二章 人族と魔族と人魔(産場編)
一話:京都の女騎士(ルミ視点)①
目の前に、物言わぬ肉の塊がある。彼女は独房に入れられ、何を思うのだろう。ふと、彼女が静かに自分を見つめているように感じる。思い出すのは、小さい頃のこと。美しく聡明だった大好きな母が、ある日突然肉の塊になった。
昔、魔族が京都に攻めてきたときに、母は魔族に捕まり、凌辱されたという。父からは魔族全員がそういう奴らではないということを聞かされ、自分でもそれに納得していると思う。子供の頃の私も、きっとそうだった。
だが、数年人間の姿を保った母は、突然今の姿に変わった。魔族への変異に身体が耐えられなかったのだと、魔族研究の第一人者である父は言う。魔族の遺伝子を取り込んだため、魔族に変異していったのだと。
私は、彼女の姿を毎日見ている。独房の中にいる、肉の塊となった母の姿を。
それでも、母を前にすると言葉が詰まる。何を話せばいいのか、何を話したいのかがわからなくなる。そうだ、訓練の話とか任務の話とかにしよう。
「母さん、今日も訓練頑張ったよ」
声をかけても、広い空間に自分の声が反響して弱弱しく返ってくるだけだった。
「今日なんて、非番だったのにな」
母が、ほんの少しだけ蠢く。私はこれを、ちょっとした返事のように捉えている。恐らくこれは「お疲れさま」とか、そんな感じだろう。もっとも、これは母の動きをパターン化して適当に当てはめているだけだ。私の、そう言ってくれていたらいいな、以前の母ならこういうときはこう言ってくれたよな、という懐かしさと願望に過ぎないのだが。
「最近は、任務も結構こなせるようになってきたんだ」
母は、ぴくりとも動かない。いつもこうだ。基本的には、母は喋らないし動きもしない。一日に何度か、動きがあればいい方だ。今日はもう、あまり反応は得られないかもしれないな。そう思うと、ため息が出る。
「また明日もくるよ」
私は母に頭を下げてから、独房を出た。
曇り空からほんの少しだけ降り注ぐ日の光が、目に突き刺さる。ぼんやりとした視界が開けて、じめっとした空気感のある木々が目に映った。もうじき、夕刻になろうとしている。それなのに、曇り空のせいか妙に薄ら明るい。
私は隔離された独房のある雑木林から、文明的な建物へと足を伸ばす。真っ白く継ぎ目のない壁に囲まれたその建物は、異世界から突然現れたらしい。毎日見ているが、毎日圧倒される。この広い敷地にあるほとんどの建物が、異世界からの漂流物だというのだから。
「異世界か……」
ふと、魔族も人類も悪魔もない世界があるのだろうかと、考える。種族というものが存在せず、そこにはただ知的生命体がいるだけの世界が。そう考えて、私は思わず笑いそうになった。行けないのに考えても、仕方がないな。
大きく伸びをする。
そうこうしていると、目の前から背の高い金髪の男が歩いてきた。
「ラインハートか」
「よう!」
「ようではない。言葉遣いが相変わらずだな」
「畏まったっていいことないぜ」
同期とはいえ、騎士たる者それ相応の言葉遣いがあるだろう、と私はいつも思う。何度言っても、この男は変わろうとはしない。確かに同期だけなら砕けた言葉遣いでもいいかもしれない。私が堅いだけだと言われれば、それまでだろう。
だが、この男は上官にも砕けた口調なのが問題だ。
目の前の男は、いつものようにヘラヘラと笑っている。
「今日もおふくろさんのところか?」
「ああ」
「毎日毎日、頭が下がるねえ」
「茶化すな」
「いや本気で言ってんだよ? 俺はさ」
こいつ、いつになく絡んでくるな。普段は絡むと言っても、世間話をする程度だ。母のことに言及されたことは、過去に数えるほどしかない。私が毎日独房に通っているのを怪しんで話しかけてきたのが、私達の付き合いの始まりだった。それからは、ほんの一回か二回だ。訓練校の頃から、その程度。
何か言いたいことがあるんじゃなかろうか。
「お前、何か言いたいことがあるな?」
私が言うと、ラインハートが急に真顔になった。どうやら図星だったらしい。
「やめたほうがいいんじゃねえの?」
ラインハートが、明るい声色で言った。
「何をだ?」
「母親のところに毎日通うのを、だ」
「む」
お前に何がわかるというのだ。一瞬だけ、そう思った。本当にほんの一瞬だけだったから、口には出なかったが。
「お前に何がわかるって言いたげだな」
この男には、お見通しらしい。同期というのは、厄介なものだな。
「わかんねえよ? 俺には親いねえからよ」
「そういうつもりじゃ……いや、すまん」
ラインハートには、両親がいないらしい。その話を随分前に聞いていた。忘れていたわけではないが、飄々とした明るさを前にするとつい意識の外に行ってしまう。私は深々と頭を下げた。
「よしてくれ、別に嫌味で言ったんじゃねえんだ」
顔を上げると、ラインハートがポリポリと頬をかいているのが目に入る。ラインハートが何か反応に困ったときの癖だ。
「軽率だったよ」
「いいってことよ。俺とお前の仲だからな」
どんな仲だ、というのは心の中だけに留めておこう。先程失言をしたばかりで、人の発言に突っ込むのは気が引ける。私はただ笑顔を作ることしかできなかった。ラインハートは、態度こそ飄々としているが、依然として真顔でいる。
「俺はただ、お前が壊れちまわねえかってな」
「私が? 壊れる?」
「ああ。精神的にきちいだろ、どう考えても」
確かに、精神的には辛いものがある。少なくとも、喜ばしいものでも心地よいものでもない。最初から母があの姿だったなら思うことも少なかっただろうが、元気だった頃の思い出がある分、どうしても色々なことを考えてしまう。
「メンタルってのは、心が強いヤツほど脆いんだぜ」
そう言うラインハートの声からは、飄々とした態度は消えていた。その目は私をまっすぐに捉えている。本気で私を案じてくれているのがわかる。同時に、何かそういう人間を見たことがあるかのような真実味が感じられた。
「まるで見てきたようだな」
「ああ。数え切れねえほどな」
私と年は変わらないように見えるのに、一体どれだけの経験を積んでいるんだろうか。本来なら嘘かもしれないと疑うところだが、ラインハートの言葉が単なる狂言だとは、私にはどうしても思えなかった。
「そうか。気に留めておこう」
「ああ、ぜひそうしてほしいね」
ラインハートはそれだけ言って去っていくかと思ったが、まだ何か言いたげに留まっている。今日は本当に珍しい日らしい。明日は雨か雹でも降るのではないか、とついまた無礼なことを考えてしまった。ラインハートはまたいつものニヤニヤとした笑いを取り戻し、口を開く。
「これから、俺と手合わせしてくれよ」
「は?」
これは本当に、珍しいどころの騒ぎではない。数年間の付き合いのなかで、はじめてのことだ。いつも剣の訓練をサボっているラインハートが、私に手合わせしてほしいと言う。一体どういう風の吹き回しだろうか。
いや、ラインハートが強いことは私も知っている。サボっているくせに強いから、私は何度も妬んだものだ。そのおかげで、私は剣に関しては首席で卒業できた。ある意味の恩人とも言えるだろう。そんな強烈なサボり魔であるこの男が、手合わせの誘いとは。
しかし、この男、軽い態度ではいるがどうも本気で言っているようにしか思えない。ならば、私も本気で応える必要があるな。思わず、口角が上がってしまう。
「お前には俺の剣を教えておこうかと思ってな」
「お前の剣を?」
意外だ。これはまた驚いた。
剣を教えるというのは、剣を扱う者のなかでは重いことだ。自分の人生を賭けて培ってきたものを他人に教えるのだ。自分の人生を相手に託す、ということに等しい価値があることだと私は父から教わった。先生たちも、口酸っぱく言っていた気がする。軽々しく、自分の流派をほかの流派に教えてはいけないと。
京都騎士団はだいたいが同じ流派だから、あまり意識することはなかった。
だが、ラインハートは違う。見たことがない独特な型を用いた、独自流派だ。
つい、肩に力が入る。
「本気で言っているのか?」
「俺だって流石に冗談でこんなこと言わねえよ。それくらい理解してるつもりだぜ」
「そうか……ならば、お願いしよう」
どうしてラインハートが私に、と腑に落ちない点はある。
だが、本気の言葉には本気で応えたい。何より私は、ラインハートの剣に前々から興味があった。願ってもないことだ。私はこれも礼儀と、頭を下げる。
「どこまでも堅いヤツだなあ」
ラインハートが笑っている。私も「そうかもしれないな」と、思わず笑ってしまった。
近場の訓練場に移動して、距離を取って向かい合う。こうしていると、訓練校の入学試験のことを思い出すようだった。あのときは、私は惨敗したんだっけか。あれから少しは、成長できているといいが。
「ま、教えると言っても、俺は教えるのが下手だ」
「だろうな」
「しかも俺は不良門下生だったから、理論なんて真面目に聞いちゃいねえ」
「ん? 独自流派じゃなかったのか」
「まあ俺流にアレンジしてるから、独自っちゃあ独自だな」
既存流派のアレンジか。それにしても、変だ。こいつの剣の型は、倭大陸のどこにも似ているものがない。アレンジにしても、元の流派と似ている部分があるはずだが、それがまるでないんだ。ラインハートめ、何か隠していることがあるな。
「だからまずは、体に叩き込む。本気で手合わせしようぜ」
「ふっ、わかりやすくていいな!」
私たちはほとんど同時に剣を抜いた。ここからは、おしゃべりはなしだという意気込みが伝わってくる。ラインハートから感じたことのないほどの気迫が、私を押しつぶそうとしている。私は剣を握り、重心を落として構えた。京都騎士団に伝わる基本的な型だ。
対してラインハートは、剣を両手で握り、まっすぐ立っている。よく見ると、片足を半歩ほど後ろに下げているな。つま先の向きも、少しだけ内に向いている。私達の流派とは、真逆とも言えるような構えだ。
「準備はいいな!」
「ああ! いつでもこい!」
「じゃあ……はじめ!」
ラインハートが叫ぶと同時に、私は地面を蹴る。懐に入った。薙ぎ払う。剣。完全に捉えた。そう思ったのもつかの間、私の剣が受け止められる。甲高い金属音。振り払われた。剣が頭上で煌めく。私が飛び退くと、ラインハートの剣がさっきまで私がいた虚空を切り裂く。大きな風切り音が私を威圧した。
峰打ちとはいえ、あれが当たれば気絶は免れないだろう。私は再び姿勢を落とし、突進。今度は迂回しながら。背後に回り込む。剣。躱される。飛び退いた一瞬の隙。追撃。剣で防がれた。だが、弾かれはしない。切り返し、剣を振るう。空を切った。間合い管理が甘かったか。
ラインハートが着地した。体勢は崩れていない。私は剣を構えたまま、様子を見る。よく見ると、半歩下がっている左足の踵がわずかに浮いている。攻めに転じる予兆だろう。
思った通り、ラインハートはまっすぐ突っ込んでくる。構えからして中段。姿勢を低くしても頭を叩かれる。私は後方に飛び退いた。次の瞬間、目の前に剣が迫る。しまった……! 誘われた。
私の頭に剣が振り下ろされる。剣で弾くか。間に合わない! 私は敢えて横に転がる。剣が空を切った。構え直す隙をつき、体勢を立て直す。地面を這うように。思い切り右足を後ろに下げ、足を払う。ラインハートの体がゆらり、と揺れた。と思った瞬間に掌底が迫る。躱せるか。ダメだ、間に合わない。
髪を掴まれ、地面に叩きつけられた。顔中に痛みが走る。かすかに砂利の混ざった地面がヤスリのように肌を削るのを感じた。痛みに耐えながら手を振り払い、地面を蹴る。剣。と見せかけて、左拳をラインハートの鳩尾にめり込ませた。
「ガッ……」
そのまま、すかさず剣。下から振り上げるように、峰でラインハートの顎を狙った剣が空を切る。わずかに顔を逸らすことで避けたのか。振り下ろされる剣。後ろに飛び退くか、横に躱すか。ダメだ、間に合わない!
剣は、私の頭にギリギリ当たらないくらいの位置で止まった。私は息を切らし、尻もちをついてしまう。
「勝負あり、だな」
「はあ……はあ……負けたか」
ラインハートが手を差し伸べてきた。私はその手を取り、体を起こす。呼吸をゆっくり整えた。ラインハートの構えを観察していたが、あれは攻防一体の構えだ。剣先が相手の喉元を狙いつつ、片足のかかとを浮かせる。相手の剣が来たら防げるし、その衝撃も逃しやすい。しかも、攻撃に転じるのもスムーズだ。
なるほど、よく考えられている。剣を受け止めたあとに弾くのは、ラインハートの我流だろう。力任せの強引な弾き返し。実にラインハートらしいじゃないか。そして力強く弾かれれば、体勢を崩してしまう。そこにすかさずカウンターを入れることもできるだろう。
「お前すげえな」
ラインハートがぼそっと呟いた。
「よく言う。勝者はお前だぞ」
「いや、短い手合わせで何か掴んだみてえだからよ。俺は全然覚えられなかったのに」
ラインハートが頬をぽりぽりとかいて笑っている。私も思わず苦笑してしまった。勝者の仕草とは思えんな。
それにしても、これを実戦に応用するのは難しそうだ。実戦というよりも、型を重視しているように思える。ラインハートはそこに実戦向きのアレンジをしたのだろう。低姿勢で構える私の構えとは、敵対するのも自分で使うのも相性があまりよくはなさそうだ。
だが、だからこそいざというときの武器になるかもしれない。
「ま、とりあえずやってみろ。見様見真似でな」
「ああ、やってみよう」
まず、姿勢は正す。左足を半歩ほど後ろに下げ、つま先をほんの少しだけ内側に向ける。ガニ股にならないように意識したい。剣は両手で握る。ラインハートは左手を中心として持っていたな。私もそれにならおう。脇はしっかり閉める。
こうして気づいたことがある。重心が、前と後ろとどっちつかずだ。スムーズに重心を移動できる。これが守りと攻めのスムーズな移行に繋がっているんだろうな。
「どうだ?」
「おお、できてるぜ」
「下段には対応しにくそうだな」
「京都騎士団の剣だと下から切り上げるから、まだ防ぎやすいけどな」
「足元を薙ぎ払うように斬るような動きには、弱いか」
「んなこと想定してねえからな、この構えは。そういうときは飛び退くなりなんなりするしかねえのさ」
なるほど、下段中心で戦う騎士団の剣とはラインハートの側も相性が悪いわけか。ふむ、案外教えるのがうまいじゃないか。
「なんとなく、基本はわかった気がする」
「そんだけできりゃ十分だ。あとは使いやすいように勝手にやってくれ」
「わかった」
「おう、宮古流の弱点を補うのにでも使ってくれや」
ラインハートが歯を見せて笑う。よく笑うやつだ。私はふうと息をついて、ラインハートに歩み寄り、手を差し出す。「ほい」と、ラインハートの目をまっすぐに見据えた。
「おいおい、照れるぜまったく」
ラインハートも、なんだかんだとその手を取ってくれる。
「流派は本来門外不出。教えてくれたからには礼を尽くさねばな」
私が言うと、ラインハートは手を話して頬をかいた。
「ま、俺は不良弟子だったがな」
「ははは、だろうな」
「おいルミ、そこは否定しろよ」
私が笑うと、ラインハートは背を向けて歩き始める。私もそれについていく。そのまま適当な雑談をしながら歩き、それぞれの寮へと帰って行った。
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