百二十四話 謀りて忠、交わりて信

「そう……やはり難しいのですね」


 私の話を聞き終えて、塀(へい)紅猫(こうみょう)貴妃殿下は、ゆっくりと飲み物を口に運んだ。

 林檎の皮を干したお茶だな。

 棘のない甘さと香りが、体も部屋の雰囲気も温めてくれる。


「私が知っているのはそこまでです。角州(かくしゅう)を離れてからは、詳しい連絡がありませんので、今はどうされているのか」

「いえ、よく話してくれました。気を遣わせてばかりでごめんなさい。会ったばかりの私なんかのために」


 とりあえずのところ、塀貴妃は私の伝えることに納得してくれたようだ。

 私はその上で、周りに人がいないことを利用し、失礼を承知で敢えて言った。


「もし漣(れん)さまが東苑(とうえん)の貴妃になられても、変わらず仲良くできますよ。環(かん)貴人も他のお妃さまたちとの交際には積極的でしたし」


 住む部屋が少しくらい遠くなり、立場がわずかに変わったとしても。

 塀貴妃と漣さまはこれだけニコイチの間柄なのだから、心配するほど疎遠になることはないだろう。

 むしろ今の時点ですでに、二人の間には位の上下を感じさせない、美しい絆が存在しているじゃないか。

 同じ貴妃同士の位階になったところで、いったいなにが変わろうか。

 いや変わることなどあろうはずがないのだ、と反語用法。

 信頼ですよ、大事なのは。

 なんて、けちな嘘つきの分際で生意気にも意見する私であった。


「ありがとう。でも私が心配しているのは、個人的な付き合いだけの話ではないのです」

「と、おっしゃいますと?」


 私の疑問に苦笑いして塀貴妃が答える。


「朱蜂宮(しゅほうきゅう)の南苑は、正門に直接繋がる、聖域中の聖域。そのため私のように、禁呪護法に長けた女が貴妃として据えられることが多いのです」

「お噂はかねがね。大変なお役目かと愚考します」


 銀月(ぎんげつ)さんが前に話していたことだな。

 翼州(よくしゅう)公を世襲している塀家は、どうやら皇帝陛下の出身である涼(りょう)家と同じく、結界や緊縛呪術の強い力を祖先から受け継ぐ。

 だから神台邑(じんだいむら)の水濠が示す通りに、怪魔などを寄せ付けない異能を発揮できるのだ。

 しかし、と塀貴妃は続ける。


「漣の祈りは、それ自体にも除悪(じょあく)の権能がありますが、同時に私の護法を大きく強化する力を持っています。漣が南苑から離れてしまえば、正門の護りは私一人の肩に重くのしかかってしまう。私は、それが怖いだけの、自分勝手な女なのです」


 要するに塀貴妃の魔法はプロテクションや敵に対するデバフ付与で、漣さまの祈りはその威力と持続を高めるバッファーなのか。

 言われてみれば覇聖鳳(はせお)が襲来したときも、後宮正門と南苑は、ビクともしていなかったはずだ。

 覇聖鳳個人は憎らしいことに結界破りの異能を持っていたけれど、部下全員がそうであるわけではない。

 南側は力押しで攻略できないことを、後宮の内通者から覇聖鳳は事前に知らされていたのではないか。

 だからこそ、北からの侵入に固執したのかも。

 覇聖鳳ですら、南苑は攻めあぐねて、ハナから無理だと諦めた。

 不慣れな手つきで北苑の壁を壊しにかかったのは、実はそれが理由だったのか?

 ある意味で、覇聖鳳は戦う前から、塀貴妃と漣さまに勝てなかった。

 だとしたら、めちゃくちゃ、スゲーことじゃん。

 と、やつとの悪戦苦闘を経験した私は思う。

 私だって頑張ったもん! と意地を張ってマウントを取りたい気持ちはあるけれど、私と別の場所、別の方法で、お二人も戦っていたのだ。

 おかげで私たちは、北苑から侵入しようとする青牙部(せいがぶ)を返り討ちにできた、とも考えられる。

 それは真摯に認めなければいけないのだよな。

 しかし自嘲して話す塀貴妃は、とても寂しそうだった。

 私には呪いだの祈りだのの詳しい話は正直、わからない。

 でも、自然と、口から出る言葉があった。


「それは、お二人の心が通じ合っていればこその力ではないのでしょうか」

「……どういうこと?」

「少しくらい離れても、顔を合わせる日が減っても、漣さまは変わらずに、後宮のため、塀殿下のために祈られるはずです。僭越ながら、わたくしごとを申させていただきますが」

「どうぞ。遠慮しないで言って」

「私も神台邑の友だちと離れ離れになって、淋しく思う日がありました。けれど、みんなは『ここ』にいてくれたのです。遠く離れていても、心は繋がっていたのです」


 私は自分の薄い胸を抑えて、在りし日を思い出しながら語る。


「胸の、内に……」

「人の想いは、馬よりも疾く彼方を駆ける、そう泰学(たいがく)にもあります。大事なのは、そこにいてくれると想い、信じることではないでしょうか。ここにいないと思ってしまうと、それが心の距離になってしまうのではないでしょうか」


 絆は、お互いを想い合う心は、いつでも傍に、胸の中にあるのだ。

 それを信じ抜くことが、一番大事なんじゃないかな。

 真剣な瞳で私を見据え、耳を傾けていた塀貴妃。

 わずかに明るさを取り戻した笑顔を浮かべて。


「あなたの言う通りですね。私も、そう思うことにします。漣が貴妃に昇るなんて、嬉しいことのはずなんですから、子どものように駄々をこねて邪魔してはいけませんね」


 そう言って、目からわずかに光るものを袖の先でぬぐい。


「私、誰かに面と向かってそう言って欲しかったのかも。人から言われるまであの子を、漣を信じきれないなんて、恥ずかしい……」


 少し吹っ切れたように言った塀貴妃の顔は、あどけなく純朴で。

 町にいる普通の女の子のように、可愛らしかった。


「どうやら、塀貴妃はシロだな」


 漣さまのお部屋に戻りつつ、私は考える。

 最初は、呪術の達人だからという安易な条件で疑ってしまった。

 けれど、そもそも翠さまに嫉妬や恨みを抱いているのなら、私にこれだけ誠実な態度で向き合ってくれないだろう。

 むしろ私を遠ざけたり、貶める方向に意識が働くのではないかな。

 ついこの前にいちゃもんをつけて来た、欧(おう)なんとかという美人さまの方が、よっぽど悪意があったわ。

 塀貴妃はなんと言うか、良くも悪くも、普通の人だと私は思った。

 自分の弱さや小ささを自覚している、常識人だ。

 誰よりも強い翠(すい)さまや、誰をも魅了する玉楊(ぎょくよう)さんと、自分は別の人種なんだと、自分自身で認めているのだろう。


「いくら家柄が良いったって、そんな人が統括の貴妃なんかに祭り上げられて、大変だろうな」


 同情の念に堪えない。

 しかし、塀貴妃が裏表のない優しく真面目な、好感の持てる方だったとしても。

 私が環家や戌族(じゅつぞく)に関する重大な情報、真実と本心を彼女に開陳するかどうかは、また別の話である。

 ありていに言えば、私は塀貴妃に真実と虚偽を織り交ぜてお話ししたのだ。


「覇聖鳳に止めを刺したのは、実は私ではないんです」

 

 とかの部分ね。

 これは、正妃の素乾(そかん)柳由(りゅうゆう)さまに審問されたときも同様である。

 皇太后陛下は真実に近い部分を知っているけれど、馬蝋(ばろう)さんを通じて相談し、話を変えることには了承を得ている。

 相手が信頼できるかできないか、それは問題ではないのだ。

「そういうことにしてしまおう」という、事実を曲げた筋書きが私たち仲間内に存在し、誰が相手であってもそう伝える、世の中にそう思わせると、決めていることだから。

 情報の虚偽部分が、もしも私たちの「敵」に伝わってくれれば。

 幾ばくかの揺さぶりとして、働いてくれるかもしれない。

 そんなはずがあるか! と相手が思ってくれれば、しめたものだからね。

 動揺して余計な行動を晒したやつが出て来てくれたなら、そいつが私たちの、敵だ。


「嘘を言わずに過ごせる日々は、いつやって来るんだろうなあ」


 降り続けるみぞれ交じりの雨。

 廊下の窓からその様子を眺めて、私は呟く。

 きっとそれは、神台邑の建物や畑を再建するため、土地と気候を相手に奮闘するその日まで、訪れないのだろう。

 早く問題を解決して、翠さまの赤ちゃんとこんにちわして、神台邑に戻らないと。

 私が、私でなくなってしまう。

 後宮の侍女、麗ではなく。

 私は神台邑の、麗央那なのだから。


「お帰りなさい。さ、夕食にしましょう」


 部屋に戻ると、孤氷(こひょう)さんが言うように、卓上に夜ご飯が並んでいた。

 どうやら漣さまはもうご就寝なされたらしい。

 私が塀貴妃となにを話していたのかとか、気にならないタイプなのかな。

 小学生のときにいたよね、自分の友だちが他の子と仲良くしていると、嫉妬して意地悪しちゃう子。


「この草モチ、美味しいですね。ヨモギとは違った味わいで」


 浅く緑がかったおモチをもぐもぐと頬張り、私、ご満悦。

 塩気のある川魚の鍋ものと、相性抜群である。


「大麻(おおあさ)ですね。気に入ったのなら、もっと取り寄せましょうか」


 麻薬じゃねーか!

 儀式のために多めに買っておいた大麻草が余ったから、食事のメニューになってしまったんだな。

 知らず知らずとは言え、結構な量を食べてしまったよ。


「そ、そうなんですねー。で、でも少し食べたら、もう満足かもですー」


 ガンギマリのラリパッパになってはいかんので、適当なことを言って私は夕餉を切り上げた。

 もっとも、神台邑でも麻は普通に育ててたし、日常に溶け込んでいたけれどね。

 今は前後不覚になって自分を失っている場合じゃない。

 大麻モチを食べたことが影響したかどうかはわからないけれど。

 ひょっとすると、塀貴妃が漣さまのマッサージを受けて恍惚の表情を浮かべていたことに対し、羨ましい気持ちが私の中にあったのかもしれないけれど。


「ほら、力抜いて。俺に任せて……」

「え、ちょっ、そんなっ」


 私はその夜、至極いやらしい夢を見てしまったのだった。

 相手が誰かは、話せるわけもないので、秘密である。

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