第10話
「駅までありがとう御座います」
「いや大したことないから。また来てくれるんだよね?」
「はい、お料理の勉強、頑張ります」
「じゃあ連絡する、気をつけて!」
電車に乗り南へとゆっくりと離れていった。その電車が見えなくなるまで、木原はずっと手を振っていた。
「さーて、俺らも帰るか」
「ね、ねえ木原。私、家に寄ってっていい?」
「何だよそれ」
「ダメかな?」
本日のミッションコンプリート。これであとは家でくつろぐだけだと、ほっとして力が抜けた。後はいつもの藤田が傍にいるだけで、平常運転の気の無い受け答えをした。
「そうじゃなくて、いちいち断らなくても好きなときに来てるだろお前。ってか俺居ない時に母さんと居たりするし、今更だろ。今日はどうしたんだ藤田?」
「そ、そうだよね! ははははは」
二人は駅からマンションへと移動する。ひかりの家からよりやや近い位の距離だ。空はまだ明るい、夏休みも始まったばかりだ。今後どうなるか、そちらに気持ちが向いてしまう。
「次の部活休みは四日後か」
「え、木原なんで知ってるの?」
「スケジュール表見たから。見たってか、貰った、ほらこれ」
写真機能に残してあると付け加える。そこにはバスケ部の一か月スケジュールがあり、更には細かい注意書きまでされている。藤田も知らない予定すら一緒にだ。
「チーフマネージャーそんなことしてたんだ……」
「ははは。まあそういうなって、俺が教えてって言ったんだよ。ひかり先輩は悪くない」
「まあ隠すようなことじゃないからいいけど。でも何でまたそんな……」
隣でポニーテールが左右に揺れる。歩くたびにゆらゆらと。妙に気になってしまった、普段は何とも思わないのに。
「なあ藤田」
「なによ」
「ちょっと触ってみてもいいか?」
「え! えええ! ど、どどど、どこ触ろうとして!」
急に警戒して一歩離れてしまう、不審者を見るような目で木原を睨みつけた。ゆらゆらと揺れていた髪を触りたかっただけだが。
「あ、そんな怒るなよ、ちょっと揺れてる髪が気になっただけだって。もう言わないから機嫌直せって」
「え、揺れてる髪? ポニテ? 私、何を!」
「お前さ、ずっとその髪型だろ。俺結構好きなんだよな、ははは」
まあいいや、と歩いて行ってしまう。焦った後に、急に苛立ちを覚えてしまう。
「木原がそう言ったからずっとこうしてるの! せっかくの機会だったのに、私のバカ! ううん、まだ挽回のチャンスあるわ!」
折角の機会を自ら潰してしまった藤田は肩を落としてから、直ぐに気合いを入れなおして木原を追いかける。今日は随分と気持ちが忙しい。マンションの803号室。何年も前から変わり映えのしない風景、木原はここで育ってきた。
「明日からしばらく暇だな、どうすっかな」
部活をしていない身としては、学校が無ければ確かに暇を持て余してしまう。しかもこれから何十日と続くのだから参る。休みというのはやりたいことがあってこそ価値が出て来るものだ。
「木原も部活したらいいのに」
「パース。俺、そういうの得意じゃないし」
腹も一杯ではあるが、一応コップに麦茶を入れて二つ置く。小さめのテーブルには椅子は四脚で限界、この限界を超えたのは二年前。木原、藤田、黒岩、新田の遊び仲間が家に来た時に、母親も起きていたたったの一度キリだ。
「じゃあ何か趣味とかは」
「パソコンちょっとやるくらいで、趣味らしいものないんだよな」
「まったく今までどうやって生きてきたのよ」
「何となく。まあお前らいたしな」
半ば呆れて言ってみたりはしたものの、自分が居たからなどと返されてしまい藤田は反論も出来なかった。本当に今日は感情の動きが激しく揺さぶられる。
「じゃ、じゃあさ、部活終わった後また寄るから!」
「んー、それ夜だろ。昼は長いんだぞ、また丘でごろごろしてっかな」
すぐ裏にある丘。公園の外れで道路が下にあるので、よう壁が切り立っている。そこからの街の景色は綺麗だった。木原は昔からそこが好きで良く座っていた。
「昼間はご飯作ってて、私が帰りにそれを食べに寄るってことでいいじゃん」
「俺はお前の何なんだよ。ってか藤田が料理か、予想外にも程があるぞ」
笑いながら茶化す。いつも手伝いといえば食器を並べたり、洗い物をしたりするだけだったのだから。
「なによう。いいじゃない私が料理したって!」
「いいけどな。途中で諦めたりすんなよ」
「諦めるとかって、そんな大層なことでもないでしょ?」
「うーん、まあ、それもそっか」
テレビのリモコンに手を伸ばす、昼真っからやっている番組にさして興味があるわけでもなかったが。無言でただ時間が流れて、余暇を一緒に消化してゆくだけ。テレビのことなど何も頭に入らず、ずっと言うべきかどうかで心の準備をして、ようやく口を開く。
「あのさ、触ってもいいよ、髪」
「え?」
「ほらさっき、言ってたじゃない」
「ああ、良いのか? んじゃあちょっとだけ」
椅子の後ろに回って藤田のサラサラの髪をぽんぽんとしてみる。自分で左右に揺らしてみたりし、やがて満足した。身構えるようなことでもないのに、藤田は特別なことかのように緊張する。
「おうサンキュ、悪かったな」
「い、いいけど」テーブルの向かいの椅子に戻ってテレビをまた見始める「部活、無かったら毎日こうやって一緒に居られるんだよね。でも辞めるわけにはいかないよね。木原だって良い顔しないだろうし」
二人は面白くもなんとも無いテレビをつけたまま、時間を過ごす。 今日は本当に色んなことがあったなと思い出しながら。
◇
公園のある丘、何と無くやって来た場所。寝転がって空を見上げていると、とても落ち着いた気持ちになれるので好きだった。
差出人・藤崎ひかり
件名・明後日
本文
みんなが良ければどうかな?
聞いてみてね!
不意にスマホが振動したが、直ぐに大人しくなる。電話がきたのではなくメールが着信しただけだったようだ。母親が手袋を履いたまま使いやすいのが古い携帯だからというので、アプリの類ではなくメールを良く利用していた。
「あ、ひかり先輩。明後日か! よーし早速確認してみよう。緊張するよな」
宛先・綾小路柚子香
件名・明後日
本文
こんにちは。明後日だけど、もし良ければこの前に言ってた料理の勉強、どうかな?
返事待ってる。
「うーん、変じゃないかな? 無視されたらどうしよう」
たったこれだけの文面を考えるのにすら時間をかけて、ドキドキしながら送信を押す。それから数分、落ち着かない時間を過ごした。着信音が鳴った。急いでスマホを手にして表示を凝視する。
差出人・綾小路柚子香
件名・お料理
本文
こんにちは。連絡ありがとうございます。
明後日、是非伺わせて頂きます。
宜しくお願いします。
「やったあ!」
丘の上で突然声をあげたものだから、近くの子供たちの視線を集めてしまった。ついでに、等と口にしながらメールを打つ。こちらに関しては、何も考えずにでいくらでも湧いてきた。
宛先・藤田夏希
件名・明後日
本文
ひかり先輩のとこで料理勉強会だぞ。初回から逃げるなよな。
よしよしと送信してやる、内容はどうでもよかった、なんならどうせ夜に来るだろうからその時に話したって構わない。忘れる前に一応メールしておく、程度の気持ちだ。
「あっれー、先輩じゃありませんか?」
「ん? おお、色葉か何か久し振りだな」
「やった、ラッキー!」
藤田色葉。夏希の一つ下の妹で、去年まではちょくちょく皆で遊んでいたのを思い出す。嬉しそうに木原の隣に座った。姉妹だけあってとても雰囲気が似ている。中学の制服、ブレザー姿だ。木原も去年まではそんなのを着ていたなと思い出してしまった。
「ラッキーって何か良いことあったのか?」
「ありましたよー、先輩発見しましたから」
「俺? そう言ってくれるのはお前ら位だよ。今日は一音や次音は居ないんだな、珍しい。学校いってたのかその恰好」
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