第4話

「そう……ですね。ひかり先輩はずっと先輩なんですよね」


「悠ちゃん?」


 立ち止まり悠を見る、どこか遠くを見ているような目をしていた。ふとひかりは、ずっと先輩以上にはなれないのかと、考えてしまった。そんな詮無いことを悩まずに良いように今日を大切にしようと誘ったのだ。


「ほら、行くよ!」


「はい!」


 駅ではなくバス停に向かう。ひかりの家は松濤商店街の外れにあった。以前は何度も料理を教わる為に通った場所、思い出が詰まった場所でもある。


「ね、もうすぐ夏休みだね」


「あと二日ですよ。長いですよね一ヶ月って」


 バスから降りて数分、喫茶店が併設されている家に到着した。一旦喫茶店側に顔を出す、従業員は母親一人しかない。客の入りは数人、といった感じ。


「ママ、ただいま!」


「ひかり、おかえりなさい。あら、悠ちゃんじゃない。中学校以来かしらね」


「あかりさん、お久し振りです!」


 ひかりの母親のあかり、これが不思議と昔から歳をとっていないように見えてしまう。母娘だなと感じられるような面持ちでもあり、服装次第では恐らく姉妹ではとも思えそう。


「ママ、ケーキ二つ貰うね」


 言うよりも早く冷蔵庫を開いていた。あかりも微笑みながら、ホットコーヒーを二つ用意する。ミルクと砂糖を少し入れて。


「熱いから気を付けて持つのよ」


「うん」


「あ、俺が持ちます」


「じゃ、お願いね」


 あかりからコーヒーを受け取り、自宅の二階へと上がっていく。この手の店の造りの共通仕様、自宅へは扉一枚で行ける。


「前に部屋に来たのって、いつだったかな」


 懐かしいひかりの部屋を見て昔を思い出す。家庭科クラブを辞めてから、個人的に料理を教わったものだと。お陰で自炊が出来るようになり、母親の負担を随分と軽減することが出来たものだ。


「どうしたんだい、ほら座りなよ」


「はい。なんだか懐かしいなと思って。二年ぶりなんですよね」


「そっか、そうだよね。懐かしいって位、来てないんだよね」


 妙に切なげな一言だった。時間は残酷で、二人を離れ離れにしてしまった。高校で部活が本格的に始まると、殆どの休みが練習に費やされてしまい、料理を教えるような時間が無くなってしまった。コーヒーを置いて座ると、想い出を語る。


「俺が家庭科クラブに入った時のこと覚えていますか?」


「うん。他に男の子が居なくて、一人だったよね。それで僕が話し掛けたんだよね」


「『僕が料理を教えてあげるよ』忘れませんよ、あの時の言葉」


 感慨に耽ってしまう。女子ばかりのクラブに一人ぼっち、誰に話し掛けても苦笑いして返事をしてくれない。やっぱり辞めよう、そう思った時にひかりが声を掛けて来た。


「最初はハンバーグだったよね」


「はい。でもそれで余計に周りのやっかみが酷くなったりして」


 ひかりに憧れていた、二年の女子が嫉妬して悠に嫌がらせを始めたのだ。当然ひかりが知らないところで、悠も誰にも言えずに。言えばひかりに迷惑が掛かると。


「そうだったね、僕のいないところで」


「別の女子から回り道した話を聞いてやってきて『僕が悠ちゃんを守ってあげるよ!』って言われた時の衝撃は無かったな、ひかり先輩が女神に見えた位です」


 男女の別はある、あるけれども未だ十二歳やそこらでは、一年、二年の年齢差があまりにも大きい。年長者が年少者を守ろうとするのは自然な流れ。


「ふぅん、あの時だけなのかな?」


「ははは、少し訂正しますね。あの時からずっとひかり先輩が女神に見えてますよ」


 笑いながら、心の底にある想いをちらりと覗かせる。無意識に色々と喋ってしまったことは気づけずに。ひかりはそれを知ってしまっているので、大きく頷いて満足を示す。


「それじゃ訂正を受け入れようじゃないの」


 それでも一年経ってひかりが卒業すると、悠はクラブを辞めてしまった。辞めさせられた、その方がより正確な表現かも知れない。女性ばかりのクラブで居場所がなくなってしまったのだ。


「ひかり先輩、また卒業しちゃうんですよね……」


「僕、大学を受験するんだ。でもまた二年で……いや、二年って絶望的な時間だよね」


 二人が黙りこんでしまう、今回は同じ高校だったから関係が復活したけれども、大学はその数が違う。学力の問題や、学費も学部も様々だから。黙ってテーブルを見詰めて暫く時が流れる。


「ケーキ食べよっか!」


「そうですね」自分がいかに酷い相談をしようとしているのか、悠は全く気付かないで悩んでからついに口にしてしまう「ひかり先輩、あの……俺、今気になる人が居るんですよ」


「気になる人?」

 

 それが綾小路という女性なことは既に知っている。話を遮ることも出来た、けれども向き合わなければまた離れてしまうという恐怖が勝ってしまった。


「はい。いつも同じ電車に乗ってて、こんな俺なんかにも微笑んでくれて。なんか釣り合わないのは解ってはいるんですけど、凄くドキドキして……」


「何て言う娘なんだい?」


 楽しそうな表情を作って、辛い内心を隠して付き合ってやる。そうせずとも別に良いのに。


「綾小路柚子香っていうんですよ。でも、通学の時しか話できないし、もうすぐ夏休みで……」


 肩を落としてしまう。会えなくなることでこうまでなってしまう、自分ならばどうなるのかを考えてしまった。


「夏休みだよね、僕も暫く会えないのかな。それもやだな……」小さく呟いてから「……ね、誘ってみたらどうだい?」


「えと、誘う……ですか?」


 そう言われても何をどうしたら良いか、悠は困惑してしまう。そんなことは百も承知でそのさきを想像するとひかりが提案する。


「ここに。ほらこれあげるから!」


 財布にしまってあった自身の店の無料利用券を手渡す。宣伝の為に作ったものだ。


「でもイキナリはちょっと……間飛ばしすぎじゃないですか?」


「そこはもうダメで元々やってみなきゃね! でも断られてもちゃんと来てよね。ん、そうだ! 悠ちゃん、夏休みに僕がまたお料理教えてあげるよ」


 それなら長い休みでもちゃんと会える、何よりも二人の時間が取れるのでとても嬉しい。ひかりならではのスペシャルだ。


「え、良いんですか!」


「うんうん、もちろんだよ悠ちゃんだもの。それでね、閃いちゃった」


「何をですか?」


 やけに楽しそうに間をためてくる、ちょっと不安にもなってしまう。にやにやしてじっと見詰められると、何故か悠のほうが恥ずかしくなってきてしまった。


「綾小路さんのこと、僕が誘っちゃおかなってね!」


「ええっ! ど、どうしてそうなるんですか」


 相手の事を何も知らないのに、どうしてそんなことが言えるのか。悠の常識では絶対に答えでない。


「だって、悠ちゃんが誘うより、女の子が誘った方が行きやすいじゃない。それにどんな娘か見ておきたいしね」


「うーん……そんなもんですか。でも誘うなんて出来るんですか?」


 難しいだろう部分を指摘せずにはいられなかった。どういう経緯で結果を引き寄せるのか。


「出来るよ、僕が悠ちゃんに嘘を言ったことなんてあったかい」


「それは、一度もありませんけど」


 いくらなんでもそれは……と尻込みする。が、ひかりは別に真の目的があったので勝手に手筈を考えてしまった。


「決まりっ! だから悠ちゃんは夏休みに僕のとこにちゃんと通うんだよ、いいね?」


「うーん、わかりました。ひかり先輩は強引だなあ」


「オネーサンに任せておきなさい。悪いようにはしないよ」一年四組のバスケ部部員が誰だったかを頭の中で速やかに検索する。そしてお願いが出来るかを判断して満足すると、これまた小さく呟く「これでどっちになっても悠ちゃんとは夏休みに会えるよね」

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