第十一話:要らない覚悟(ノエル視点)②

「アイコ、ルミをみていて」

「わかった!」


 さて、問題はあの男だ。魔族であり悪魔でもあるロイに、私はどう対抗するべきだろう。炎に焼かれたはずなのに、ロイの体には火傷をしているような様子さえ無い。


 殺せるか? 私一人で。


 いや、この場は殺すことよりも、ルミを連れ帰ることを優先したほうがいいだろう。ロイの後ろに扉があるのが気にかかるけど、そういうことを考えている場合じゃない。


「お前がノエルか」


 ロイがニヤニヤとした顔で、私を見ている。心の底から、嫌悪感がわきたつ顔だ。


「なぜ、こんなことをするの」

「は? なぜ、とは?」

「どうしてルミのお母さんを、魔族を、傷つけるの!」


 逃げる算段を考えるための時間稼ぎでもあるけど、私が知りたいことでもあった。ある程度、話が通じる相手だといいんだけど。


 さて、どう逃げる。背後の扉は私が壊したから、逃げ込める。だけど、その先は? 狭い階段で魔法でも放たれたら、私たちは下手をすれば生き埋めだ。魔族のタフさを持ったあの男は生き残るかもしれないけど、私たちは死ぬ可能性が高い。


 どのみち、すぐには動けない程度に痛めつける必要がありそうだ。


「お前、あいつに聞いちゃいないのか」

「まあ、隠し事はあるね」

「ほう。ならば教えてやろう。俺はそこで寝ている馬鹿娘の父親だ」


 父親、か。


 驚きもあるけど、どちらかと言えば納得感が強かった。ルミはお母さんの話をしたけど、お父さんの話はしなかった。魔族に陵辱されて生まれた子供だからという話で納得できる気もしたけど、育ての親くらいはいるはずだ。幼い頃に廃人になった母親と二人きりで、生きていけるとは思えない。


 それに、ルミからは単純な憎悪とはまた別のなにかを感じた。そうか、お父さんが仇なんだったら納得だ。きっと、想像もつかないほどに複雑な感情を抱えているんだろう。


 だから、この男がより許せない。ギリギリ、と歯ぎしりをしてしまう。


「父親ならなおさら! どうして!」

「夢だよ!」

「夢……?」


 何を言い出すんだ、この男は。言うに事欠いて夢? 自分の奥さんを、娘を傷つけてまで追う夢なんて……。


「ああ、俺の理想、夢! それを実現するためだ」

「寝ぼけているの?」

「ハッハッハ。そう見えるか?」


 目の前の男は笑ってこそいるけれど、私のことをまっすぐに見ている。その瞳には、濁りを感じない。


「見えないね」


 どうして、自分の奥さんを魔族に陵辱させたのか。どうして、娘をこんなになるまで殴れるのか。私には全く理解できない。それを夢のためだって? 冗談だったほうが百倍マシだ。


「英雄様はな、人と魔族と悪魔の垣根を無くそうとしてるんだ」

「は?」


 それがどうして、人を傷つけることに繋がるんだよ。


「つまりな、全部同じにしちまおうって腹よ」

「同じ?」

「全人類、人であり魔族であり悪魔でもある存在になるんだ」

「……そうか、そのために」


 魔族と人間の間の子を作ろうとしたのか。


「そうよ! 優秀なあいつに魔族の遺伝子を注ぎ込み、ハーフを作ろうとした。同時に、あいつも魔族化するかと思ってな。だが、ダメだった」


 ロイは気分がよさそうに、饒舌に聞かせる。私はただ、ひどく気分が悪かった。奴の上機嫌そうな声が、金属を引っ搔いたような騒音に聞こえて仕方がない。


「結局、産場を稼働させることになっちまったがよ」

「産場……?」

「ま、要は魔族と人間の完全なハーフを作るための実験よ」

「そして次は悪魔か」

「その通り! そいつはその実験の失敗作だ」


 失敗作……。それが、父親が娘にかける言葉なのか? ふざけるな。何が理想だ。夢だ。そのために自分の奥さんを、娘を犠牲にして。踏み台にして。多くの人を傷つけて。それで実現できる理想があってたまるか!


 ああ、もういい。どうでもいい。予定変更だ。


「ルミが気絶していてよかったよ」

「ほう」

「今の言葉を聞かせずに済んだ」


 こいつは、ここで殺す。ルミに親殺しなんてさせない。私が、ここでこの男を殺す。どのみち、すぐには逃げられないんだ。それ以外に道はない。


 私は剣を抜き、左手には暗黒物質で作った剣を持つ。お父さんに叩き込まれた。剣は二つあったほうが強いと。


「言いたいことはそれだけか?」

「お前はここで私が殺す」

「人間に俺が殺せるとでも?」

「殺せるかどうかじゃないよ。殺すんだ!」


 ロイが笑う。不快な笑い声だ。反吐が出る。


「その殺気、気合い、覚悟! 気に入った!」


 ロイが拳を構えた。剣は捨てたんだろうか。まあ、魔族の力を使うには剣は邪魔だろう。怪力に剣の柄が耐えられない。


「お前は最低なバカだよ」

「知ったようなことを言いやがる」

「大切な人を傷つけて得られる理想なんてないのに!」


 叫ぶと同時に、床を蹴る。剣を振るう。切っ先から暗黒物質を刃にして飛ばした。広範囲の刃。ロイが両腕をクロスして受け止める。すかさず、右手の剣。左手の剣。肉を切り裂く感覚は、左手にだけあった。奴の腕を蹴り、離れる。


「へえ、やるねえ」


 傷跡がみるみるうちにふさがっていく。悪魔は、類い稀なる自然治癒力を持つという。私の腕の傷が治っていたのと、同じだろう。


 ロイが向かってきた。速い。眼前に迫る憎い男の顔。今すぐ殺してやりたい。切り裂く力を盾にして、暗黒物質を生成。ロイの拳が無数の棘がついた盾を殴る。拳は止まらない。切り裂かれながら盾を破った。


 身を翻し、炎弾。着地と同時にデスサイズを構え、振るう。手応えがない。頭上からロイの拳が迫る。剣をクロスしてガード。やはり、左手の剣にだけ手応えがあった。


 甲高い音が鳴る。刃が宙を舞った。右手の剣が折れた……! お母さんの剣が。


「よくも!」


 叫びながら巨大な炎弾を放つ。空中にいるロイにこれを防ぐ手立てはないはず。


 しかし、ロイは影で身を守った。飛び退くロイに炎弾。影の腕で弾かれる。


「厄介だね……」

「報告通り、まだ人間か」

「どっちでもいいよ、そんなの」


 私が人間か悪魔かなんて、そんなのは心底どうでもいい。胸糞悪いニヤケ面に一発ぶちかませるのなら。


 しかし、どう攻めたものか。魔族の能力と悪魔の能力があわさると、こうも厄介なものなのか。攻撃をちゃんと当てているのに、魔族のタフさと悪魔の治癒力があるから全然決定打を与えられない。


 回復するから、被弾を気にせずに突っ込んでくる。


 そうこうしているうちに、私のほうが消耗してしまいそうだ。今日だけで、一体どれだけ魔法を使っただろう。


 ああ、考えたくない。今は動くしか、ない。もっと思考を単純にしなきゃ。


「息巻いてたよなあ! 魔女! どう殺してくれるんだ!? ああ!?」

「知るか! とにかく殺すんだ!」


 ロイのニヤニヤとした顔と、英雄の無表情とが重なって見える。なんて憎らしい顔なんだろう。目の前で娘が傷つき倒れているのに、このニヤケ面は何を考えているんだ。


 ああ、そうか。こいつはもう人間じゃないんだ。人であることを捨ててしまった。それは姿形や能力のことじゃなく、もっと単純な、人の心。


 怒りを燃やせ、殺意を煮えたぎらせるんだ。


 折れた剣を捨て、暗黒物質で作った剣を右手にも持たせる。


「ならば!」


 ロイが突っ込んでくる。剣をクロスさせ、構える。足を開き、どっしりと。姿勢を落とす。剣がロイの体をとらえた。引き抜く、剣。力任せ、いっぱいに。ロイの体から鮮血が飛び散り、私の真っ白なローブを穢す。まだだ。まだ殺せていない。もっと強く、速く、鋭く。力任せに剣を打ち付ける。何度も、何度も、何度でも。


 殺せるまで、斬り続けるんだ。


 何度斬ったかわからない。血しぶきで前もよく見えない。何も聞こえない。肩で息をしているらしく、太刀筋が鈍っていくのを感じる。


 ドクン、と心臓が跳ねた。強烈な痛み。崩れ落ちる、私の体。くそ、限界か。魔法を使いすぎたらしい。血しぶきで霞む目を必死で凝らして、敵を見る。ロイは、未だ立っていた。コアが半分露出してはいたが、まだ立っている。そして、心底愉快そうに笑っている。


 寒気がする。ひどく寒い。吐き気がこみ上げてくるのに、何も出ない。


「ダメ……だったか」

「ははは、危ないねえ」


 奴も消耗が激しいようで、肩で息をしていた。胸骨が剥き出しになっている。腕は千切れ、足からも骨が見えていた。どうして、その状態で立っていられるんだ。


「こりゃ自己修復も間に合わねえな……戦う力も残ってねえ」


 今なら、殺せる。


「アイコ……!」


 叫ぶのと同時に、銃声がした。ロイは千切れた左腕を右手で持ち、コアをかばう。銃弾は左腕に留まった。


「一旦、引き上げるかな……」

「ま、て……!」

「待たねえ。だが、追ってこい。そこの馬鹿娘と一緒にな」

「なん、だと」

「博多まで、追ってこい。あと、馬鹿娘に伝えてくれ。今度は殺す覚悟を持ってから来いと」


 そう言って、ロイは黒い渦のなかに消えていった。悪魔の通り道。今の私では、追いかけることはできない。もう一歩も、動けそうになかった。そろそろわかってきた。私、また、気絶するんだなあ。


 思った通り、ロイの姿を見送ってから、意識が落ちた。

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