第19話
「はい、そうです」
「良かった、さあ乗って」
待っていてくれた送迎車で旅館に向かう。運転手は半纏をきた旅館のおじさんだった。
「何だか若い人ばかりで良いね。うちは古いところだけどよかったのかな?」
「前に家族できましたけど、あの落ち着いた雰囲気がとても好きですよ」
「おっ、嬉しいこと言ってくれるね。用事があったらいつでも何でも言ってくれよ。うちみたいなとこはサービス勝負だからな」
ああは言っていたが着いてみると古いというよりは、老舗との言葉がしっくり来るような味のある旅館だった。
「わあ、すっごーい! イイネここ!」
「ほんと久し振りです」
「何か思ってたのよりいいかも」
「まずは入館手続きを済ませてしまいましょう」
中へ入るととても落ち着いた空間が広がっていた。襖の設えから、廊下の板まで、何か感じさせるような雰囲気を醸し出していた。
「会員招待券をお願いします」
「あ、はい」
柚子香が受付を済ませる。先程のおじさんが部屋に案内してくれた。
「どうぞこちらです」
連れてこられた場所は、二階の和室で、窓から高原の景色が一望できた。
「何か御座いましたら、電話でも受付で直接でもどうぞ。ごゆっくり」
「ひっろーい!」
「松の間って言うらしいですよ」
「うわっメッチャ高そ」
「まあ素敵ね。あ、悠ちゃん荷物ここに置いてくれるかしら」
思い思いの台詞を口にするのだが、何か忘れられているような気がした。案内を受けたのはこの部屋だけ。
「はい。えっと、部屋ってここ一つだけか?」
そりゃ広いしなんの不満もないけれども、大きくても一間だけ。
「え? はい、ここだけですけど広いですよ?」
「俺も同じ部屋ってこと?」
妙な沈黙が保たれる。一部屋しかないならば、当然そうなるわけだ。
「あっ」
今になり気付いたらしい、もうどうにもならないが。二人とか、四人部屋というのはホテルのことであって、旅館というのはグループごとの部屋という造りが多い。特に古い造りでは。
「ま、いいじゃない。悠ちゃんも一緒に寝たら。ねぇひかり」
「ええっ! うーん、まあ、そうだよね。別にそんな気にしなくてもいいんじゃないかな? ははは」
「ごめんなさい、私はそれでも構いません。藤田さんはどうでしょう?」
「私? えと、ま、まあ皆が良いならいいんじゃないかな?」
風呂と寝るとき以外は一緒、その言葉が頭をよぎってしまった。同じ部屋に寝ることにはなるんだなと。
「ほら、みんな良いよって。悠ちゃん、私が添い寝してあげようかしら?」
「あ、あかりさん、俺で遊ばないでください!」
「そうよねー、私とよりひかりとの方が良いわよねー」
「マ、ママ!」
ほほほ、と笑い飛ばしているあかりは上機嫌だった。ひかりの添い寝、について反応してしまった悠の僅かな部分に気づいた者も若干二名いた。
「木原、あんたなに想像してるのよ!」
「は、え? な、なにも想像してないって!」
「絶対エロい想像してた!」
「だからしてないって!」
一人目。どれだけ些細な変化でも気づける自信がある、当然のように突っ込みをいれた。
「悠ちゃん、もしかして僕と寝たいのかな?」
「ひかり先輩! だから俺で遊ばないでくださいって」
「ははは、いや楽しいね旅行!」
笑いが起きる、木原としては笑うより笑われたとの感覚しなかったが、ひかりが楽しめてるなら良かった、と思えた。
「この先に散歩コースがあるんですよ。行ってみませんか?」
「そうなんだ、行ってみよっか!」
「あなたたちだけでいってらっしゃい。私はここでゆっくりしてるわね」
気をきかせてあかりが居残りを宣言した。ひかりがそれに乗っかる、皆は異存など無い。さすが大人だ、子供たちをきっちりと優先してくれている。
「うん、じゃあ行ってくるね!」
「悠ちゃん、ひかりをお願いね」
「はい、行ってきます」
旅館の裏手に山道が繋がっている。緩やかな坂を登っていくと、小川が流れていた。小さな手作りの橋が掛けられていて、それを越えて行くと野草の群生地にたどり着いた。
「すごく綺麗だね!」
「見たことがないのばっかり。でも何かいいなあこういうの。うん、最高」
「秋に来ると紅葉がとても美しい場所でもあるんですよここは」
「うーん、こうやって普段住んでいる場所を離れると、感性を刺激されるな。ふとしたことが色々と楽しく感じられるよ」
じっくりと見てみたり、遠くをぼんやり眺めてみたり、暫し自然を満喫する。違う、ただそれだけを感じて楽しめるようになれば、世界は毎日が新鮮だ。
「ここはお食事も素敵なんですよ」
「そうなんだ、それは楽しみだな!」
「きっと悠君も気に入ってくれます」
綾小路が木原を悠君と呼んだところで二人の反応が別れた。こいつナニイッテルンダ、という敵愾心と、そうかようやく関係が進められたか、というのに。
「さて、一旦戻るか。帰りはぐるっと反対を回ってみよう」
来た道を戻らずに先へ進む。今度は坂を下っていく、登るよりも疲れてしまうもので、足を滑らせる危険も下りが大きい。
「ここ滑るから気をつけて。ひかり先輩、危ないから手を」
「うん」
悠が手を取って細い道を引いてやる。怪我でもされてしまったらと思うと心配しかない。
「藤田、ほら掴まれ」
「ありがと」
二人は事なきを得て少し先で待っている。木の枝をまとめただけのような小さな橋、落ちたら案外川底が深いとかもあるかも知れない。
「柚子香、ほら来いよ」
今度は悠が柚子香と呼んだ。それに対しても先ほどと同じく反応が別れた、似たような感じで。
「えと、手を。どうしましょう、でも」
「どうした? 危ないから掴まれって」
そう呼びかけても柚子香は立ちすくむだけで動こうとしなかった。
「あの……ごめんなさい、私」
「ちょっと綾小路なにやってるのよ!」
藤田が戻ってきて綾小路の手を引っ張り、二人で細い道を抜ける。木原が手を握るのを邪魔するつもりで。
「藤田さん、ありがとうございます」
「何なのよ、さっさと渡りなさいよ」
それなのに素直に感謝されてしまい、難しい顔をしてしまう。変だなとは思っても、それ以上は深堀せずに進んでいく。
「おーい、こっち見てごらんよ、虹が出てるよ!」
霧が発生していたのだろうか、うっすらと七色が見て取れた。心なしか空気すら美味しく思えてきた。旅とはどこへ行くかではなく、誰と行くかが重要なことが良くわかる。
「晴れで良かったです。天気ばかりは来てみないとどうにもでしたからね」
「そうだね、でもきっと雨なら雨で良かったって思ってたよ!」
「そう言ってもらえると、天気が急変した時に助かります。ははは」
四人は旅館へ戻る。二時間程の長めの散歩だった。遠くへいったわけではない、景色を楽しむ時間が長かっただけ。
「あー疲れた」
「ここの温泉、露天風呂がとても大きいんですよ」
「いいねー、一回入ろっか!」
「はい。あの、ママさんは?」
部屋を探しても居ないので、風呂に行ってるのかも知れないと各自が思った。
「お風呂行ってるんじゃないかな? ま、いけばわかるよ!」
などと話をしていると、ちょうどあかりが戻ってきた。髪が濡れているので風呂に行っていたんだなというのが伝わって来る。
「あらお帰り。どうだったかしら?」
「最高だったよ!」
「そう、それは良かったわ。私は先にお風呂行ってきたのだけど、とても良い温泉よ。皆も入ってくるといいわよ」
「じゃあ折角来たんだし、行ってこようかな」
「はい、そうしましょう」
「うんうん、温泉っていいよね」
「じゃあ俺も行ってきます」
気持ちを盛り上げていく、これからダゾ! と。くつろぎに行くだけではあるが、心持ちの話だ。
「そうそう、さっき番頭さんが言ってたのだけど、今日は旅館自体貸切状態なんですって。夏休みではあるけど、世間では平日だものね」
「え、そうなんですか? じゃあ俺、別の部屋でも」
部屋があいているなら寝る場所だけでも何とか別に貸してもらえるように話をしてみるつもりで。
「悠ちゃん、それはもう決まったことだからね。今さら何を言ってるんだい?」
「だってみんな、寛げないですよね?」
「木原一人だけ別なんて、ちょっと可愛そうな気もするし、いいじゃない、ね?」
綾小路にきつい視線を送る。同意しろ、そう目が語っていた。それにひかりの意思はこのままで良いに傾いている。
「えと、そうですよね。悠君だけ仲間はずれにするのはどうでしょう」
「ねー! そういうことだから悠ちゃん、もう言わないのよ」
「うーん、わかりました」
無事に一つの事柄が解決したのをみて、あかりはすれ違いざまにとても大切な言葉を漏らしていく。
「あー、あと、混浴みたいよ。じゃ行ってらっしゃーい」
ひらひらと手を振って送り出す、自分はもう部屋に戻ってるからねと。が、当然皆の足が止まる。
「混……浴? それって、男も女も一緒に同じお風呂に入るっていうやつ、だよね?」
「そうよ、いいじゃないの仲良く入ってらっしゃい。どうせ他にお客さんもいないし」
「あのー、あかりさん、そういう問題じゃないと思うんですけど。俺、みんなが戻ってくるまで待ってます」
そこは流石に控えるべきだろうと、大いに空気を読む。もうそうせずには居られない。
「そうなの? 私と一緒に飲んで待ってよっか」
「ママ、お酒は控えてよ! 飲んだらすぐに酔っ払っちゃうんだから」
「えー、いいじゃないひかり、そのくらい」
「ダメ。すぐに絡みだすんだよ、みんな困っちゃうでしょ」
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