第八話:首をもたげる希死念慮(うつろ視点)

 突然、ノエルが笑い声をあげた。なんだ、何が起きている。さっきの影の腕といい、ノエルの身に何が……。まさか、悪魔化の兆候か? 馬鹿な、早すぎる。闇魔法はまだそれほど使っていないはずだ。絶望が強すぎて? だが、それまで今日はまだ一度も魔法を使っていない。使っていないときには、反動も来ないはずだ。使おうとした? いや違う。魔法を使おうとしたときに感じる、心の動きがなかった。


 次の瞬間、ノエルの体が真っ黒な影に包まれた。


「ノエル!」


 呼びかけるも、反応が無い。英雄はただ黙って、愉快そうにそれを見ている。影が全てノエルの体に吸い込まれるように、消えていく。そうしてノエルの体が、英雄の影の腕を吹き飛ばし、扉を蹴った。一直線に英雄に向かっていく。相変わらず、けたたましい笑い声をあげながら。


 そうだ、ノエルの心にアクセスすれば……。


「そんな」


 ノエルの心の声が、聞こえない。どれだけ深く探ろうとしても、届かなかった。


 ノエルが影の腕を伸ばし、同時に炎の弾を飛ばした。魔法を使っているのに、感情が何も届いてこない。それが意味するのは、ノエルが私との契約抜きで魔法を使っているということだった。


 それは、悪魔にしかできない芸当のはず。


 だが、ノエルは悪魔ではない。それは、見ればわかる。悪魔には全員、額に何らかの紋章が浮き出る。ただ二人、救世主と英雄を除いて。ノエルの額には紋章が見えない。


 ノエルの炎を英雄はひらりとかわし、無数の氷の刃を飛ばした。ノエルは空中で身を翻し、それを避けながらなおも突進する。違う、影の腕で柱なんかを掴んで空中で軌道を変えているんだ。人間離れしている。


「ノエル……お前は何者なんだ」


 私はどうすることもできないのだろうか。心に繋がらない。ノエルの感じていることが、考えていることが何もわからない。きっと、本人にもわかっていないんだろう。とても意識があるようには思えない。


 あれはなんだ? 誰なんだ?


 ノエルが巨大な影の鎌を振るった。魔系魔法、デスサイズ。


 英雄はデスサイズを影の腕で受け止めた。ノエルは笑い声から一転、獣のような叫びをあげる。デスサイズが消えたと思ったら、今度は炎。火炎がノエルの手から放射される。英雄はかわしきれず、ノエルの怒りに焼かれた。


 次の瞬間、爆発。ノエルが爆風で吹き飛ばされる。私は影の腕を伸ばして受け止めようとしたが、ノエルが自分でそれをやっていた。影の腕で壁をつかみ、衝撃を殺している。爆風から、英雄がぬらりと現れた。


「やはり今殺さなくては危険だ」


 英雄がデスサイズを構える。ノエルはそれに突っ込んでいった。


「待て」


 二人の間に、突然誰かが割って入った。黒いローブを着ている。女か男かわからない。声が聞こえているはずなのに、特徴が無いように感じる。認識が阻害されているようだった。ノエルが突進をやめ、影の腕を器用に使い空中で身を翻す。着地し、体勢を整えた。英雄もデスサイズを消している。


「なんだ、あいつは」

「おいおい、なぜ止める」

「今は殺さないでと言ったでしょう」

「私に指図できた立場か?」

「じゃあ私が死んでもいいの?」

「……チッ」


 英雄は舌打ちをすると、ノエルを一瞥した後、もう一人と共に姿を消した。


「な、なんだったんだ」


 待て、それよりノエルだ。ノエルは目的を見失い、呆然と立ち尽くしている。


「ノエル!」


 私は扉のかんぬきになっていた影を消し、ノエルに駆け寄った。すぐに扉が開く音がする。


「ノエルは!? どうなった!」

「わからない!」


 私がノエルのもとへ駆け寄ると、ノエルは私を見下ろして泣いていた。声もなく、ただ静かに涙を流している。私を見下ろしてはいるが、私を見てはいない。ルミが私の隣に来て、ノエルを見ている。


「ノエル……?」

「……したい」


 これまで一言も発さなかったノエルが、何かを言おうとしている。私たちはただ黙って、次の言葉を待った。


「殺したい」


 その言葉は、十八の少女から発せられたものとは思えないほどに、淀み、荒んでいた。私は何も言うことができず、ただ黙ってしまう。ルミは「誰をだ」と静かに、だが温かみを感じるような声色で問う。


「あいつが! 私が! 憎い。殺したい。私を!」


 絶句した。ノエルは、父親の仇である英雄と同じくらい、自分のことを憎んでいるのか。一体どうして、どうしてそこまで……。


 だが、ひとつだけ、わかったことがある。今のノエルを動かしているのは、深層心理だ。無意識の奥の奥。本人にすら見えない心の深層。だから私にも感情が伝わらない。なぜ深層心理だけが残ったのかは、わからないが。わかるのは、彼女は心の底から自分自身を憎んでいるということだ。


「誰か、私を殺してよ……」


 あいつ、というのが抜けていた。それが、ノエルにとっての一番なのか。そんな悲しいことが、あってもいいのか?


 ノエルの声は今にも泣きだしそうなほどに、ひどく弱く、掠れていた。


 私もルミも何もできずにいる。そのうちに、ノエルの体が地面に吸い込まれていくように倒れた。ルミが咄嗟に受け止め、抱き留める。ノエルの目は閉じられていた。無意識すら彼女の体を手放した。


「なあ、うつろ」


 ルミがノエルを強く抱いている。


「なんだ」


 私はただ、何もすることができず、聞き返すだけだった。


「ノエルをこうした原因がノエル以外にあるのなら、お前はそれを許せるか?」

「……許せんだろうな。お前は?」

「私もだ……!」


 ルミの叫び声が、教会内に虚しくこだました。


 私たちは無力感を抱えながら、教会を出る。アイコが教会の陰から顔を出した。逃げろというノエルの指示を守り、かといって街に逃げ込むわけにもいかず、物陰に隠れていたんだろう。


「ノエル!? どうしたの?」

「気絶しているだけだ」

「腕、すごい怪我してるけど……」

「敵にやられてな。だが、なぜか敵は帰っていったよ」

「そうなのね……って、とりあえず宿! ノエルを寝かせよう」

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