第8話

「ひかり先輩、綾小路さんが来てくれたら、俺どうしたらいいんでしょう?」


「どうしたらって、悠ちゃんはどうしたいんだい?」


 それがとても大切だと、悠の意志を確認する。こういったことだけでなく、常に意志確認は重要で、取り違えると勘違いで大変な結末になることなどいくらでもある。


「出来れば話だけじゃなく、連絡先を知りたいとか、無理でも次の約束をしたいとか」


 次第に消え入るような声になっていく。 なんの経験も無い、ひかりだってそうだけれども微笑む。


「じゃあ、僕がそんな感じになるようにしてあげるから、悠ちゃん頑張るんだよ」


「ひかり先輩が? ありがとうございます。何から何まで頼ってすいません」


「その代わり、ちゃんと僕のお手伝いするんだよ?」


「はい! 何でも言ってください!」


 そのようなことを言わずとも、昔から嫌と断られたことはない。ひかりはひかりで、こうやって頼られるのが心地よい。なんなら依存してくれたらもっと嬉しいかもとすら思ってしまう。


「そうだなぁ、まずは悠ちゃんが習いたい料理を幾つか教えてね」


「そう、ですね」


 役得、と言うのだろうか、趣味嗜好を自発的に聞き出すことが出来ることに、ひかりは少しばかり満足を覚えた。まるで新婚の二人のようだ、そんな妄想を楽しんでいる間、悠は真剣に何を教えてもらおうか悩むのであった。


 前日に買い出しに駆り出された悠は、夜の商店街をひかりと二人で歩くことになった。喫茶店が閉店してから仕込みに取り掛かり、終わったのは夜も遅くなった辺り。何一つ文句を言わずに帰宅し、翌朝は一番でやって来た。


「おはようございます!」


「ははは、おはよっ。まーだちょっと早いよね」


 時計は九時を指していた。喫茶店は十一時から開く、約束自体は十二時だったりする。気が焦っているのはわかるから、強くは言わない。それに一緒に居たいのはひかりの方だから。


「そうなんですけど、落ち着かなくてきちゃいました」


「そっか。まあいいや、お部屋においで」


「はい、お邪魔します」


 昔は必ず左前髪だけを小さくリボンで纏めていた。高校生になって学校ではついぞ見かけないが、今は久しぶりに目にする。些細な変化ではあるが、妙に気になってしまった。


「あの、ひかり先輩って前はいつも片方だけリボンつけてましたよね。もしかして何か深い意味とかあったりしましたか?」


「え、これ? うーん、おまじない、かな」


「おまじないですか?」


 ひかりはクッションを抱いてベッドに座ると続きを話し始める。部屋に悠がいるな、と微笑んでから。この部屋に呼んだことがあるのは二人だけ、深い深い事情があってもう増える見込みはない。

https://kakuyomu.jp/users/miraukakka/news/16818023211809523069


「僕はね、小さい頃に難しい病気に掛かってたんだ」


「病気、ですか」


「友達と外で一緒に遊ぶこともできなくて、いつもベッドで一人きり。あちこちのお医者さんにみてもらったけど、治せるって先生は見付からなかったの」


 難病、或いは状態によっては不治の病。原因がわかっても治療が出来ない、確率の問題で今も昔もそういう病は必ず存在している。


「ある時、また違う病院に行ったら、同じ歳の女の子が話し掛けてきたんだ。そこの院長の娘で、うちなら必ず治せるって。ただ足りないものがあって、それが無ければ手術も無理だって言われたの」


「それって何だったんですか?」


「難しくてよくわかんない専門的な何かと、僕と同じ種類の血液っていってた。珍しいんだって、百万人に一人とかの割合みたい」


「百万って!」


 それは同じモノが存在しないのと同義である。砂浜に落とした米粒を探す程に困難な。稀に血液型でそういう特殊な属性を持っている種類があるらしいのは聞いたことがあった。RHのマイナスとかそういうやつ、それのAB型が特に厳しいとか。


「手術の費用も払えるような金額じゃなかったし。でも、僕に適合する血液が見付かったんだ、二人から」


「百万人に一人なのに二人も!」


「その女の子と院長先生だった。知ってたんだよねその女の子は。ママは何も言わなかったけど、偶然って言うにはあまりにも確率が低すぎるよ」


 目を瞑り少し口を閉ざした。意味することが何かを悠でも理解した。


「姉妹……なんですよね?」


「手術は成功して、でも費用は全く請求されなくて。その女の子が僕にリボンをくれたんだ、これを着けていてくれたら、いつかまた会えたときにすぐにわかるって」


「そう、でしたか。また会えたら良いですね」


 そんなドラマみたいな話、現実にあるものなんだと悠が唸った。そして、心底また会えたら良いなと願った。会ってどうするわけでもないけれども、今はとても元気だよと話せたらなどと。


「実はもう悠ちゃんも会ってるんだよ」


 ふふふ、と笑う。意外そうな表情をされてしまうのが少し愉快だった。


「え、俺が?」


「ふふ。由美なんだ、その女の子って」


 真顔になりひかりが目を細めた、誰にも話したことがない秘密を悠に打ち明けた。何故話してしまったかは、自分にもわからなかった。そんな打ち明け話をされても互いに困るだけだろうに。


「榊先輩がひかり先輩と姉妹。それって、そんなことがあるのか? いや、あるんだよな」


 真剣だった表情を一転させてひかりが笑顔を見せる。誰かに話をすることで、気持ちが軽くなった事実があった。


「これ秘密だからね、悠ちゃんだけにしか話してないんだよ。破ったら責任とってもらうからね!」


「責任って!」


「男の子が取る責任は昔から一つでしょ!」


 そういわれたら何と無く浮かんでしまう、嫌とは感じなかったわけだがそれは直ぐに忘れてしまう。勝手に話しだして、責任なんてとか言い出して抗するという考えは全くない。


「うーん、言いませんから、安心して下さいよ」


「別に話しちゃっても良いんだけどな、責任さえとってくれるなら。むしろうっかり話してくれたらなって思ってる」

 

 どちらになってもひかりは満足だと思っていた。話してしまって後悔するどころか楽しみが出来た位に。


「えーと、まだ結構時間ありますね。俺が早く来すぎたんですけど」


 無理矢理に話題を転じてしまう。今はこのくらいで許してやろうと、ひかりもそれに乗ってやった。


「そうだね、付き合ってあげてるんだから僕を楽しませてよね!」


 行くも退くも大変だと、悠は意外なところで窮地を迎えるのだった。


 どっと精神的に疲れてしまった悠とは対称的に、ひかりはご機嫌で調理場に入っていた。互いの力関係というのは久しぶりでも変わらないものらしい。


「パイをオーブンから出しておいてね」


「はい」


 悠が奥に行ってしまう。その時に扉が開いて客が二人やって来た。半袖にミニスカート姿の藤田夏希と、薄手の上着を羽織ってロングのワンピース姿の綾小路柚子香だ。

https://kakuyomu.jp/users/miraukakka/news/16818023211784090087


「あ、いらっしゃーい。来てくれたんだね!」


「こんにちは先輩!」

 

「初めまして、綾小路柚子香です」


 部活の延長よろしくやって来ると挨拶をする。経緯どうであろうと、それは絶対だと叩きこまれている。


「うん、僕は藤崎ひかりだよ。そこ座ってね」カウンターの裏に回ると「うわぁ、綾小路さん、メチャメチャ可愛いし、凄い胸だよ! 僕なんかじゃ相手にならないよ」 独り言を漏らす。


「あの、お誘いいただきまして、ありがとうございます」


 丁寧に礼をして席につこうとする、藤田は複雑な表情のまま対面の椅子のそばに立っていた。なぜこいつと同席しなければならないのか、などと今さら考えながら。


「まあそんな畏まらなくていいから。僕と不肖の弟子が作ったやつを評価してくれたらいいだけだよ」


「不肖の弟子で悪かったですね、パイここに置きますよ」


 皿に載せたパイを手にして奥から木原が出て来る、お手伝いは約束のうちだ。そういうのが嫌いでも無いので負担とは全く思っても居ないが。


「えっ、木原! あんたなんでここに?」


「あっ、木原さん。あれ?」


 二人が驚いてしまう。ひかりも少し意外だったし木原もだ。数秒のお見合い状態、それを最初に抜け出したのは木原だった。


「藤田、お前こそなんでここにいるんだよ」


「いや、そっちこそ何してるのよここで」


「あれれ、悠ちゃんと藤田さんは知り合いだったのかな?」


 全く関係性が解らない、世間は狭いで終わらせるわけにもいかなそうだ。やっぱり来たか、などという反応よりも偶然がありがたい状況であったりするのは果たして。


「ゆ、悠ちゃんって! 藤崎チーフマネージャーがどうして木原を……ええ」


 皆が皆、噛み合わない何かを抱えたので言葉が続かない。


「あー、そっか藤田はバスケ部だからひかり先輩に呼ばれてか。ほら前に話したことがあるだろ、家庭科クラブの部長だった人」


 オマケがどういう意味かが理解出来て、口火をきった。それこそ二人の関係を知っていたとしてもオマケという単語はガッチリとはまる。


「あっ! そっか、藤崎先輩がそうなんだ! その時は名前とか言ってなかったよね」


「で、お前と同じクラスの友達ってことで綾小路さんか?」


 二人で納得していたが、残る二人は全く疑問が解決していなかった。生きて来た道は全員が違う。


「あの、木原さんと藤田さんはお知り合いなんですか?」


 綾小路が疑問を言葉にする、出来るだけ短く明瞭に。知り合いは知り合いだろうけれども、聞きたいのはそこではないはずだ。


「えーと、私らは知り合いでいいのかな? うーん……それもなんか寂しい感じの表現な気はするけどさ」


「うーん、俺とお前は友達って感じじゃないよな」


 藤田が微かに悲しそうな表情を浮かべる。ただの知り合いなどと思われていたら、ここを飛び出して泣きたくなる。心臓がぎゅっと握られてしまってるかのような苦しさが感じられる。


「なんだろな、最近こそ少なくなったけど、前はちょくちょく家で飯食ってたし、いつも普通に居すぎてて。んーあれだ、もうお前は家族みたいなもんだよな。ははは!」


「か、家族って! なんか、凄く大事な部分飛ばしてるけど……そんな風に思ってくれてたんだ。そっか」

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