第三話:約束という名の契約

 目の前に、花畑が広がっている。これは夢だろう。この場所には覚えがある。誰もいないのに不思議と朽ちていく様子がない家があって、その近くには工房のような設備を備えた小屋がある。そして、この花畑には確か、ツタが絡みまくった剣が刺さった台座があったはずだ。


 村の近くにある迷いの森。精霊の森とも言うらしい。子供の頃に何度かアイコと来たけど、本来は来てはいけない場所だ。私の視界に入る自分の体が幼い。これはいつ頃だろう。あ、アイコもいる。幼いアイコは金色の髪を風になびかせて、目を輝かせて剣を見ている。


「これ、これすごい剣だよきっと! 精霊の剣だって!」

「えー、御伽噺でしょ?」

「やっぱりあったんだよ!」

「違うかもしれないじゃん」

「だってこんな台座に刺さってるんだよ? 絶対伝説の剣だよ」

「精霊の剣じゃなかったっけ」


 この会話にも覚えがある。これは、私が十歳の頃の記憶だ。つまり今から八年前。まだまだ無邪気な子供といった感じだな。たしか、アイコが御伽噺に出てきた精霊の剣が欲しいとずっと言っていたんだっけ。それで精霊の森という別名があるこの森に、探しに来たんだった。御伽噺に出てくる剣が刺さった森が、精霊の森という名前だったから。


「抜いてみようよ!」


 アイコが言いながら、剣の柄に手をかける。折れないかどうか、心配になるほどに風化している剣は意外とびくりともしない。そう、アイコは抜けなかった。私も試したけど、たしか抜けなかったんだっけ。


「だめかあ……」

「本当にびくりともしないね」

「選ばれた人にしか抜けないやつだよ! お約束だよ!」

「いや知らないけど」

「ノエルもノエルも!」


 私は困った顔をしながら、アイコに促されるがままに剣の柄に手をかけた。両手で手をかけて、少し力を入れると意外とすんなり剣は抜ける。あれ……抜けた? このときって、そうだったっけ? まあ夢だから、現実の記憶とは違うんだろう。私は驚いた顔で、抜けた剣を見ている。


 それにしても、夢にしては精巧な作りだ。ツタが絡まっていてよく見えないけれど、剣の柄には細かい彫刻が施されている。あと、なぜか引き金のようなものが付いている。これを引き金というのだと知ったのは、ここ数年の話だ。アイコが持ってきたオーパーツに、銃というものがあって、それについていたもの。引くと鉛の弾が出るらしい。


 刀身にまで、彫刻が施されている。これでよく強度を保っていられるものだと、剣をかじった身としては感心してしまう。


「すごい!ノエルすごいすごい!」


 アイコが私以上にはしゃいでいる。当の私はというと、ただただ驚いて剣を見つめるばかりだ。このときは、アイコのほうが私より力が強かった。私が剣を習いはじめたのは、このときより後の話だ。なぜだかわからないけど、強くならないといけない気がしたんだっけ。


 本当に、どうして、そんな気がしたんだろう。


 そう思った瞬間に、視界にノイズが混ざった。ああ、夢ももう終わりらしい。何か、モヤモヤとした気持ちになる。どうして今、こんな昔の夢を見たんだろうか。自分の記憶と食い違う部分は、本当に夢だからなのか。色々な疑問が、首をもたげてきた。


 目が覚めたとき、クリーム色の天井が目に飛び込んできた。首だけを動かしてあたりを見渡すと、よくわからない工具や何かが置かれている。この工房のような部屋は、アイコの部屋だ。


 ああ、私はお父さんを燃やした後にまた気絶してしまっていたんだ。頭がじんじんと痛むのを感じながら、のっそりとした動きでベッドから起き上がる。ベッドのふちに腰をかけると、私の影から悪魔が姿を現した。


「ノエル、大丈夫か」

「うん、大丈夫だよ。ありがとうね」

「いや、私は何も……」


 悪魔が、そう言って露骨に顔を逸らした。私は悪魔を抱きかかえて、自分の膝に座らせる。


「私は本当に感謝してるんだよ」

「……実を言うと、あの瞬間より前からノエルの影に潜んでいたんだ」

「そうなの?」

「ああ。だから、もっと早くに契約を持ちかけていれば……」


 悪魔の声はぶっきらぼうに聞こえるけど、私を気遣ってくれているのがわかる。そうして、本気で悔いているんだろうということもぼんやりと伝わってきた。契約しているからか、悪魔の感情が少しわかる。


「いいんだよ。仕方がなかったんだよ」

「そうか……いや、そうかもな」


 悪魔がため息をつく。あ、そういえば悪魔悪魔と心の中で思ってるけど、この子にも名前はあるんだろうか。


「そういえば、名前は?」

「名前か……うつろう者、救世主の代理人、出来損ないの淫魔とか色々」

「ええ……」


 それは、名前じゃないんじゃないだろうか。ひとつ、悪口もあるし。どれも長くて呼びにくいな。何か名前をつけてあげるか、今ある呼び名を縮めるか。一番マシなのはうつろう者かな。うつろう、うつろ、うつろ……よし、それでいこう。


「好きに呼べばいいさ」

「じゃあ、うつろね」

「ふっ……そんなかわいらしい名前をつけてくれたのは、お前がはじめてだよ」


 あ、うつろが笑っている。悪魔は巷では悪者にされているし、魔法使いは悪魔憑きとして迫害されている。だけど、実際に話してみると人間と何も変わらないな。自分の行いを悔んだり、人を気遣ったり、笑ったりするんじゃないか。何も変わらない。


 私も思わず、少し笑ってしまう。


 笑うと楽になるというのは、本当らしい。あれだけ心が重かったのに、少しだけ軽くなっていた。それでも、あいつが主と呼んだ誰かのことが気にかかる。そいつが私とお父さんの殺しを依頼したんだとしたら、私は許せない。それに、理由を知らなきゃいけないと強く思う。


 知らなくて後悔するなんてことは、もう二度としたくない。


「うつろ」

「ん?」

「私は、あいつが言っていた主というのを探そうと思う」

「そうだな。それがいいな」

「協力してほしい」


 私は、膝の上にいるうつろに、深々と頭を下げた。


「私たちは契約したんだ。もちろん、協力するよ」

「ありがとう」

「ただ、私からもひとつ、頼みごとがしたい」

「うん? いいよ、なんでも言って」


 なんでも、と軽々しく言ってはいけないと昔お父さんに言われたことがあったっけ。だけど、これは紛れもない本心だった。


「私は、上司に言われてある男を探している」

「上司……救世主とかいう?」

「そうだ。白教の言うところの神だな」

「へえ……神様って悪魔の上司なんだ」

「というより、彼女もまた悪魔のひとりだよ」


 これは驚いた。白教と言えば、倭大陸で最も主流な宗教だ。そんな白教が祀っている神様が悪魔。なのに、世間は悪魔を迫害している。皮肉な話だなあと、呑気に思ってしまった。


「で、探している人っていうのは?」

「英雄と呼ばれている、大罪人だ」

「英雄なのに、大罪人?」

「かつては英雄と呼ばれたが、何か大きな罪を犯したらしい。救世主が監獄の世界を作って閉じ込めたんだが、脱走されてしまってな」

「スケールがでかいなあ……」


 話のスケールがあまりにも大きすぎて、いまいち理解できている気がしない。ええと、救世主が監獄として世界を作ったと。うんうん。まずここから話のスケールが壮大すぎる。倭大陸にも異世界から色々な物や人がオーパーツとして流れてくるから、違う世界があるのは誰でも知っているんだけど、作れるというのは知らなかった。


 とにかく、極悪人が脱獄したから探している。それを手伝ってほしいということか。それだけわかっていれば、今はいいのかもしれない。


「わかった。手伝うよ」

「そうか、助かる」

「これも契約だね」

「契約?」

「うん。約束を契るってことね、文字通りさ」


 私は、お父さんと自分の殺しを依頼した黒教の主というのを探したい。うつろは、脱走した犯罪者を捕まえたい。違う目的だけど、お互いに手伝い合うという約束。これも一種の契約みたいだな、と私は思った。


「そうだな、これも約束。契約だ」

「うんうん」

「あ、そういえば、体は大丈夫か?」

「ん? まあ、節々が痛む気がするけど」


 普段あまり動かないからか、体の関節という関節が悲鳴をあげている。魔法を使ったことによる影響を心配しているのだろうけれど、私に魔法が跳ね返ってきたような様子は全くない。


「ならいいが、闇魔法を使うときは特に気をつけろ」

「どうして? そういえば、闇が跳ね返るとどうなるの? 絶望だよね」

「悪魔になるか、死ぬかの二択だ」

「極端だね」

「生きたまま悪魔になることは、基本的にはない。だからか、負荷がかかるんだ。それに耐えきれなければ、死ぬ」


 つまり、絶望に飲まれると魔法使いは悪魔になるということか。死ぬのは困るけど、悪魔になるのは私としてはそこまで困ることのように思えなかった。うつろを見て人と変わらないと思ったのが、理由として大きいのかな。


 いや、それ以前に、悪魔だって人間だって魔族だって、大した違いはないと昔から思っていた気がする。どうしてだかは、これまたわからないけど。


「まあ、気をつけるよ」

「そうしてくれ」


 やっぱり、うつろは私のことを気にかけてくれているようだ。世間一般の悪魔のイメージとは、全然違う。私はたまらなく、うつろのことが愛おしく思えた。とてもかわいいやつな気がする。


「とりあえず、これからよろしくね、うつろ」

「ああ、よろしく頼む。ノエル」


 私が手を差し出すと、うつろは影で小さな手を作り、握ってくる。それがとてもかわいらしく思えて、口元が緩んでしまう。あんなことがあったのに、私はもう笑えるようになっているらしい。そのことは少し残念だけど、お父さんはきっと安心してくれているだろう。そう考えると、悪くはない気がする。


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