くにあるんですよ」


「星が見られるんだ。今日は晴れてるし、楽しみだね!」


 どこまでの施設かははっきりとはしないが、案内を出している以上は、最低限の物を備えてはいるだろう。その位は期待したい。


 ようやく復活した悠が夕食の確認をするために受付に行く。部屋食だと聞いてはいたが、なにぶん初めてなのでどうなのかと。催促をしたわけではないが、旅館側がいつでも提供出来ると言っていたので頼むことにした。


「すぐに食事みたいですよ」


「どんなだろうね、ワクワクするよ! あ、みんなちゃんと味わうんだよ」


「ふふ、藤崎さんここでも先生なんですね」


 早速部屋に料理が運ばれてくる。皆がどこに座るかで一瞬緊張が走る。


「藤崎さんが主賓なので上座にですよね?」


「え、僕が? うーん、そっか」

 

「ママさんはあれだから、綾小路あんたそっち座んなさいよ」


「え、はい」


 酔いつぶれているので椅子に寝かせておくことにして空席。藤田がいつものように綾小路に無理矢理いうことを聞かせてしまう。後は残る場所を埋めるだけだ。


「じゃあ俺はホストってことでこっちか」


「私は空いてるこっちね」


 悠の隣に座り知らんふりをしている。その間にも料理は並べられていく。全てが揃いコップにジュースが注がれていった。みなに注ごうとすると、ビンが二本では足りなかった。


「足りないな、どっか栓抜きあったよな」


「ん、ここだよ」


 ほいっ、と陰に隠れていたのを手渡した。


「サンキュ、夏希」


 何の気ない一言とやり取り、だというのに受け止める側の感覚は違った。不思議に思った者、嬉しく思った者、不審に思った者。


「飲み物が行き渡ったところで乾杯しますか。ひかり先輩、せっかくなので何か一言貰えますか?」


 前ふりなしでいきなりだったが、ひかりは快く引き受けた。どうせ皆の前で言っておきたかったこともあったので。


「うん。今日は僕の為にこうやって集まってくれてありがとう。凄く嬉しいし感動してる。悠ちゃん、藤田さん、綾小路さん、最高の想い出をありがとう。んじゃ、かんぱーい!」


 乾杯を唱和すると皆が笑顔を浮かべる。気持ちが伝わってきたからだ。


「これ、盛り付けのセンスを感じますね。食べる前から心が踊るって言うか」


「立体的な盛り付けだよね。色使いも繊細でいいな!」


「あれ、これ同じ皿のものなのに温度が違わない?」


「え、本当ですね、どうしてでしょう?」


「食べる直前に仕上げてる証拠だよね。個別に最適な提供をしてるんだよ」


 あれこれと講義をしているひかりは生き生きとしていた。心から楽しんでいるのがよくわかる。


「悠ちゃんどうかした? 全然食べてないよね」


「ひかり先輩、その……いや、何でもないです。美味しいですよねこれ、ははは」

 

「ママさん大丈夫でしょうか?」


 椅子にぐてっと座ったまま寝ているのか起きているのか。息はしていたが。


「ははは、寝かしとこうかな。布団あるしそっちにね、悠ちゃん手伝って」


「はい」


 掛け布団を捲って、こっち、と指さす。


「あかりさん、風邪ひきますよ。ちょっとすいません。うわ、軽っ! ひかり先輩も細いけど、あかりさんもだ」


 背と足に腕を渡して抱き上げてしまう。そのまま布団に寝かせた。


 散々食べて満足すると、いよいよ空が暗くなっていた。お泊りイベントはまだ終わらない。


「そろそろ天体観測に行きますか」


「だねっ!」


「あ、虫除けスプレー持ってきてます」


 柚子香が鞄から取り出して見せる。無ければ明日に残念な思いをしているかも知れない。


「このままの格好でもいいのかな?」


「まーいいだろ。旅館での正装みたいなもんだし」


「そっか、まあそうかもね」


 夏希が簡単に納得してしまう。遠くに行くわけでもなく、他に客も居ないらしいので皆も同意した。懐中電灯を一つ借りて、歩いて数分の場所に向かう。小屋のような入口の鍵をあけて、中に入る。屋上が開けた場所で、空が眺められるようになっていた。小屋には天体望遠鏡が置かれている。 懐中電灯で照らして何とか設置した。隣にいる者の顔が何とか見える位の三日月である。


「使い方まではわからないけど、見えるのは見えるよ」


 予め大体の調節がされたまま置いてあるのだろう、少し動かすと星が見えた。


「じゃあ僕も見てみよっかな!」


 場所を譲り悠は空を見詰めた。傍に皆が居るのがわかる。暗闇でひかりが手を握ってきた。見えはしないが悠はやけに焦ってしまう。


「街で見る夜空とは違いますよね」


「花火も良いけど、星空もいいかなって思うよ」


「花火かあ、今度みんなでやろっか!」


 ふとした言葉を現実にしようとひかりが提案する。もちろん拒否するような者は居なかった。


「はい。つい一ヶ月や二ヶ月前には考えもしなかったですけど、今こうやって皆で同じように空を見てるのって、奇跡的なことだと思いませんか?」


 奇跡の部分で握る手に力を籠めた。真意は充分に伝わる。


「そうだね、奇跡だよね。これからもまた起こせるよね!」


「ええ、起こせますよ、絶対に」


 何も知らない二人が奇妙な会話に不思議がる。やがて忘れてしまったが。


「柚子香も見てみろよ、月ってほんとでこぼこだぞ」


「はい」


 ひかりと交替して星を眺める。確かに月ははっきりと模様のようなのが見えた。


「凄くはっきりと見えますね」


「だろ、でも遠くにあるんだよな月って」


「あんたなに当たり前のこと言ってんのよ」


「俺を現実に引き戻さないでくれよな」


「まーだのぼせてるんじゃないの?」


 ネタにされるのも今日明日は我慢するしかなさそうだ。


「かもな。ったくお前だったらいつもそうだよ、ほんと旅行来てまでこれだもんな」


「なによ文句あるの?」


「別に。旅先でも日常だなって気がしただけだよ。学校でも家でも、旅先でも、さっきなんて風呂でも、ほんと夏希はいつも傍に居るよな」


 その言葉にはさすがに反応してしまう。普通ではありえないだろう場所が一つまざっていたからだ。


「えっと、悠君、藤田さんて家でもって?」


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