第15話「これが私のスキル」

 首に剣が触れた瞬間。


 世界の呼吸が止まった。


(……………なんだ……これ……?)


 死の瞬間は世界がスローモーションのように見えて、走馬灯?とか言うのが頭の中に流れてくることは、いつだか殺したチンピラが死の間際に白目を剥きながら教えてくれた。


 このことだったのか、と俺は一人思った。


 だが、この状況で生き残る術はない。


 もう完全に詰んでいるのだ。


 見てみろ。


 ファルムンドの剣が動けない俺の首元に伸びてる。


 剛腕から伸びる剣は絶対に止められない。


 誰がどう見たって次の瞬間には首を飛ばされて死ぬ状況。


 それなのに俺の脳みそはまだ俺をいきながらえさせようと努力しているというのか。


 やっぱり俺は馬鹿だったらしい。


 もし生まれ変われるのなら、もう少しだけ冴えた脳みそが乗っかった赤ん坊にしてもらおうと考えていると。


 砦の向こう側、フランやアマネがいたはずの方向から目が焼けるような光が爆発した。


 時の止まった世界で、その光は俺ごと全てを飲み込んで……。



 ———



「怪物さん」


 俺は目を瞑っていた。


 さっきまでと肌に感じる温度が違う。


 まるで室内にいるような暖かさの中にいた。


「怪物さん……?」


 とても静かだ。


 これが死後の世界なのか。


 穏やかで落ち着く、そんなこと望んだことなどないにも関わらず、なぜだかこの状況が心地良い。


 まさか地獄ではなく天国に飛ばされるとは、日頃の行いのおかげかね。


「あの〜筋肉だるま〜?」


「うるせえ!俺は今余韻に浸ってんだよ!!」


 俺はカッと目を開けて先ほどから異音を発する存在に向けて叫んだ。


 そして視界に映った光景に、一気に現実へと引き戻された。


 部屋だ。


 天国じゃない。


 俺がいたのは昨日まで泊まっていた宿の一室だった。


 そして俺はその部屋の扉に寄りかかって座っている。


「これは、一体どういうことだ」


 戸惑いつつも、俺はこの不可思議な現象の元凶と思われる存在に話しかけた。


 目の前で紺色の本を持ってちょこんと座っている白髪赤目の少女。


 フラン。


「これが、私のスキルなんですよ」


 彼女の顔を見れば、頬は赤みを帯びて、額からは汗がこぼれ落ちている。


 耳をすませば聞こえてくる呼吸は乱れており苦しそうだ。


 普通じゃない。


 いや、彼女が普通の少女ではないことは前からわかっていた。


 問題はそこではなく、彼女のスキルだ。


 一般的にはスキルを使ってもここまで体力は消耗しない。


 それなのに目の前の彼女はまるで命を削ったかのように消耗している。


「はぁ…わ、私のスキルは時間転移です。私と対象者、二人の時間を過去と未来、その両方へ飛ばすことができます」


 息を切らしながら少女は答えた。


「私以外の人間とこのスキルを使ったのは初めてなので、少し消耗しただけです………」


 ってことはつまり、彼女のスキルは時間操作系のスキルだったってわけだ。


 しかも今の説明を聞いた限りじゃ、過去だけではなく未来にも行くことができる。


 俺が知る限り、こんな並外れた力を持つスキルは聞いたことがない。


 こりゃ国のお偉いさんも必死になって捕まえようとするわけだ。


「と、とりあえず……怪物さんが生きてて……」


 確かにフラン。


 お前のスキルは凄い。


 だがな。


「おいガキ、俺がいつ助けてくれなんて………って、ん……?」


 俺が説教を始めようとすると、フランはパタンと床に倒れた。


「おい」


 声をかけても返事がない。


 小さな身体は熱を発しながら大きく呼吸を繰り返している。


「マジかよ……」


 俺はとりあえずフランをベッドに戻した。


 まだ頭が状況を飲み込めていないのに、今度は急にガキの看病だ。


 ガキの看病なんてしたことないぞ。


 俺は風邪なんて引いたことないし、どうすればいいのかよくわからない。


 数秒悩んだ末、とりあえず水で絞ったタオルをフランのおでこに乗せた。


 彼女の隣のベッドに座り、状況を整理する。


 彼女の話が本当だとするならば、俺は彼女とともに過去に戻ってきたことになる。


 正確にいつなのかはわからないが、この部屋にいるということは直近だ。


 死の瞬間。


 首筋に迫るファルムンドの剣の切っ先を思い出した俺に悪寒が走る。


 ぞっとした。


 俺は死ぬことなんて怖くないと、そう思って生きてきたのに、まさか死に恐怖心を抱くことになるとは。


 死からの救済。


 俺は彼女に助けられたのか?


「いや、助けてくれなんて頼んでない...」


 そうだ。


 俺はこんなこと望んでいなかった。


 俺は闘って死にたかった。


 それなのに勝手に過去に戻されて、フランの奴は安心していたようだが、俺としてはたまったもんじゃない。


 彼女に恩はない。


 俺は絶対に感謝なんてしないぞ。


 そう考えていると、苦しそうに寝返りを打ったフランのおでこから冷やしたタオルが落ちた。


 立ち上がった俺はそれを水につけて絞る。


「どうするかな....」


 とりあえず過去に戻ってきたことは間違いない。


 数日、もしくは数時間もすればアクネスから連絡が入り、ファルムンドのいるあの国境まで呼び出されることになる。


 だが、前回と違うことが一つある。


「う....うぅ.....」


 彼女の容態が良くないのだ。


 スキルを使ったせいなのか、それとも他に原因があるのか。


 俺には分からないが、どう見ても一日やそこらで回復するようには見えない。


 これじゃ国境に向かうにも遅れが生じるだろう。


「このガキは一体、何がしたかったんだ...?」


 俺は、再び寝返りを打って仰向けになったフランのおでこに冷やしたタオルをのせた。



 後日。


 アクネスからの連絡が入った。


 どうやら俺が戻ってきたのは一日ほど前だったようだ。


 フランが紺色の本を買ったのは国境に向かう一日前だからよく観察すれば分かることだった。


 アクネスにはフランの容態を伝え、今すぐに向かうことはできない旨を報告した。


 するとなぜか、アクネスがすぐこちらに向かうとのことで半日もしないうちにフランが眠るこの宿へとやってきた。


 現在この宿にいるのは俺含めて四人。


 ベッドで眠るフラン、それを近くで見守るアマネ、腕を組みながら壁に寄りかかる俺と、なぜか神妙な面持ちでフランを見下ろす拝金主義者だ。


「彼女、突然こんな風に?」


 アクネスが聞いてきた。


 俺とアマネ、どちらに聞いたのかはわからなかったが、とりあえず俺が答えることにした。


「ああ。原因はよくわからん」


 彼女のスキルについて話そうか迷った。


 だが、そんなことを話せばこの拝金主義者がどんなことを提案してくるかは大体想像ついたから辞めた。


 俺は何度もループしてやり直すなんてごめんだ。


 それに信じてもらえるかもわからないしな。


 この小さなガキが神に等しい力を持ってるなんて、俺でも未だに信じられない。


「とりあえず様子を見ましょう。本部には俺が連絡を入れておきます」


「そりゃどうも」




 それから数日経った。


 ある程度看病の仕方をアクネスの野郎から教わったが、フランの容態は一向に良くならない。


 むしろ悪くなっている。


 最近じゃ咳もするようになった。


 人間体力を消耗したくらいじゃ咳をすることなんてないと思うんだが。


 アマネは途中まで何度も見舞いに来ていた。


 だが最近じゃ来なくなった。


 どうやら組織のボスがフランに見切りをつけたようで、この少女一人のために数少ない組織の人員を割くわけにはいかなくなったらしい。


 それでアマネは別の任務に飛ばされたってわけだ。


 最後に会ったとき、彼女は名残惜しそうにしながら、「グリムス。あなた、最期まで責任は持ちなさいよね」と俺に言った。




 それからまた、数日経った。


 いい加減看病に飽きてきた俺は、フランを置いてとんずらしてしまおうかと考えた。


 だってそうだろ。


 最早組織にとって彼女には価値がない。


 ここに俺だけいて何になるって言うんだ。


 深く溜息を付いた俺は椅子から立ち上がった。


 部屋を後にしようとドアノブに手をかけると。


「か、怪物さん........。もう、行っちゃうんですか........」


 フランが口を開けた。


「ああ。悪いがもうお前に価値はないらしい。その状態じゃ連れまわすこともできねえし、これで旅も終わりだな」


「........そうですか」


 諦めているような、この結末が分かっていたような、そんな声だった。


 ガキにしては聞き分けがよく度胸があったのは、彼女のスキルのせいだったのだろうか。


 他のガキよりも体感してきた時間は長いはずだ。


「そういうことだ」


 しばらくの沈黙。


 俺は「水を汲みに行ってくる」と言って、フランのおでこにのせるタオルの水を汲みに部屋を出た。


 その際何度も、部屋に戻ろうかと悩んだのだが、水を汲みに行ってくると伝えた以上は戻るべきだと判断した。


 そして戻ってきた。


「怪物さん。最後に一つ、お願いできますか?」


「だめだ」


「報酬は、先払いしてるはずです」


 なんのことだ?と一瞬思ったが、ポケットに手を突っ込んでみるとそこには、最初に彼女から受け取ったマジックアイテムの指輪が入っていた。


 まさか、彼女はここまでの展開を知っていたのか。


 呆れながらも俺は、彼女のお願いとやらを聞いてみることにする。


「こっちに来て、この本を一緒に読んでもらえませんか?」


「自分で読めばいいだろ」


 本を読むのは苦手だ。


 声を出して読むなんてのはもっと苦手だ。


「もう、目も開かないんですよ」


 見ればフランの赤い瞳は閉じていた。


「........ったく」


 彼女の手のひらの上で踊らされているような感覚に陥りながらも、俺はベッドの隣に座り込んだ。


 そして、紺色のボロボロになった本を開き、彼女の願いを叶えた。




「じゃあ、これでやっとお別れだな」


 願いを叶えた俺は早々にその場を立ち去ろうとする。


 これ以上ここにいたら頭がおかしくなりそうだ。


 彼女は一体どこまで先の未来を見ていた?


 考えただけでも........いや、考えるのはよそう。


 俺の頭で考えても無駄なことだ。


「怪物さん。わたし、あなたに会えて、楽しかったです」


 その言葉を最後に、俺は部屋を後にした。


 しばらく外の冷たい空気を吸いながら街を歩いた。


 そういえば、一つの街にこんなに長い間滞在したのは初めてだったかもしれない。


 街灯、噴水、ベンチ、酒場。


 あてもなく彷徨っていると、ふと思い出す。


 今回の任務は結構楽しめた。


 今後絶対に味わえないであろう体験を味わってしまった。


 殺し屋どもと戦って、戦略級とも戦って、殺されそうになって、過去に戻って........。


 そんな体験ができたのは....。


 立ち止まった俺は、今にも雪が降り出しそうな暗雲を見上げた。


 日は落ちて、月が雲を照らしている。


「ちょっとくらい感謝してもいいか...」


 いつの間にか俺は街にあるポーション屋まで来ていた。


 マジックアイテムでの回復は微量の魔力を消耗するが、ポーションならばその必要がない。


 だからここに来た。


 店内にはたくさんの種類のポーションが並んでおり、その中には回復のポーションも。


 店員に効果を聞いてみれば、どんな傷でもたちまち治るらしい。


 どんな傷でもってのは売り文句だろうが、ないよりかは幾分ましだろう。


 適当に店で一番高いポーションを買うと、俺は宿に戻った。


 餞別ってやつだ。


 数時間前までいた部屋の扉を開けると中に入った。


「おいガキ」


 いつも通り、寝ている彼女を起こすためベッドの椅子を蹴る。


「おい」


 もう一度蹴ってみる。


 が、反応がない。


 机の上には、一枚の手紙が置いてあった。


 さっきまでここにはなかったものだ。


 手に取ると、俺は手紙に目を落とした。


『これを読んでいるということはやっぱり戻ってきたということですね。色々伝えたいことはありますが、怪物さんは読むのが苦手だということが痛いほどわかったので簡潔にします。実は私、とある病で先が長くなかったんです。それでも、重くて寂しい足を動かし続けられたのはあなたのおかげです。あなたの香り、あなたの口癖、あなたの背中、最後にそれを知れてよかったです。あと、エキサイティングなことも。やっぱり私の選択は間違ってなかった。悪いことはほどほどに。それでは、ありがとう、怪物さーー』


 俺は、そこまで読むとその手紙をぐちゃぐちゃに丸めて捨てた。


 目の前には既に息のない抜け殻となったガキが眠るようにして死んでいる。


 俺は倒れるようにして椅子に座り込むと、深く溜息をついた。


「これだから、弱い奴は嫌いなんだ」


 買ってきたポーションが落ちて割れた。




 それから何時間経っただろうか。


 あまり覚えていない。


 とりあえずフランのピクリとも動かない身体を抱えながら街を歩いた。


 死体をそのままにしてたら宿主に悪い。


 悪いのか?


 よくわからなくなってきた。


 このぐるぐると渦巻く感情がなんなのか、俺にはわからない。


 わかりたくもない。


「探したぞ。まさかこの街にいたとはな」


 歩いていると、どこからともなくやってきた男が俺の目の前で止まった。


 背中に剣を差し、オレンジ色の瞳が街灯に照らされ爛々と輝いている。


 一視当千のファルムンドだ。


「その少女を渡せ。今すぐに」


 フランの白髪を見た男は確信したように狙いを俺に定めた。


 俺は冷めた目でファルムンドを見つめる。


 沈黙が続くと、男が静寂を裂いた。


「雪か........。この国で雪とは珍しいな」


 男の言葉に空を見上げれば、粉のような雪が天から降ってきていた。


 俺はフランの人形のようになった顔を見る。


 わかっていた。


 この世界はどこまでも理不尽で、非情で、無慈悲で、情け容赦ないことを。


 だから俺は........。


「そうか」


 そうだったのか。


 やっと理解できた。


 俺が他人を殴るのが好きな理由が。


「はっ。リベンジマッチと行こうぜ」


 俺は口を開いた。


「は?私とお前は初対面のはずだが」


「ああ。そうだったな」


 フランを抱えながら、俺の心臓の鼓動は早くなる。


 体中に血潮が走り、興奮が増す。


 そうだ。


 俺は、この高揚感がたまらなく好きなんだ。


 絶対に越えられない理不尽な壁を、この拳で砕くのが。


「お前には選択肢が二つある。一つ、ここで死ぬまで殴られる。二つ、尻尾巻いて逃げるかだ」


 首を鳴らした俺は、男に聞いた。


 ピクリと眉を動かしたファルムンドは背中の剣を抜く。


 俺はその反応を見てニヤリと笑った。


「————そうかッ!!」


 なあフラン、お前はここまで視えてたのか?

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