第二話:異世界人と魔族(ルミ視点)②
私たちは、宿を出た。表示されている地図を見ながら、目的の場所を目指す。父の所在を示す赤い点は、ずっと動かない。誰かと話しているのか、その場所に何かがあるのか。宿からそう遠くはないが、この場所は確か……。
赤い点が示す場所につくと、父の姿はなかった。代わりに、話をする黒いローブの男が一人と、女が一人。フードをしているが、背格好からして男女らしかった。よく見ると、ローブの背には金十字の紋章が描かれている。
「これはどうなっている。発信器は?」
「発信源は、あの男だぜ」
「なに?」
「つまりあれは、市長ってことだ」
その言葉が私の耳から入り、脳へと到達するのに少しだけ時間がかかった。そのまま素通りしてくれたら、どれだけ良かったことか。いや、それではダメなのだろう。
どうして、父が黒教のローブを着ているんだ。一体、何が起きているというんだ。
「何を話しているんだろう」
「それを聞くために、こいつがあるわけよ。ちょっと離れるぜ」
「あ、ああ……」
ラインハートは適当な路地に入り、受信機兼盗聴器を弄っている。すると、機械から声が聞こえてきた。
「これまでミュートにしてたからよ」
『ロイ様、実験体の調達はどのように……』
「は……?」
思わず、小さな声をあげてしまう。今、女の声で父の名前を呼んだのか? なぜだ。ダメだ、頭がうまく働かない。なぜって、そんなのは決まっているじゃないか。父が、黒教の教団員ということだ。しかも、様をつけて呼ばれるほどには立場が上の。
頭ではわかっているつもりだが、どこかで理解を拒んでいる私がいる。
『実験体はこれまで通り、攫うなり何なりしろ』
『母体のほうは?』
『あれにはもう、子は産めんよ。肉塊じゃあな……』
母のことか……? 父が、母のことを「あれ」「肉塊」と呼んだのか。産めないってどういうことだ。もう、ということはこれまでに……? 実験体を産んだということになる。そもそも、実験体とはなんだ。何を言っているんだ。
頭の中で、必要以上に疑問がぐるぐると、とぐろを巻いていくのを感じて、どうにかなりそうだ。
『実験体はこれ以上必要なのでしょうか』
『我らが英雄様が異世界から攫ってくる奴らもいるが、それだけじゃ足りないんだよなあ』
『産場計画はどうなるんでしょうね』
『さあな。なるようにしかならんさ』
不穏な会話が、異世界の道具から垂れ流されている。英雄とはなんだ。口ぶりからして、黒教の重要人物だろうか。あるいは、教祖か。産場計画……まさか母がああなったのも、その計画で? だが、父に何の得があるんだ。紛れもなく、二人は愛し合っていたように私の目には映った。母を廃人にして、一体父が何を得たというのだ。
考えれば考えるほどに、わけがわからなくなる。
「ラインハート、これからどうするんだ」
「あ? まあ、折を見て突撃だな」
「今じゃないのか?」
『うまくいくといいですね』
『ああ。楽園を作るためには、この実験は必要だからな。人類に魔族化の耐性をつけられなきゃあ、残るのは死と肉塊のみだ』
変わらず、父と思しき人物たちの会話が聞こえてくる。私はラインハートの目を見た。ラインハートは機械ではなく、遠くに見える父たちの姿を睨んでいるように見える。そういえば、さっきの会話、異世界から連れてきた実験体というのがあった。異世界から攫われたラインハートには、他人事ではないだろう。もし父が加担しているなら、恨んでいるだろうな、父を。
私は、どうなんだろうか。
「今、か……。たしかに、今かもしんねえな」
ラインハートが、機械を弄る。声は、聞こえなくなった。
「行くぞ。覚悟はいいか?」
覚悟、か。恐らく私には、まだない。それでも、行かなきゃいけないと私は思う。だから私は敢えて力強く、「ああ」と答えた。
路地裏から二人同時に勢いよく飛び出し、父たちの元へと駆け寄る。こちらに気づいたのか、父が女を建物の中に逃がした。ラインハートが私の前で、剣を抜く。私は剣の柄に手をかける。
だが、剣がどうにも重い。鞘と癒着してしまったかのように、動いてくれない。
「ロイ!」
ラインハートが父に斬りかかる。
「しまったねえ、こりゃ……」
父は、剣を受け止めていた。剣を抜く時間はなかった。どうやって?
「お前、どうしたよ、それ」
父の手が剣にかざされていた。剣は、手に触れる直前に制止している。黒い靄のようなものに阻まれて。
「悪魔に魂を売ったのさ」
「洒落た言い回ししやがって」
魔法。それも、確かこれは陰属性の魔法だ。昔、父に教わったことがある。悪魔と、それに近づいた者にしか扱えない魔法。質量を持った影を自在に操る魔法だ。どうして、父がそんなものを。
「どうして・・・・・・」
「ルミにはまだ知られたくなかったが、仕方がないなこりゃ」
ラインハートの体が、影に掴まれ吹き飛ばされた。ラインハートが私の後ろに倒れ込む。
「ラインハート!」
「おっと、待てよ、話が先だ」
ラインハートの元へと駆け寄ろうとする私の前に、父が立ちふさがった。
「父さん……なぜ陰魔法が使えるんだ」
私は再び、剣の柄に手をかけた。父は左手であごひげをなぞり、右手を剣の柄に置く。
「そりゃお前、俺が悪魔になったからだ」
「悪魔に……? だがどう見ても」
「人間、か? 人間も悪魔も大して違わねえってことよ」
父が笑う。いつものように、穏やかに。それが妙に、不気味だった。
「全部お前なのか、ロイ」
ラインハートが、ゆっくりと起き上がるのが見えた。依然として、剣は離さない。立ち上がり、切っ先を再び父へと向ける。
「全部、とは?」
「ルミの母親のことだよ」
「ハッハッハ。君が本当に聞きたいのはそれじゃないだろうに」
「いいから答えろ!」
ラインハートの叫び声が、教会前にこだまする。建物という建物から反響し、耳に何度も返ってくる。
「ああ、そうだ」
父は、さも当然かのように答えた。息をするように、食事をするように、睡眠を取るように。それが当たり前の営みであると、そう言いたげな表情で、声で。
「魔族を京都に引き入れたのもお前だな?」
「ああ」
「その後、ルミの母親を魔族に陵辱させたのもお前だ」
「ああ」
「廃人になるまで、何度も魔族との子を産ませたな」
「そうとも!」
父は、笑顔だった。胸を張って、ラインハートの方に振り返る。顔はもう見えなくなってしまった。
「なぜだ! お前の妻だろうが!」
「だからこそだよ」
「なに?」
「だからこそ、楽園の母にふさわしい」
まただ、また楽園という言葉だ。一体なんなんだそれは。聞くたびに、なぜか寒気がしてくる。なぜだ。一体なぜ。
「あれは人類の希望だったんだよ。いや、魔族にとっても、悪魔にとってもか」
「何を言っている?」
「英雄が異世界から人間を攫い、魔族の遺伝子を注ぐのも、全ては人類、魔族、悪魔の安寧のため」
父が何を言っているのか、まるでわからない。理解を拒んでいるんじゃなく、本当に心の底から理解ができなかった。
「魔族の遺伝子を……そうか、なるほどな。やはりお前は生かしてはおけんな」
「では、どうする?」
「決まってんだろ。殺すんだよ! お前も、英雄とかいう奴も!」
ラインハートが父に飛びかかる。
が、また影だ。掴まれ、はじき返される。ラインハートは剣を捨て、三度飛びかかった。ダメだ、素手では無謀だ。そう叫びたい。
だが、私はどうだ。ここまで聞いて、私は何を思う? 母をあんなにした張本人は、私の父だった。愛する母を滅茶苦茶にしたのは、愛する父だ。どちらも、私にとっては大切な人だ。じゃあ、許せるのか? 怒りは、憎しみは、恨みは無いと言えるだろうか。
ラインハートの拳が、父の影を打ち砕く。
そうだ、私は、止めなきゃいけないんだ。父がこれ以上の蛮行を重ねないように、私が止めないといけないんだ。殺してでも、止めないと……。
剣の柄を握る。まだ剣は重かった。先ほどよりずっと、重く感じた。
だが、抜けた。抜けてしまったんだ。ならば、やらなければならない。私が!
私は何も言わず、ただ黙って、父の背中に剣を突き刺した。肉を切り裂き、骨を割る感覚が手に伝わってくる。背中から、命が噴き出していく。私の手に、服に、顔に粘っこい赤い液体が付着した。
「まさか……はは、やるねえ」
父が倒れ込む。私はそれを黙って見下ろすことしかできなかった。父が、死んだ。私が、殺してしまったのだ。剣が地面に落ちたのか、甲高い音が聞こえる。違うな。私が手放したんだ。気づけば、膝を地面についていた。
「ああ……ああ……」
涙は、なぜか出てこない。
「ルミ、お前……」
ラインハートが駆け寄ってくるのが見える。視界はハッキリしているのに、意識が落ち着かない。私は何を見ているんだ。何をしているんだ。何を感じているんだ。私は何を……。何をすべきだったんだ。
本当に、これでよかったのか?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます