練習と恋②

 いつもと同じ電車に乗り、同じ時間に教室へ入り、いつもと変わらず授業が進む。


 今日受けた数学の授業、英語の授業より昨日読んだロミオとジュリエットの内容が頭にこべりついている。

 それしか記憶に残っていない。


 放課後になり、いつもの如くトントンと肩を叩かれる。


「机こっち向けて会議しよ、ロミジュリ会議」


 ほとんどの人が部活を決め入部したこともあり、放課後になると続々と教室をみな出ていく。


 その中で机をくっつけ教室に居座る気満々の俺らは変に目立っていた。


 ましてや教室で存在を消している男と学年1と言っても過言でない美女だ。

 クラスの人からアイツら付き合ってんじゃね?くらいの視線を浴びてもおかしく無い。


「あれ、心帰らないの?」


 ほーら、やっぱり話しかけられた。


 話しかけてきたのは千羽さんのお友達、名前は確か中嶋さん。

 俺たちがくっつけた机のちょうど境目あたりに立ち、俺たちを交互にキョロキョロ見ている。


「部活関係でちょっとしないけいけないことがあって」


「えーと名前何くんだっけ?同じ演劇部ってことよね」

 こんな冴えないやつが演劇するの?と言わんばかりに聞いてくる。


 誰よりも面白い自己紹介をした駿河だ、覚えておけ!と言えるはずもなく……。


「駿河です。一応演劇部員です」


「一応?」


「あ、いや、正真正銘の演劇部員です。すみません」


「別に謝らなくていいんだけど」


「あ、すみません」


 謝らなくていいと言われた瞬間にすぐ謝ってしまう俺、最高にダサい。

 永遠上司にいじめられてる部下みたいだ。


 非常に気まづい変な時間が流れる。


 あなたは何をされてる方なの?とアッコさんにみたい聞ける度胸もなく、これ以上会話が続く気配もない。


 既に中嶋さんは俺を見てもいない、身体ごと千羽さんの方へ向いている。

 もうコイツとは関わらない方がいいなという烙印を押されたのがなんとなくで分かってしまった。


 ちなみにこの中嶋さんも中々の美少女である。

 ハーフで背が高くモデルっぽい見た目と言えば良いだろうか。


 俺が千羽さんと仲良くなれるのなら、千羽さんの友達とも仲良くできるんじゃないかと思っていたが、やはりそんな単純なものでも無かった。


「それじゃあまた明日」


 そう言って手を振りながら中嶋さんは教室を出ていった。


 気がつけば教室は千羽さんと2人。

 椅子が擦れる音、千羽さんがガチャガチャとカバンから何かを取り出す音、それらだけが教室に反響し、さっきまでの雑学が混じった教室とは全く別の空間と化していた。


「よし、第一回ロミジュリ会議始めようか」


「うっす」


「駿河くんはロミジュリ読んでどう思ったもう一回聞いていい?」


 俺が昨日思ったことを全て話す。


 最初は純愛で純粋な物語だと思っていたこと、ロミオのこと、自分なりに考えた依存について。

 千羽さんは「うん」とか「なるほど」と言いながら話を遮ることなく聞いてくれている。一通り話し終えたところで千羽さんが話し始める。


「駿河くんってやっぱり頭いいよね。色々なことをしっかり考えて分析してるなって思う。確かにロミオは相当なメンヘラだと思うし、ジュリエットもかなりのメンヘラだと思う。やってることは現代だとヤバいやつだよ。でも、ロミジュリみたいに派閥があって今みたいに自由恋愛じゃない時代で考えたら、恋に真っ直ぐなかっこいい青年なんだよ。多分それがかっこいいけどダサいみたいなことで。どっちが正解とかはないと思うから駿河くんは劇を見てくれる人にどっちで思われたい?」


「どっちってのは……」


「一途で命をかけたいほどに愛している純愛青年か、どキツイメンヘラの空回りしているコメディ風の青年か」


 見ている人にどう思われたいか考えてもいなかった。


「心はコメディもアリっちゃアリ思うんだよね、高校が楽しんで見るってことを考えるとそっち方が合ってるかもしれないし、表現変えるだけで雰囲気も変えれる作品だからどっちでもできると思うし」


 俺たちの演じ方一つで見ている人にラブストーリーかコメディストーリーかが判断されるということか。


 俺はどちらがいいだろう。

 自己紹介は少しでも面白いものをと前日から考えて挑んだり、日頃から面白い人間でありたいとは思っている。


 しかし、今俺が演じるべきロミオの姿はコメディではない気がする。


 それは演劇部に入った理由が人の感情を理解するためってのもある。

 純愛が俺の学ぶ一つ目の感情なのかもしれない。


「純愛青年で、思われたい」


 そう言い千羽さんの目を見ると、千羽さんから向けられた真っ直ぐな眼差しに、すぐに目を逸せてしまった。


「いいじゃん!私も純愛のロミオが見たいし、そのロミオを演じる駿河くんが見たい」


 両手で顔を支えながら満面の笑みで言ってくる千羽さんは、明るい教室の中でもさらに輝いて見えた。


 ロミオはジュリエット見たとき、今のようにジュリエットが輝いて見えたのだろうか。


「頑張るよ」

 なぜか俺もふと笑みが溢れた。


 自然と生まれたこの笑みと感情は何と言語化すればいいのだろう。

 この全身を何かがつたう感覚は悪いものではなかった。


「心が現実でロミオみたいな人に迫られたら私も好きになっちゃうな〜。そうゆう意味ではジュリエット役向いてるかも!」


「ちょっと意外。メンヘラ男子が好きなんだ」


「メンヘラは好きじゃないけど、自分の全部を投げ出してまで愛してくれたら嬉しいじゃん、キュンってくるじゃん。メンヘラって自分に自信がないから相手を縛るような人でしょ?それは愛じゃないよ」


「……確かに。俺は誰かに好きになってもらったことないけど、それだけ好きになってもらえたらすごい嬉しいだろうなとは思う」


 モテそうな千羽さんでも人から好かれたい、愛されたいと思うことが人間だから当然のことではあるけど意外に感じる部分でも合った。


「俺を愛してくれる人なんているのだろうか」


 バシッと音が響く強さで肩を叩かれる。


「痛っ」


「何ネガティブな事言ってんの。もっと自信持って!」


 自信持ちたいのは山々だけど今まで何か成功したわけでもないし、彼女が出来たこともないのだ。


 恋愛劇をしないといけないのに好きがどうゆう事かもわかっていない。


 そんな男に自信を持てる要素があるはずないのだ。


「ロミオになるんでしょ?」

 千羽さんからのその一言に返す言葉も見つからない。


 俺は自分に自信があって、好きな女性を運命の相手だと思える男にならなくてはいけないのだ。


「そうだね……」


 だが、やはり最終的にはそうすればいいのだろう?という結論に辿り着いてしまう。


 俺はただ自分の机を一点に見つめる。


 それでも、千羽さんから伝う一言一言の意志が彼女の目を見なくとも感じる。


「駿河くんが嫌ならいいんだけど、これからしばらく2人の時はさ、ロミオとジュリエットになりきらない?」


「それは……ロミオみたいな口調で話したりってこと?」


「そう、あとロミオがジュリエットの事を好きなように私のことを好きになってほしい」


 突然すぎる展開に動揺が止まらない。


 千羽さんを好きになる?好きって何。

 なりきって俺が千羽さんを好きになるなら千羽さんも俺のことを好きに?どうゆうことだ?何が何だかわからない。


「私と感情で恋しない?」


「千羽さんを好きに……」


「私っていうより私が演じるジュリエットを好きになってって意味だよ」


「あーそうかそうか」


 分かった風でいるが、頭の中はゴチャゴチャしていて何が何だかまだ分かっていない。


「だから2人の時は心のことジュリエットって呼んでね」


「ジュリエット……」


「さっそくジュリエット呼びしてくれるんだ早いね。ちょっと恥ずかしい」


 うっかり言葉にしてしまい、俺も恥ずかしい。


 身体がカッカと熱くなり、第一ボタンを外し袖を捲る。


 千羽さんも同じように恥ずかしいらしく、少し顔が赤く見える。


「私も暑くなってきた」と制服のシャツを第二ボタンまで外す。


 少しでも千羽さんが屈めば谷間が見えそうなほど胸元が露わになっている。


 これ以上俺の体温を上げるようなことをしてきて、実は殺そうとしてるんじゃないか?とまで思った。まあ、これで死ねるなら本望だ。


「ロミオはどうしてロミオなの」


 千羽さんの口調が変わり、何かを求めるような眼差しで俺に問う。


 ロミジュリで1番有名なセリフだ。


 しかし、まだ台本を一言一句覚えているわけでもないしこの次のセリフが分からない。

 今はとにかくロミオになりきればいいはず、俺なりのロミオを出そう。


「僕には分からない、これが定められた運命ってやつだっただけさ。でも響きがかっこいいだろロミオって、仮に反対だったとしてオミロ……一気にダサくなっただろ?四捨五入すればオセロだ。ロミオはロミオなのさ」


「もう意味わからないバカなこと言わないでよ〜」

 2人で下を向きながら笑っている。


 慣れない話し方とやり取りに恥ずかしさがお互い抜けない。


 変にホワホワした空気が宙を舞う。


「も〜う面白いね」と言いながら千羽が席を立ち、今日は帰ろうとなったので俺も帰りの準備を素早く済ませ、千羽さんと並んで教室を出た。


 帰り道も互いにロミオとジュリエットの設定のままだ。


 正面から見知らぬ人とすれ違う時はお互いに会話を辞め無言になり、人が過ぎ去った後に2人して笑い合う楽しい時間が生まれていた。


 確かに今千羽さんと一緒にいてこの時間は俺の人生の中でもトップクラスに楽しいといえる。

 その時間が突然奪われ二度と帰ってこないとしたらロミオが暴れ回り、自暴自棄になるのは分からないこともないと思った。


 ん?この気持ちが恋なのか?俺は千羽さんに恋をしているのか?

 ふとそんなことが頭によぎる。


 千羽さんはいい人だし、スタイルも良いし、顔も最強に可愛い。

 だから楽しいと思うのは当然なことだし、うん……これは恋ではない。

 千羽さんも俺に好かれるのは迷惑だろう。


 俺はいつもの帰り道をいつもと何も変わらないように一人で帰った。




 演劇部も6月の発表会に向け、本格的に練習がスタートされた。


 配役も全て決まりまだ動きはつけず、台本を読みながら通していく練習が行われていく。


「あなたを手に入れるためなら危険を冒して海に出ます」と言ったり「ジュリエット!」と愛を叫ぶようなシーンではまだ恥ずかしさを感じていたが、後半に進むにつれその口調と雰囲気が馴染み恥ずかしさはどんどん緩和されていった。


 終わりまで読み切り、ふぅと一呼吸漏れる。

 改めて全体を通して本読みすると自分のシーンの多さをより実感する。


「OK! これで一応全体はどんな感じか分かってもらえたかな。まだ今日は感情とかつけなくて良いけど、ちょっとずつみんな言葉の強弱とか話し方とかに表現つけて本番クオリティに仕上げていこう。5月からは動きもつけてどんどん練習していくからよろしく。じゃあ今日はもう一回さっきより感情乗せて通して終わりにしようか」


 いつも通り部長が部活を進めていく。


 俺的には結構感情を乗せていたつもりだったのに……。


 あれ?伝わってない?もう一度通しで本読みが始められた。


「君の小鳥になりたい」背中に小さな羽を生やしたイメージで俺は言う。


 さらに暴れ回るシーンでは「うわー」「おーー」とか言ってみる。

 二度目の通し練習が終わり、渇いた喉に水を注ぐ。


 かなり俺の中では内側に眠る感情を出したつもりだ。汗も少しかいている。


 2回目の本読みからみんなの読み方が明らかに変化した。

 話す時のリズムや強弱に区別がつけられ、まるで全員が囲む輪の中でロミオとジュリエットの劇が行われているようだった。


 ついていけていない、全然俺はついていけていない。

そう感じていた時、

「駿河くんももっと感情乗せてってくれていいよ。まだ国語の授業で当たられた時感が強いから」


「あ、はい」

 軽く頷きながら返事をする。


 国語の授業で当てられた時ってただの棒読みじゃないか。


 そこまで棒読みのつもりはなかったのだが……演劇部基準では棒読みの類に入ってしまっているのかもしれない。


 この汗は焦りから生まれた汗だ。

 それほどまでに根本的なことができていないのだ。

 どうしよう、ホントどうしよう。


 部活が終わり帰り道を歩いている時も電車に揺られている時も今日のことを思い返している。


 この前は恥ずかしがっていた千羽さんも今日の2回目の本読みからは誰が聞いてもジュリエットを演じていることが分かるクオリティーで仕上げてきていた。


 烏丸さんも同様に雰囲気の作り方がとても上手だった。


 シリアスな場面では緊張が漂う雰囲気を話し方だけで表現していた。

 それに比べて俺は……。


 次の日も本読みをしながら昨日より細かい表現を気にしながら部分部分で進められていく。


 その次の日も同様に進められていった。

「もっと、自分が失ったものを取り戻そうと必死に欲するように」などアドバイスを受け、俺なりに変化を加えているつもりではあるが、部長は左手を顎に当て考え込んでしまっている。


 その姿を見れば見るほど焦りは加速されていく。


 このままでは[こんなロミオは嫌だ、どんなロミオ?]という大喜利の答えみたいな姿になりそうだ。


 その一方で千羽さんと烏丸さんには「マジであの2人すごいね」と先輩達がヒソヒソ話しているのが聞こえてくるほど。


 このままでは俺は演劇部の大事な発表会をぶっ壊してしまう。


 そう思い俺はある人にメッセージを送った。




「今日から練習よろしくお願いします」


「ん」


 校舎の屋上で俺が頭下げ、それに愛想なく返事する人。


 そう、声をかけたのは烏丸さんだ。


 千羽さんに練習相手をお願いしようかと思ったが、これ以上おんぶに抱っこはさすがに負担をかけすぎて良くない。


 それでLINEで烏丸さんにお願いすると、「いいよ、じゃあ昼休みに屋上で」と二つ返事で受けてくれたのだ。


「俺の本読みは見ていただいたと思うんですけどどうすれば良くなりますかね」


「まずは……」


 俺の後ろに回り込み、「まず姿勢だね」そう言って俺の腰の高さに膝を当て肩を外側にいっぱいまで開かされる。


「痛い痛い痛い」


「まあ今のはわざとやりすぎたけど、要するに猫背ならず胸を張る状態をキープして」


 何でわざと痛くするんだよ……。


 しかし、教えてもらってる側なだけあってあまり文句は言えない。


 いざ意識して姿勢をキープすると結構しんどい。

 この姿勢を授業中も意識しておくことがまず大事らしい。


「あんた主人公なんだから自信ある立ち姿でいなきゃ。声の出方も変わるし」


「はい」


「じゃあ台本の初めの方から読んでいくよ」


 こうして烏丸大先生のスパルタ練習は毎日行われるようになった。


 俺がこんなに一つのことと向き合う日が来るとはついこの前の入学式の時には思っても見なかった。


 昼休みには練習し、千羽さんと2人の時はロミオを演じながら会話をしている。


 うっかり家でご飯を食べていたら母親の前で「ロミオさ〜この前……」と第一人称を大間違えして話してしまい、母親が本気で心配している目をしていた。

 ちなみに心愛は気にも止めず口に食べ物を運んでいた。


 そんなこんなで烏丸さんとの練習開始から5日が経過した。


「どうしてこんな感情が目に出てこないの……」


「す、すみません」


「もっと、ジュリエットが好きでどうしても手に入れたい!って気持ち分からない?」


「好きが分からないもんで……」


 口を捻らせ、徐々に首まで捻りあからさまに困った様子でいる。


 地面座り込み腕を組んだまま、うーんとしばらく考え込んだ後また立ち上がり俺の元まで近づいてきた。


 烏丸さんの顔が俺の顔に向かって近づいてくる。

 え、近い近い近いって、ちゅーしちゃうよ?え?覚悟を決め、目を瞑る。


「私のこと好きになって良いよ」

 俺の耳元で烏丸さんはそう呟いた。


 目を開けることは出来なかった。理由は特にない。

 でも今の烏丸さんを見ちゃダメな気がした。


 足音から少し烏丸さんが俺から離れたことを感じ、ゆっくり目を開ける。


 ボブの髪を耳にかけるようにしながら「どう?」と聞いてくる。


 どうもこうもない。

 烏丸さんから目を逸らし、外の景色をみる。


 こここんなに高かったっけ、きっと今俺の心拍数が上がっているのは高いところにいるからだな、なるほど。


 烏丸さんからの提案に対する返事を俺は持ち合わせていなかった。


「返事がないってことはOKってことでいい?」


 またしても烏丸さんが俺に近づいてくる。

 後ろは柵に囲まれ逃げ場もない。

 ガシャンと柵が音を鳴らし、烏丸さんの手が俺の顔を横切る。


「あんたのこと好きにさせるから、好きになってね」


 彼女が浮かべた笑顔は黒髪で小柄な見た目が拍車をかけ小悪魔そのものだった。


「うん」


 この小悪魔になら服従しても良いかもしれない。


 両手で柵を握りしめながらそんなことを思った。


 烏丸さんが好きにさせると言ったのは俺が好きと言う感情が分からないと言ったからだろう。


 自分の身を削って俺に感情を教えてくれようとしてくれている。


 千羽さんも烏丸さんもどうして俺にそこまでしてくれるのだろう。


 千羽さんは「私と感情で恋しない?」

 烏丸さんは「私のこと好きになっていいよ」と言った。


 俺はどっちを好きになればいいんだ?

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