一話:京都の女騎士(ルミ視点)②
女子寮の自室に戻るやいなや、私はベッドに見を投げ出す。「疲れたー!」と大きな声で叫び、枕に顔をうずめた。しばらくそうしてから、ため息をつき、シャワーを浴びて服を着替え、眠りにつく。
午前6時、いつもの時間に目が冷めた。幼少期からの習慣というのは、なかなか抜けないらしい。顔を洗い着替えを済ませ、寮の外へと出る。そのままゆっくりと走り出し、徐々に速度を上げていく。寮の外周をぐるぐると走り回った。息が切れるまで走り続けると、日が完全に昇っていた。
「さてと」
寮の中に入り、食堂で朝食を済ませる。食堂にはまだ誰もいない。常備されているパンと水と肉を手に取り、口へと運んだ。
食事を終えると、独房へと向かう。ここまでが、日課だ。もう完全に慣れてしまった。母のいる牢屋の前に立ち、腰を落とす。鉄の床に尻をつけ、あぐらを組んだ。ひんやりとした感触が、京都騎士団の制服ごしに伝わる。
さて、何を話したもんか。ラインハートに剣を教わった話くらいしか、できる話がなさそうだ。
「昨日は同僚に剣を教わったんだ。違う流派を知ると刺激になっていいな」
声には、反応がない。それでも私は、言葉を続ける。そうしなければ、母の体がどこかに消えてしまいそうで怖かった。これだけは、何度繰り返しても慣れない。ラインハートが照れていたのがおかしかったという話を、少し盛って喋った。
他にも、色々と話す。寮の外周をまわった回数の新記録を出したとか、食堂のパンが相変わらずパサパサでまずいとか。話をしながらも、もしかしたらという気持ちを捨てられず、間をおいて話してしまう。
身じろぎ以外の反応を示したことなんて、母がこうなってから一度もないというのに。
魔族の核がむき出しで、人間の心臓の形をした別の何かが見える。脳のようなものもむき出しになっているが、肥大化していて最早人間の脳とはまるで違うものになってしまっている。目や口といったパーツは、もうどこにあるかすらもわからない。肉の塊をかきわければあるかもしれないと思い、何度か試そうとしたことがある。
だけど、できなかった。もし、記憶にある優しい母の顔でなかったとしたら。もし、より痛ましい格好だったとしたなら。そう思うと、どうにも母の体に触れるのをためらってしまう。
「はあ……いかんな、こんなことでは」
ため息をついて、母に一礼して外に出た。毎日、こんなことの繰り返しだ。走り込みと母への挨拶と、触れたくて、でもできなくて外に出ること。その後は、訓練か雑務か任務かの三種類。このルーティンをこなすことが、私にとっての日常だった。いつまで、こんな毎日が続くんだろうな。
正直、辟易としてしまう。
外に出ると、太陽が昇っており、寮からはぽつりぽつりと女騎士たちが出てきている。そうして吸い込まれるかのように、市庁舎の方向へと歩いて行った。黒いインナーの上から灰色のカーディガンのような羽織を羽織る。羽織には橙色のアクセントカラーが入れられていた。灰色のパンツにも、橙色がアクセントとして入れられている。
この制服に恥じない人生を私は、歩めているのだろうか。
「でも、正直ダサいよな。この制服」
一部の女騎士は可愛いと言うが、私にはそうは思えなかった。だけど、騎士の証だからこれはこれで気に入ってはいる。問題なのは、私がこの制服の重みに見合う人間かどうかということだ。
自分の制服姿を見下ろして、ため息をついた。最近どうも、ため息が多くてかなわん。コレではダメだと、頬をビシッと両手で挟むように叩く。そうして、自分もまた吸い込まれるようにして市庁舎へと向かった。
市庁舎の裏口、騎士の通用口。その扉の前に、ラインハートが腕を組んで立っていた。
「よう」
ラインハートが右手をあげる。私も右手をあげ返した。
「なんだ、入らんのか?」
「ん? まあ、なんだ。お前に話があってな」
ラインハートは、腕組みを解かない。腕組みは拒絶や防御を表すと、以前父である市長の部屋にあった本で読んだことがある。ラインハートは常日頃から、あけすけだ。姿勢も悪く、腕を所在なさげにぶら下げている事が多い。何か嫌な話があるのか、何かを警戒しているのか。いずれにしても、珍しいことだ。
「ここで、できるような話か?」
「今ならな」
「今なら?」
この時間なら話せること。わざわざ市庁舎の裏口で話すようなこと。、加えて、ラインハートの顔がこわばっているのを見るに、どうやら父に聞かれたらまずい話のようだ。この時間に、父はいつも市庁舎を離れる。市庁舎の執務室は、彼の私室と化している。そこから離れて何をしているのかは、私にもわからない。
だが、いつもこの時間にいない人物に心当たりがあるとすれば、父以外になかった。
「お前に不都合なことを伝えなきゃならん」
「不都合?」
「ロイ市長のことだが……チッ、後にしたほうが良さそうだな」
「ん?」
ラインハートが視線をそらして舌打ちをした。彼の目線の先を追うと、父が笑顔で駆け寄ってきていた。なるほど、本当に父には知られたくない話らしい。
父は私の前で立ち止まり、「おう」と言った。
「今出勤か?」
「そっちはまた用事?」
「ハッハッハッ! そんなところだ!」
父が豪快に笑う。笑いどころなんて、何ひとつとしてなかったのに。この父親は、いつも豪快に笑っている。目の前だから声が大きく、少しだけうるさいなと感じてしまった。私はすでに慣れているが、初見ではたいてい驚かれる。
「お、ラインハートも一緒か」
父が、露骨に視線を逸しているラインハートのほうを向き、また右手をあげる。
「娘と仲良くしてくれているようだな。感謝する」
「同期ですからね」
「ハッハッハッ! 同期愛が強くて結構!」
父はそれだけ言って、笑いながら市庁舎に入っていく。私たちもそれに続いた。とどまるのは不自然だ、とラインハートの目が訴えかけてきたように感じた。私が裏口の扉を閉めると、父が急に立ち止まり振り返った。
「そうだ、二人とも、執務室に来なさい」
「何か仕事ですか?」
私は、敢えて敬語で聞く。市庁舎の建物に入った瞬間から、父と娘ではなく上司と部下だ。これは、騎士団に入ると決めたときからの父との約束だった。破ったことは、一度もないように思う。
父は表情をひとつも動かさず、「んー」と言葉を伸ばす。
「まあ、詳しい話は執務室でするか」
独り言のように呟いた。
私はラインハートと顔を見合わせる。私が首をかしげると、ラインハートは顎に手を当てた。
裏口から市庁舎の従業員用の通路に入ったが、ここから執務室は近い。すぐそこにある階段を上がって、三階に行けばすぐだ。三階は父の執務室と、父の書斎しかない。執務室と書斎の違いを昔聞いたら、「公と私だ」と短く答えられてしまったっけ。結局公私混同をしがちだから、私は未だにその区別に納得がいっていない。
ともかく、私達は三階の執務室に通された。
執務室に入ると、父は自らの椅子にどっかりと座る。葉巻をくわえ、火をつけた。私たちは立ったまま、デスクを挟んで父と向かい合う形になる。父は一服しながら、難しい顔をして口を開いた。
「近頃、福岡の情勢がきな臭い」
「福岡、ですか」
行ったことはないが、知っている。京都からかなり西に行くと、橋が見える。その橋を渡り南に行くと、福岡行政区……通称福岡だ。京都からは遠くの行政区ではあるが、倭大陸に行政区はそう多くはない。一番近いのは神戸だが、神戸は絶対中立の交易都市。ほかの行政区の情勢を探り、何かがあったときに援助するのはいつも京都の役回りだった。
「最近になって、福岡付近に怪しい人物の目撃例が多くてな」
「黒教ですか」
ラインハートが口を挟む。父は「それだよ」と短く言い、葉巻を置いた。
「背中に金十字の紋章のある、黒いローブを着た宗教団体……でしたっけ」
「ああ。まあ宗教団体とは言うが、実態は犯罪組織だ」
「その黒教の目撃例が多い、と」
「それと同時期、福岡と神戸に違法な薬物が広がり始めた」
「薬物?」
「ああ。最初は昔の良かった記憶を思い返させる効果があるだけだが、依存性が高くてな。そして、副作用がある」
「副作用、ですか」
逆に記憶を失うとかそんなところだろうか。
「何度も服用していると、姿が魔族のようになるらしい」
「魔族……」
魔族は、魔界と呼ばれる場所に住んでいる別種の人類だ。私達のいる人間の世界にも、度々現れている。ほんの少しだけ赤みがかっている肌と、額の短い角が特徴的だ。とてつもない怪力と、人の体を浮かせる不思議な力を持っているという話も父からよく聞かされた。我々と違う特徴を持つからか、長い間迫害されてしまっているとも。
魔族になる薬……皮肉なものだな。
「そこにきて、最近魔物が活発化していてな。いや、凶暴化と言ったほうがいいか」
「はい、魔物被害が増えているという話は聞いています」
「本来、この世界の魔物はあまり人を襲わないのでは?」
ラインハートが肩をすくめて言った。この世界、という言い回しが少しだけ気にかかったが、まあ、些細なことだろう。
「それに、福岡以外ではその話はあまり聞きませんよね」
そう、私も福岡帰りの騎士仲間から聞いただけだ。京都では、魔物が凶暴化して人を襲うという事例は、報告されていない。あったとしても、人間から手を出したときや元々人を襲う種の魔物だったときくらいだ。
どうして福岡だけ……?
「ほかにも、不死の軍勢が復活したとか妙な話が多い」
「不死の軍勢……大昔の伝説ですよね」
大昔に、不死の軍勢と魔女が戦いを繰り広げたという伝説がある。福岡の街を襲う不死の軍勢から、魔女は街を守った。それなのに、人々によって魔女は殺されてしまうという胸糞悪い伝説だ。
魔法を使う人間は、さまざまな名称で呼ばれる。悪魔憑き、魔法使い、魔の使徒など。
しかし、魔女と呼ぶのは、その伝説上の人物ただ一人だけだ。
父が頭を抱えている。葉巻を灰皿にこすりつけ、遊ぶようにいじっている。言いにくいことを言おうとしているときの、父の癖だ。
「あー……近々福岡に向かうんだが」
「同行します」
私は、すかさずそう返した。上司がそう言うのであれば、私が同行しない理屈はない。それに、父は私達に同行してほしいはずだ。でなければ、わざわざ呼び出してこんな話はしないだろう。上司と部下としてもそうだが、私は父のお願いはなるべく叶えてやりたい。少しでも、親孝行になればと。
「本当か? 恐らく危険だぞ」
「俺も行きますよ。そのために呼んだんだろ?」
「そうそう、呼んでおいて言いづらそうにするのはやめてください」
私が笑いながら言うと、父も頭をかいて笑う。
「ありがとう。よろしく頼むぞ」
「はい」
「うっす」
結局、翌日に福岡に向けて発つことになった。
執務室を出ると、ラインハートがまた顎に手を当てている。そろそろ長い付き合いだ。こうしているときは、何か考え込んでいるときだとわかってきた。
「どうしたんだ?」
「お前、このあと仕事は?」
「今日は特に。訓練だな」
「じゃあ、ちょいと俺の仕事を手伝ってくれよ」
「ええ……そういえば話があるらしかったな。手伝おう」
「助かるぜ」
ラインハートは、「こっちだ」と先導して歩き始めた。その背中が普段よりも大きく、だけど小さくも見える。話があると切り出したときも、妙に言いにくそうにしていたな。いったい何の話があるのかと、私もつい肩に力が入ってしまいそうだ。
執務室を出て右に進み、階段を上がる。すぐ上の階にある大きな部屋に入った。資料室だった。
「資料整理か? お前が?」
ラインハートが「何がおかしい」と、笑いながら言う。私は「あ、いや意外でな」と目を逸らした。ラインハートの後ろをついて、資料室の中を歩く。奥へ奥へ。
すると、資料が床に平積みされているのが見えた。
「この資料だ」
本もただの紙束も、同じように積まれたその資料たちは、パッと見るだけでも膨大な量だった。一体なんの資料なんだ、これは。どうしてこんなに集めているんだ。
手を伸ばし、手近にあった紙束を拾い上げる。
――オーパーツに関する報告
これは、異世界からの漂流物に関する資料か。ぱらぱらとめくってみる。この資料は、オーパーツとは言っても建物や物ではなく、人についての資料だった。異世界人について調べているのか? 一体どうして。
「最近、オーパーツが増えてるんだと」
「ん? ああ、話には聞いているが……」
私のオーパーツについての知識は、一般教養レベルでしかない。大昔から、これまで無かったものが突如として現れるという事象が報告されていたらしい。そうしてオーパーツという名称とともに、後世へと伝えられた。
私たちの生活のなかにも、オーパーツはもうすでに浸透している。研究者が解析し、技師が機能を再現したり使えるようにしたりして使っている。なかには、我々の世界での生産を可能にしているものもある。照明なんかがそうだ。
途方も無い話だ、と思う。
「小物だけならいいが、建築物まで急に現れるから被害が出てるしよ。面倒だよな」
ラインハートが、資料の一角を運び、テーブルに置く。私も資料の一角を拾い上げ、抱えて運んだ。
「だが原因不明で、昔からある災害のようなものだ。防ぎようがない」
「最近じゃ、人間のオーパーツまで増えてるらしいぜ」
「それは……難儀だな」
突然、異世界に飛ばされるというのは、一体どういう気分なんだろう。わけがわからないだろうな。
「私なら、生きていけないだろうな」
「実際、生きていけねえやつが多いんだとよ」
ラインハートは、資料の束を抱え、天井を見上げる。私はそれを横目で見て、資料の束を運んだ。
「最初に頼った人間が運悪く悪人で、奴隷として売り飛ばされるとか」
「ああ、いかにもありがちな話だな」
「海のど真ん中に飛ばされて、そのまま死んじまうとかな」
「たしかに、出現場所に法則性がないなら、そういうこともあるだろう」
私なら、と考えてしまう。私なら、どんな場所でもおそらくはうまくいかないんだろう。まあ、この手の話で自分ならと考えることは、あまり意味があるとは思えんが。
ん? 待てよ。
「そういえば、倭大陸から物や人が急になくなるというのは、聞かないな」
異世界から物や人が来るなら、この世界からも異世界に物や人が流れてもおかしくはなさそうだ。なのに、そういう話は全く聞かない。なぜだ。
気がつくと、ラインハートが私の顔を覗き込んでいた。訝しげな顔のように思える。私はそんなに考え込んでいたか?
「目をこらして耳を澄ましてみりゃ、意外と何かが無くなってるかもしれんぜ」
そうして、茶化すように笑う。私の顔を覗き込んだまま。私は少し呆けてしまった。
気を取り直して、目の前の資料に集中する。この莫大な資料、一体どう整理すればいいんだ……。
見ると、オーパーツの資料がかなり多いようだった。あとは、黒教に関する資料が大半だ。オーパーツと黒教……何か関連でもあるのだろうか。
「ほらよ、これ読んでみろ」
「ん?」
既に資料を両手に持っている私に、ラインハートがひとつの紙束を渡してきた。私は手に持っていた資料を置き、それを手に取る。
――黒教に関する調査報告書
「極秘資料ってやつだ。黙読してみな」
私は、その資料に目を通した。
――――。
黒教とは、近年活発になっている新興宗教の通称。彼らには名前がなく、何を崇拝しているのかも定かではない。
背中に金十字の紋章を負ったローブを着ており、宗教的儀式と思しきことを行っている目撃談が多数あることから、黒教と呼ばれだした。
倭大陸にて主要な宗教である、白教との対比でもある。
ノエラート・グリムは、大昔の悪魔・人類・魔族を巻き込んだ戦争に終止符を打った。神と呼ばれることもあれば、救世主と呼ばれることもある。白教の崇めている神。この白教と対になる名を、大衆が黒教に与えた。
以下は、そんな黒教に出入りしていると思しき人物のリストである。なお、通名ではなく本名を把握できている者に関してのみ、本名で記載することとする。
・サン・ジュリア
・エクレア・リブレ
・アル・カザリ
……。
・ロイド・フラーマ
――――。
なんだ、これは。一体なんの冗談だ。
心臓が早鐘を打つ。目眩がしそうになる。
ロイド・フラーマ。私の父の名前だ。ロイドから取って、通名をロイとしている。私の父の名が、どうしてここに出てくる。自分の目を疑い、何度も読み返したが、その名前は変わらずそこにあり続けている。
「さっき言ってた話ってのが、これだ」
「いやいやいや、何かの間違いだろうこれは。誰が作ったんだ、この資料」
「俺だよ」
ラインハートが、作ったのか。そう思うと、少し安心できるような気がした。いい加減なラインハートのことだ、大した証拠もなく裏取りもせずに作ったのだろう。
「お、安心したって顔だな」
「む」
私は思わず顔を触ってしまった。そんな、露骨な顔をしていたのか、私は。
「残念だが、そこに載せてる奴は全員、疑いが濃厚だ」
「証拠や裏取りは?」
「明確な証拠はないが、黒教の拠点に出入りし、黒いローブと親しげに話しているロイ市長の姿を俺は見たぜ」
目撃証言があるということか……。それでも、私は信じられないな。父は、私にはすごく優しかった。昔からそうだ。快活で、優しくて、いつも私に「誰かの希望になれ」と言っていた。
そんな父が、宗教団体とは名ばかりの犯罪組織に出入りしているとは到底思えない。
仮に出入りしているにしても、調査ではないのだろうか。そもそも、どうしてラインハートはこんなことを調べてるんだ。
「俺は個人的に、黒教と因縁があってな。だから調べてんだ」
ラインハートの言葉から、いつもの軽薄な感じが消えていた。私にこの資料を渡したときから、そうだったかもしれない。本気という証拠だった。
私は思わず、眉間に皺が寄るのを感じ、眉間をさすってしまう。
「お前の親父さん、一体何をしているんだろうな」
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