第六話:英雄と呼ばれた男(ノエル視点)

 目が覚めると、ルミが私の体を揺さぶっていた。横目でテーブルを見ると、朝食が並んでいる。ルミの朝食にも、まだ手がつけられていない。待っていてくれたのか。


「本当に寝起きが悪いんだな」


 ルミが笑っている。私はのっそりと起き上がり、ベッドのふちに座った。うつろが私の影から出てくる。


「ありがとう」

「安いご用だ」

「あ、というか寝ちゃってごめんね」


 作戦会議をするという話だったのに、私は寝てしまっていた。お酒を飲んで酔っ払って、醜態をさらして寝る。あれ、私ってもしかしたらダメ人間なのでは? 昨日のことを思い出そうとすると、まだ顔が熱くなる。


「気にする必要はない。さ、食べよう」

「うん、ありがとう」


 私たちは、目の前に置かれたパンとスープとサラダを平らげた。はあ。朝食もおいしい。同じトマトスープでも、私がルミに作ったのとはまるで違う。ちゃんとしている。いろいろな味がするのに、全部まとまっていておいしい。こんなの、私には逆立ちしても作れないだろうなあ。なんか悔しい。


 食べ終えてベッドに寝転がりたいのを必死で抑えていると、ルミが隣に座ってきた。


「ノエル、昨日アイコと話したんだがな」

「作戦会議?」

「ああ。とりあえず金と情報はギルドで集めようと思う」

「ギルド……色々な仕事を斡旋してるんだっけ」

「そうだ。あとなんだが……」

「ん?」


 ルミが私の目をじっと見てくる。なになに? そんなに近くで見つめられると昨日のこともあって少し恥ずかしいんだけど。


「黒教の竹下での拠点に、少し心当たりがある」

「え!?」


 ルミの目を見る。真剣そのものといった風情だ。黒教の拠点は、私にとって喉から手が出るほど欲しい情報だ。それを既に持っていたとは、驚かされる。ルミも黒教を探っているから、きっと私たちと出会う前に色々探っていたんだろう。


「そこでだ、ノエルはどうしたい?」

「行こう!」


 何も考えず、私はそう答えていた。行くしかない。危険なんだろうけど、その危険に飛び込まないと、私の目的もルミの目的も果たせはしないから。


「そう答えると思ったよ」

「そりゃあね」

「どっちを優先させる? 仕事は明日でもいいが」

「黒教のほうを優先させよう」

「だな。私と同意見だ」


 よかった、意見が合って。仕事を優先させようと言われていたら素直に従ったと思うけど、拠点があると知ってしまった今、動かないのはむずがゆい。さっきまで寝転びたかったのに、足が今にも走り出すんじゃないかというくらいに、ウズウズしている。


「そうと決まれば早いほうがいいだろう。支度をしよう」

「そうだね、準備しようか」


 まずは着替え……と思ったけど、昨日着替える前に寝ちゃったんだった。ローブすら脱いでいない。せっかく宿に着替えが用意されているのに。ベッドのすみで丸まり、皺が寄ってしまったパジャマを見て、申し訳ない気持ちになりながら私たちは支度をした。


 部屋を出て食器を返却し、アイコの部屋の扉を叩く。


「遅い!」


 既に支度を済ませていたらしいアイコが、勢いよく飛び出してきた。そうして三人で、外に出る。


「結局どっちから行くよ?」

「黒教のほう」

「そういうことだ」

「じゃあ、案内よろしくね」

「任された」


 ルミが先導して歩き始める。朝の街は、なんだか慌ただしい。大勢の人が色々な方向に歩いている。これから仕事だったり家事だったり、色々あるんだろう。私たちは竹下通りから地続きの大通りを北に抜け、街の外に出た。ルミが言うには、街を出ればすぐ目に入るらしい。


 本当に、すぐだった。


 教会風の建物がある。綺麗だけど、人の気配というのがまるでない。白教のものではないことは確かだ。というより、倭大陸のものでもない。昨日見たようなオーパーツの建物らしい建造物だ。それに、見慣れない像が天井にそびえ立っている。白教なら、救世主さんの像があるはずだ。


 だけど、これは男性を模した像だった。


「ここだ」


 教会の門の前に立つ。ルミが剣の柄に手をかける。私も、同じようにした。アイコは私の後ろに控えている。アイコはあまり戦闘向きじゃない。戦いが始まるようだったら、逃がしたほうがいいだろう。


「よし、入るぞ」

「うん」


 手に力が入る。目が見開いていくのが感じる。寝起きでぼんやりしていた脳が、急速に活性化していくようだった。ルミが門に手をかけると、心臓が早鐘を打つ。門がゆっくりと開いていく。


 門を開けて中に入ると、そこには黒いローブを着た人が一人立っているだけだった。ほかには、何もない。奥に像があるだけで、ほかには何も。不自然なほどだった。教会というのを絵でしか見たことがないけれど、普通は長椅子とかがあるものらしい。それもない。


 だが、問題は黒いローブを着た人が立っていることだ。早速、見つけた!


「早速いたな」

「あたりってことだね」


 ローブを着た人間は背中を向けている。背中には、金十字の紋章があった。私は駆け出したい気持ちを必死で抑え、様子をうかがう。


「来客か」

「黒教の教団員だな。聞きたいことがある」


 ルミが問うと、奴はゆっくりとこちらを振り向いた。その瞬間、感じたことがないほどの威圧感が私の心を襲う。脚に釘が打たれているんじゃないかと思うほど、体が重くなっていくのを感じた。


 ルミもそれを感じ取ったのか、動かずにいる。なんだこの威圧感は。勝てるわけがないと、そう思わされる。全身が震えあがりそうになるのを抑えるのに必死だった。


「アイコ、すぐにここから出て」

「……わかった。危なくなったら逃げなよ」

「できればね」


 アイコが扉を開けて、外に出る音がする。私は奴から一時も目を離せなくなっていた。奴は私たちを見て、フードを外す。美しい男の顔がそこにはあった。恐ろしく、この世のものとは思えないほどに美しい。それでいて、具体的にどこが美しいのかが、わからない。


 視界の中心に据えているのに、見えていないような不思議な感覚だ。


「あれは……!」


 うつろが影から飛び出て、叫んだ。


「英雄……悪魔の大罪人だ!」


 英雄? あれが、うつろが追っているという悪魔の大罪人だというの?


 そんなのが、黒教にはいるのか。


「ノエル、知っているか」

「な、なにを?」

「英雄というのは黒教では主、と呼ばれている」


 黒教の、主。脳裏に、お父さんが殺された日の映像が浮かぶ。トクン、と心臓の鼓動が大きくなった。


 お父さんを殺した奴は「主」と言っていた。主の命令でお父さんと私を殺しに来た、というようなことを。あれが、あれが黒教の主。


 私のお父さんの仇!


 私は気がつけば、地面を蹴り上げていた。まだ体は重い。けれど、一瞬にして間合いが詰まった。


「ノエル!」


 言葉にならない叫びをあげながら、突進。振り抜く、剣。私が斬ったのは、虚空だった。それに気づいた瞬間、私の体は縛り上げられる。これは、奴の影の腕か。


 クソ、目の前に憎い仇がいるのに! にやけ面で私を眺めているこの男を、ふん縛って、滅茶苦茶にしてやりたいのに!


「離せ!」

「いきなりご挨拶な奴だな」

「うるさい! 離せ!」


 もがく度、影の腕が食い込む。一体何本の腕が、私の体に絡みついているんだろう。十本はある。悪魔が伸ばす影の腕は、通常は二本だけだ。それよりも多くの腕を伸ばせるのは上級悪魔。腕の数が悪魔の力の強さになるのだと、誰かが書いた本で読んだことがある。


 こいつは間違いなく、最上位の悪魔だ。


「まあいい、離してやる」

「なに!?」


 余裕の現れなのか、私に絡みついていた腕が退いていく。気に入らない。その涼しげな表情も、余裕の態度も何もかも。滅茶苦茶に崩してやりたい。こいつのせいで、お父さんは死んだんだ。何もかもこいつのせいだ。


 それに、私も、同罪だ。私自身も、滅茶苦茶にしてやりたい。


 なぜだか、そう思った。


 その瞬間、気がつけば、奴を捕らえていた。何が起きたんだろう。影の腕が、英雄に絡みついている。うつろのものじゃない。私がやった、ということは確かにわかる。


「……ほう」


 英雄が愉快そうに笑みをこぼし、腕をばらばらにした。私の本物の腕が裂ける。どうやら、ダメージはある程度共有しているらしい。ばらばらにならなかったのは、幸いだったか。


「ノエル……あれは一体」

「わからない」

「まさかいきなりトップに出くわすとはな」

「うん。想定外だった」


 いつの間にか、ルミも剣を抜いている。その手は細かく震えていた。ルミは、こいつには勝てない。こいつは規格外の相手だ。悪魔についての研究書類を何冊も、何度も読んできて実際に悪魔と契約している私にはわかる。今の私たちに敵う相手じゃない。


 それでも、私は逃げるわけにはいかない。


 違う。逃げてたまるもんか! 殺さなくちゃいけないんだ! 


 うつろ、ルミをお願い。


「わかった」

「え?」


 うつろが影の腕でルミを包み込み、扉を開ける。そのまま扉の外へとルミを放り投げ、扉に影で作ったかんぬきをかけた。


「良かったのか? 仲間を逃がして」

「お前には聞きたいことがある」

「ほう。なんだ、申してみよ」


 つくづく、偉そうな態度だ。神にでもなったつもりか。神様のほうが、もっと態度が柔らかいよ。


 ああもう! 何もかもが鼻につく。むかつく。気に入らない。殺してやりたい。


「なぜ私のお父さんを殺させた!」

「なんだ、そんなことか」

「そんなこと……?」


 英雄が鼻で笑う。自分の心が、酷く濁っていくのを確かに感じた。切り裂かれた肌から血が流れているのに、今は全く痛くない。


「アルバートを殺したのは、ついでだ」

「は……?」

「私はお前さえ殺せればよかったのだ。だが、それには奴が邪魔だろうと思うてな」


 目眩がしそうだった。私のせいで殺されたと言いたいのか。私が全部悪いとでも言いたいのか。自分は悪くないとでも?


 目の前のクソ野郎は、薄ら寒い笑みを顔に張り付けて、私を見下ろしている。


「ふざけるな!」

「巫山戯てなどいない。お前がここに来ると見越して、わざわざ止めを刺しに来たのだから」

「なに……?」

「あいつには殺すなと言われているが、悪魔と契約した貴様は我々にとって驚異。ここで排除させてもらう」


 英雄が急に飛び出した。地面を蹴るところまでは見えた。向かってくる。確実に。だけど、今は奴の姿が見えない。どこだ、真っ正面か、上か、下か? あたりを見渡そうとした瞬間、私の腹部に衝撃が走る。立て続けに、背中にも衝撃。扉に叩きつけられた。動けない。見ると、そのまま壁に磔にされていた。うつろが私の前に影の腕を二本、大きく広げて立っている。


 心臓が、ひと際大きく跳ねる。強烈な痛みが胸部を襲う。心臓が破裂しそうだ。


 思い出せ。声が聞こえた。誰の? 自分の心の声?


 お前は、この光景を知っている。


「邪魔だ」


 英雄がうつろを蹴り飛ばした。


「うつろ!」

「造作もないな。つまらん」


 英雄の手に刃が握られる。影で作った剣が振り上げられた。


 くそ、動け、私の体。目の前に憎い仇がいるんだ。動いて、奴を殺せ。何をしている。今すぐ動くんだよ! じゃなきゃ何もできないまま終わってしまう。私が死ぬのは、こいつを殺してからだ。その後なら、私はどうなったっていいんだ!


 違う。


 私は、私を殺したいんだ。そうだ、知っている。この状況を……。ハハ、おかしいな。なんだ、この感覚。力が抜けているのに、力が湧いてくるような奇妙な心地は。


「あはははははは!」


 笑い声だ。誰の? 不快な声だ。昔聞いたことがある。醜悪な笑い声。奴のものか? 


 違う。


 これ、私だ。


 私が笑っているんだ。


「……ふむ」


 奴の動きが止まる。笑い声なんかに気を取られるな。


 今だ、今動くんだ。殺せ、殺せ、殺してよ!


 そう強く念じた瞬間、私の意識が途絶えた。

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