第20話

 以前酔っぱらって大変な目に遭ったのはひかりのほうで、後始末が憂鬱だった。何よりも深酒はよろしくない。


「ははは。あかりさん絡み酒なんだ」


「悠ちゃんに介抱してもらうから平気よ。あー、でも私一人だったら寂しく飲むこともしないんだけどなぁ」


 意味ありげに風呂場へ行くようにと煽る。この人はさっきから一体何を考えているんだろうか、と皆が薄々勘ぐり始めてしまう。実はこう見えて大概な人だというのは、ひかりと悠しか知らない。


「悠ちゃん!」


「はい」


「お風呂行くよ!」


「ええ!」


「ほら、おいで!」


「ちょ、ひかり先輩、そっちを選んじゃったんですか! よく考え直してくださいって!」


 ひかりはまた悠の腕を引っ張って行く、今までのように。藤田と綾小路はどうしたら良いか岐路に立たされた。寝るのとお風呂までコンプするというのが目の前にぶら下がっていた。そして何よりも、混浴に他の女と二人きりにしてやるはずがない。


「ちょっと綾小路」


「はい?」


「あんたも行くわよ!」


「ええ! でも……私は」


「いいから! ほら、来なさい!」


 藤田は二人の邪魔をする方を選んだ。そのうえで自身の目論見も狙って。大きな視界で行動を見るとしたら、それが誤りだったのかもと思う日が来るのかも知れないが。脱衣場は別々になっていた。が、その先は普段は時間で男女が交互に入るようになっていたのだが、今日は客が少ないので混浴になっている。もっと言うならば、あかりの要望で、だ。


「ひかり先輩、もう一度よーく考えましょう?」


「いいの、ママ酔っ払ったら酷いことになるんだから」


「それはそうだとしても、ね」


「今日は僕のためにここに来たんでしょ。主催がゲストをほったらかしにしていいわけないじゃない」


「それとこれとは。ひかり先輩どうしちゃったんですか」


 勢いだとばかりにひかりが強引にことを進める。由美の言葉があれ以来頭に残り続けていて、こうしたいという意志を、自分自身で尊重した結果である。


「とにかく、お風呂で待ってるからね。来てくれなかったら僕泣いちゃうよ?」


「う、そういう脅迫ってアリですか?」


 ひかりは答えずに脱衣所へ行ってしまった。もうここから戻るわけにも行かない。


「参ったな、これ本当に入って良いのか? あとで大変な目に会いそうな気がするんだが……うーん。 」


 まさかこんなことになるとは全然考えてもいなかった。風呂に行ってみると、現実に人の後ろ姿があった。ひかりが先に湯船に漬かっていた。その後ろに背中合わせで入ることにする。


「あかりさん、何であんなこと言ってきたんでしょう?」


「ママは面白がってるだけだよ。僕と悠ちゃんを一緒にしたがってるんだ」


「でもそれに良いように乗せられてるんですよね」


「もしかして嫌だったかな?」


「そ、そんなわけ、ないですよ! ちょっと落ち着かないのは事実ですけど。いや、ちょっとじゃなくてかなり落ち着きませんねこれは」


 振り向かなければ互いに見えないのだが、存在は認識している。気のもちようなのだ。一緒にさせたがっているのは知っていた、本人談で。


「今日の旅行、凄く嬉しかった。ママに聞いたときなんて涙が出たんだよ」


「そ、そうなんですか? とても喜んでもらえて俺も嬉しいです」


 主催者冥利に尽きるとはこれだろう。そこまで喜んでもらえたら、もう言うことはない。


「凄く良い想い出になるよ。ありがとね悠ちゃん」


「三人でひかり先輩の為に何かって考えたんですよ、俺だけじゃないです」


「先輩は禁止って言ったでしょ」


「あっと、そうでした。俺ら三人お世話になりっぱなしですから」


「僕は僕で結構楽しんでるんだけどね。ところで悠ちゃん、綾小路さんと名前で呼び合うようになったんだね」


 先ほどのことを思い出す。第三者からしてみたら、呼び名が変わったのはアレっと思う部分だろう。


「はい。でもそれだけですよ」


「キスはしてないんだ」


「ええ、それだけじゃなく、手も握ったことすらありません。さっきだって何だか拒絶されてるみたいだったし」


「そう……なんだ」もしかして付き合うと言っても、そんな深い意味無かったのか。ひかりが考えてしまった。そうなら嬉しいとも「でも心配ないよ」


「ダメですよね俺。おっかなびっくり付き合って、距離感が全然わかんなくて」

 

「僕との距離はわかってるんだよね?」


「最近は計りかねてますけどね、ははは」


 チャプン。ひかりが身動きした音が聞こえた。だからとそれを確かめることは出来ない。


「わかってくれてないんだ。お仕置きだね、それは」


「えっ!」


 悠は背中にひかりを感じた。タオル越しに柔らかい感触がある、腕が首に絡んでいた。どうしてそんなことを、強く思いはしたが言葉が出ない。


「振り向いたらダメだよ。僕だけで楽しむんだから」


「ひ、ひかり先輩?」


 ガラガラガラと引き戸が開けられる音が聞こえると、すっとひかりが悠から離れた。また元の位置に戻って行った。


「藤田さんと綾小路さんかな?」


「き、来ましたよ。あいつ本当に居るんですか?」


「ここに居るよ。後ろ向いてるから、おいでよ」


「あの……私、やっぱり」


 綾小路が足を止める。だが藤田が無理やりに引っ張っていった、あんだけ恥ずかしい思いしないとかないから、という勝手な気持ちで。


「一人だけ来ないとか無いからね。ほら!」


 二人が露天風呂に入ってくると木原の後姿が見えた、居るんだなと再確認。


「うわー、綾小路さん、それ本物だよね?」


「え?」


「いや、何でもないよ。胸大っきいの知ってたけど、そんなにあるんだ」


「あっ」


 バスタオルを巻いているが、それにしたって強調している部分のサイズが変わるわけではない。 女子トークするのはよいけれども、直ぐ傍に男が居るので返事も出来ない。


「くー、こいつと居ると私が惨めな気持ちになる。けどこんな恥ずかしいのに、こいつだけ逃げるとか許せないから我慢よ」気を持ち直して藤田も湯に入る「木原、あんたこっち向いたら叩きのめす!」


「あのなあ、俺だって流石にそれは出来ないって」


「ほ、本当ですよ? 私、悠君を信じてます」


 ビクビクしながらお湯につかる。年頃の女の子だ、今後のこともあるので色々と不安でいっぱいだった。


「あ、でも悠ちゃん、見るときには見るよーって言うんだよ」


「見ませんって!」


「でも見たいんでしょ?」


 その線を越えているひかりだけが妙に余裕がある。他者を軽くからかうことくらいは平気なほどに。


「それはまあ、って、何罠を張るようなことするんですか、勘弁してくださいよ!」


 本当に他に客は居ないようで、四人の話し声以外は鳥の鳴き声位しか聞こえてこない。居たらあかりもこんな提案はしていない。


「こんな場所、招待してもらえて僕はとても嬉しい。ありがとね、藤田さん、綾小路さん!」


「私はただそういう話が出て一緒に来ただけですけど」


「手配とか案とか、殆ど悠君がしてくれたんですよ」


 冗談を言ってはいるけど、こちらは本気。顔を見たら何も言えなくなるような満面の笑顔。今回はまいいか、全てを受け止めさせるかのような表情だった。


「うん、悠ちゃんは頼りになるよね!」


「おだてても特に何もありませんよ」

 

 取り留めの無い話というのは、いつでもどこでも成立するようで、結構な時間がお喋りで流れた。その間、木原はその場を去ることも出来ずに黙って湯に入っているだけ。


「さーて、僕はそろそろあがろっかな」


「あ、私も出ますね」


 二人が出て行こうとする、例によって確かめる術はない。外に動くような音がして、声が遠ざかっていく。


「藤田は行かないのかよ、このままだと俺出れないんだけど」


「何でよ、もう少しいいじゃない」


「だって二人ともあがったんだろ?」


 ひかりと綾小路は一足先に出て行ってしまった。それは事実だ。なぜ一人だけ残っているんだよという話。

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