第12話
知っているわけどはなさそうな答え方、その割りにはやけに具体的な発言、少し疑問があった。
「えと、決まってはいないんですね?」
「そうなんだ、材料とかの都合もあるし。でも俺のリクエストから選んでるから、そんな組み合わせとかかなって」
「そういうことでしたか。木原さんは、藤田さんだけでなく、藤崎さんとも仲が良いんですね」
綾小路の言葉に、そうじゃなくて君と仲良くなりたいんだ、などと返すことが出来たらひかりの力など借りていない。口ごもってからちょっと昔を振り返ってみる。
「二人とも俺が中一の頃からの繋がりだから、そう見えるかも。でも綾小路さんが居づらくならないように気を付けるよ、何でも言ってくれよな」
「はい。あの、私のこと綾小路で構いませんよ?」
「いや、でも」
「木原さんが兄弟子ですから」
笑いながらこの前のことを持ち出してくる。学校でも呼び捨てにされているし、別に気にならないのも普通と言えば普通。
「良いのかなそんな。えーと、じゃあ綾小路」
「はい、私も他人行儀にならないように、木原君って呼びますね」
休憩コーナーで何とも他愛のないやり取りをしながら、二人は本を話題にして暫く一緒に座っていた。数ある料理本の中でも、きっと忘れられない一冊になるだろうと確信する木原だった。
◇
前回のことがあったので、あまり早くにひかりの家に行くようなことはしなかった。逆にそのせいでか、木原の家に藤田がやって来た。ミニスカートに白いTシャツ、薄手のジャケットを着て小さな鞄を肩にかけている。
「おっはよ!」
「なあ藤田、まだ九時なんだけど早くね?」
料理教室の約束は十一時、早いかどうかは当人達の感覚次第だろうか。遅れるよりはよほどましなので、怒るようなことではない。うーん、とは感じる。
「いいの、丁度良くなったら出掛けたらいいでしょ」
「そりゃそうなんだけどな。まあ入ってくれ」
言われてお邪魔します、と上がる。母親は夜勤なので出発前には帰ってくるだろう。木原が顔を洗っている間に勝手に冷蔵庫から飲み物を取り出し、二人分注いでしまった。
「お、サンキュ」
「男って準備楽よね」
顔を拭きながらコップを手にしたのを見て一言。 家を出る二時間前には起きて準備して居なきゃなどと普段のあれこれを想像しながら。
「まあな、確かにそうかも」
「こっちは大変なんだから」
髪のほつれひとつないで、うっすらと化粧が見え隠れする藤田。寝起きで動くような自分と比較すると、大きな差があるのを認めてしまう。
「うーん、綺麗だよなあ」
「え? 今、私を見て言った?」
後ろを振り返ると、壁と玄関しかない。半分寝ぼけているのか木原はぼーっとしていて声が聞こえていないのか、無反応だ。
「そういや朝飯は食ってきたのか?」
ふらりと立ち上がるとキッチンで冷蔵庫を漁りながら尋ねる。それどころではなかった藤田は「う、うん」何とか返事をして深く考え込んでしまっている。
「じゃ、余り物で済ませとくかな」
フライパンに適当に刻んで炒め物を作り出してしまう。火を通せば大体なんでも食べられるし、最期にカレーパウダーでもまぶせば不思議と完成する。
「『綺麗だよなあって』言ってたの私のことで良いよね、それ? まさか玄関やら壁見てってのはないから。ど、どうしたのかな急に、何かあったとか! いや、でも、勘違いとかだったら私恥ずかしすぎるけど。うーん」
喫茶店までは歩いた。人間歩けなくなったらおしまいだ、等とわけのわからないことを言いながら。といってもそんな遠い場所ではない。カランカラン、と懐かしの音を響かせながら店に入る。
「おはようございます!」
「おっはよ、悠ちゃん! 藤田さんも、おはよっ」
「おはようございます、チーフマネージャー!」
部活の呼び方が身に染みているようで、何とも場違いだった。朝にあったことは一先ず脇に置いて、本題に取り掛かるため気持ちを切り替える。
「藤田さん、チーフマネージャー以外で頼めるかな。ほら部活は学校のだからさ」
「あ、はいそうですね。じゃあ、藤崎先輩おはようございます!」
「うん、じゃあそれでよろしくねっ!」
カランカラン。もう一人がやって来る、悠の顔がパッと明るくなった。ロングスカートにブラウス、薄手のカーディガンを羽織った綾小路がお辞儀をしながら挨拶をする。
「皆さん、おはようございます」
「綾小路、おはよう!」
ひかりが微かな違いに気づく、綾小路と呼び捨てたことに。藤田はこちらがデフォルトなので、だから何だという感じで反応がほとんどない。
「集まったね。まずは着替えて来るんだよ、荷物置いてエプロンだけしたらいいからね」
裏にある休憩室に向かう。綾小路と藤田は鞄からエプロンを出したが、木原は休憩室のハンガーから取った。
「木原、それって?」
「ああ、俺のはさ前からここに置いてあるんだ」
「そっか、そうだよね」
何故か軽くイラっと来てしまった藤田だが、そんなことで文句を言っても仕方がない。ここはアウェーなのだ。三人が準備出来たところで調理場に入る。一般客が来たらそちらを優先し、ひかりが対応することにして。
母のあかりはレジや調理以外の全てを担当ということになっていた。必死に調理すること一時間ちょっと、初めての作品に二人は軽い衝撃を受けていた。これを作るのにこんなに苦労している、それが解ったからだった。
「私なんだかショックだわ。炊事って大変なんだってわかった」
「私もです。お母さんに感謝しないといけませんね」
「そうだな、だからこそ自分で出来るようになるためにここに居るんだ。そう思えたのって、凄い収穫だろ、ははは」
何だか気が晴れなさそうな二人に言葉を掛けてやる。その昔に自分も感じたことがあったからだ。知っているのとやってみるのは別問題、経験こそ宝とは言ったものだ。
「悠ちゃんの言った通りだよ。これからが大事なんだからね。ふふ悠ちゃんも大人になったんだね」
作ったものを自分達で食べるてから、今度は洗い物まで全てを終わらせた。味見をしながら作ったものだから、そこについての感動はあまりなかった。自分で作った弁当を開く時の心境と似通ったものがあるかも知れない。
「よし、片付いたね。じゃあ次は座学だよ、悠ちゃんコーヒー持ってきてくれるかな」
「はい。二人は上がっててくれ」
「上がる?」
藤田と綾小路がその言葉に首を傾げてしまう。喫茶店には二階席など無い、階段は見当たらない。
「あ、ああ、ひかり先輩の部屋、二階なんだ」
「そうなんだ、わかった」木原が準備にいったところで「本当に二人きりにしなくて正解だった。これは良くないわ」
トレイにコーヒーを載せて二階へ上がる。ひかりにはいつものミルク微糖、自分も。藤田にはクリームたっぷり無糖。綾小路にはブラックをカップに注ぎ、お好みでとスティクシュガーにポーションを添えてやった。
「うん、さすが悠ちゃん、それぞれに合わせてきたね」
「二度手間にならないようにですよ。綾小路はわからなかったからそれ使ってくれ」
「ありがとうございます。私、コーヒーも紅茶もクリームと砂糖入れちゃうんですよ。太っちゃいますよね」
そんな言葉を教室で言った日には、冷たい視線を全身に受けただろう。これだけくびれていて、出るところは……暴力的なほどに出ているのだから。敢えて緩めの服装をして体のラインを隠しているけれども、アイドル顔負けの体形なのは簡単に想像出来た。
「料理もそこなんだよね。食べてくれる人がどう感じてくれるかって話。心遣いだよね」
木原はクッションに座り、小さなテーブルを囲んで今さらになり気付く。狭い――四人もいたらだが――部屋に女三人、男一人。しかも若いくて人並み以上の容姿を備えている。
「木原、どうかしたの?」
「え、な、なんでもないよ。ほら冷めないうちに飲めよな」
動揺を隠せない。異常に心配したひかりが、なんの躊躇もなく悠のおでこに手をやる。ひかりが木原に触れるのは、もうずっと前から当たり前の行動に含まれているから。
「具合悪いのかい、熱でもあるのかな? ほら悠ちゃん顔が赤いよ」
「そんなこと無いですって!」
そういうことをするから余計になる、などとはこの場で言えるはずがない。否定するだけして、顔をもっと赤くしてしまう。
「木原君、少し横になってお休みになったらいかがですか?」
ついにそんな言葉まで出てきてしまう。三人にじっと見詰められ、ついには「……はい」と答えてしまった。 二人の補助をしながら、自分の料理も作り、準備も片付けも殆ど一人でやっていたから疲れたのかなと思われているのだ。そちらは全く負担になっていなかったが。
「どうして俺はひかり先輩のベッドに寝ていることになったんだろうか? ……ひかり先輩の匂いがする……凄く落ち着くなこれ」
すぐ隣では料理の時の基本、道具の呼び名や使い方、素材の扱い方の勉強が行われている。真面目に聞いているようで、藤田も綾小路も真剣だった。既に木原は理解しているような基本中の基本、今さら聞かなくても良いせいで変な妄想がはかどってしまった。
「何ともないってバレたら、俺怒られるよな。かといっていつまでもこのままってのも凄く気まずいし。うーん。ひかり先輩のベッドだぞ?」
「そういうわけで、食材を加熱するのは食味だけでなく、細菌の――」
ノートにメモまで取り始めている。木原はそこまでやったことがなかったので、かなり力が入っているのだとわかった。さすがに冷静さを取り戻してきたので、起き上がるとベッドから出て来る。
「あーと、ご心配お掛けしました」
布団の乱れを直して謝罪する、それはもう心の底から。不埒者の反省は帰宅してからまとめてしようと心に誓って。
「大丈夫かい悠ちゃん?」
「ええ、良くなりました。顔色、元にもどってますよね?」
「んーそうだね。でも無理したらダメだよ」
非常に心苦しい状態から解放される。かといって部屋に居ること自体になんら変わりはない、この空間はとても危険だ。
「今日はこれでお終いにしようかな。四時か、いい時間だね」
「本日はご指導ありがとうございました」
綾小路がきっちりと礼をする。それを見て藤田も立って頭をたれた。
「藤崎先輩、ありがとうございます!」
「ひかり先輩、俺からも。いつもありがとうございます」
「よしよし、可愛い後輩達だね。おうちで復習するもよし、少しアレンジを試してみるもよしだよ」
答えなんてどこにも無い、自分のスタイルを見つける手助けをしているだけだとひかりは言った。こんなに充実した休日を過ごしたのは、とても久しぶりで自身も大満足している。
「とはいえ最初は復習をお勧めするね。何事も基礎をものにしておいて絶対に損はないからさ」
「だね」
「はい、そうします」
忠告を素直に受け入れる。この事柄にかけては先達なのだ、二人はそれを認めていた。もっともあの腕前を間近で見せられたら、殆どの人はそうなるだろうけれど。
「うんうん、可愛い妹弟子たちで良かったね、悠ちゃん!」
「からかわないで下さいよ。妹弟子って、そういうのじゃないですから」
「あれれ、可愛いってのは否定しないんだね?」
ニヤニヤしながら細かい部分を突っつく。ひかりから見ても二人とも可愛いので、自然と出て来た言葉ではあったが、ご機嫌でからかおうかとしてだ。
「それはまあ、そうですけど。いやそう意味じゃなくてですけど!」
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