人魚の血肉いっぱい売ります。それ以外は応相談。

上面

人魚屋

 俺の朝は早い。早いと言っても日はもう空に上がりつつある。俺は人魚屋『金魚鉢』の奥で今日も血に塗れて作業をしている。今日店先に並べる商品の仕込みだ。

 昨日と同じ今日が今のところ続いている。

「ユウコ」

 刃物を入れている相手に声をかける。ユウコは朝早く起きるタイプでもないのでまだ寝ている。

「おはよう貴方。今日の分は終わり?」

 ユウコが俺の作業が終わったか聞いてくる。

 俺の作業というのは彼女を切り取ることだ。ユウコの上半身は黒髪麗しいヒトで下半身はサファイアじみて青い鱗に覆われた魚だ。つまりは人魚なので死ぬことはない。

「ああ」

 下半身を中心に肉を剝ぎ取られた彼女の下半身は既にほとんど再生を終えている。 

 別に人魚の肉を食べても長く生きられるようになりはしない。初めて会ったばかりのときはそんなに美味しくもなかった。ザリガニとかカエルとか食べていて泥臭い味だった。俺が人魚屋を初めてからは肉質を改善しようと色々食べさせた。最終的には炭酸飲料に落ち着いた。固形物食わせると浴槽の掃除も面倒だし。固形物を食べさせると固形物が腸内で消化されてその残りかすが排泄物として出てくるだろ。

 その点、排泄物が液体だけなら浴槽の水を人魚汁として売れる。

「駅前の広場に木箱があって、それに人だかりができているそうよ」

 人魚肉の配達で外に出ようとするとそう言われた。ラジオでそういう報道が流れていたようだ。

「木箱?何か特別なのか?」

 ミンチになった死体の山が出来ていて駅前が塞がれるとか出来損ないの人造生命体が駅前に解放されて周囲が真っ赤になるような日常を思えばなんとも微笑ましい出来事だ。

「故郷の音がするそうよ。貴方聴いてきてくれる?」

「ああ」

あまりユウコを一人にしておきたくないので早めに帰ってくるつもりだが、ユウコの希望には答えたい。普段ずっと店から出られないからなユウコは。水辺から離れると乾くのであまり外に出たがらない。あんまり水辺から離れると仮死状態になる。

「お客様にあまりサービスするなよ。お前は何でも金になる」

 ユウコをお姫様抱っこで担ぎ、店先の曇りガラスの水槽に運ぶ。俺が店を開けるときは店先の水槽に入れている。人魚はそこにいるだけで招き猫くらいにはなる。

「お金を取ればサービスしていいのね?」

 人魚は一般的に見目麗しい。その裸体が見たい者も大勢居る。曇りガラスに入れているのはその裸体にも金銭的価値があるからだ。生で見たいなら金を払え。

「……そうだな」

 ユウコは知的生命体の強欲を甘く見ているというか不死故に危機感が無い。もちろん俺の『金魚鉢』からユウコを奪い取るような奴は地の果てまで追いかけ殺す。だがユウコには換金できない苦しみを感じて欲しくはない。換金できるならいくら苦しんでもいいとは思うが……

「会えない時のためにおはよう、こんにちは、こんばんは、おやすみなさい」

 茶トラ柄の猫の店員が出勤してきたので店とユウコのお守りは任せる。挨拶の度に映画みたいな台詞言っているなコイツ。

「普通におはようで良くないか?」

「店長、何か問題があるニャ?」

「特に何も」

 お客様に人魚肉を軽トラで運ぶ。今日は二件と配達依頼も少ない。その代わり配達先が遠方だ。それでも午前中で終わるだろう。

 街では様々な知的生命体や怪異や機械が社会生活をしている。街とはそのような雑多なものだ。敗残兵の俺や人魚とかいう金塊より希少な怪異も受け入れる。

 人魚肉の配達も終わったので駅前の広場の様子を見に行く。

 ヒトだかりができている。

「ただの木箱じゃねえか」

 俺の独り言に群衆の一人が反応する。一人というか一体というか。双頭の狼だな。

「ただの木箱じゃねえっすよ吝嗇ケチの旦那。何も入ってないのに故郷の音がする木箱っすよ」

 人魚肉を扱う店はこの近辺にも数件しか居ないが、俺の店の値段設定が一番高い。そしてユウコの肉が一番美味いと評判だ。吝嗇ケチと言われる理由はけっこう思い浮かぶが、その通りなので特に怒る気持ちも起きない。

「へえ」

 群衆は次々に近づいて木箱に耳を当てる。箱から聞こえる音はそれぞれ違うらしい。俺の順番が回ってきて木箱に耳を当てる。工場の駆動音みたいな音だな。確かに工場も俺の故郷か。

 店に帰るとゴリラがユウコを強奪しようとガラスを叩いていた。防弾ガラスなのでそう簡単には壊れない。ぐったりした様子の茶トラはワイヤーケーブルで縛られていた。茶トラの毛並みには血が混じっている。どうやら俺は強盗の現場に遭遇したようだ。

「ゴリラ、今すぐうちの店員を開放して去れ。そしたら生かしてやる」

 窓から右手を出してゴリラに人差し指を向ける。

「絡繰人形風情が」

 ゴリラの筋肉なら俺くらい捻り潰せると見て突っ込んできた。

「この姿でも俺はまだヒトのつもりなんだが」

 指先の機構から銃弾が飛び出る。拳銃弾なのでゴリラは無傷。

 車を降りる。ゴリラがもう一本持っていたワイヤーを鞭のように横に振ってくる。

 軽トラに当たりそうだったのでワイヤーを上空に弾く。目を丸くするゴリラ。

 俺の躯体は軍用故、銃弾の速度で動くことができる。強盗に入る相手のことも知らなかったのか?希少な怪異を扱う店が何の武力も備えてないと思っていたのか?

 猛スピードで突っ込んで相手の顔面を掴み、胴体から首を引き抜く。血が噴水のように噴き出す。店先の掃除や水槽も入れ替えないといけないから今日は閉店だな。

「終わった?」

 ユウコが尋ねてくる。危機感のない声色だ。鈴を転がしたような美しい声でもある。

「ああ」

 さてゴリラの肉はどう処分しようか。何か金目のものはあるか。

「ねえ。それより箱からはどんな音が聞こえたの?」

 茶トラのワイヤーをほどいているとユウコが木箱から聞こえた音のことを聞いてくる。茶トラはぐったりしていて意識もないが、脈があるから生きているだろう。ユウコは自分の痛みにも他人の痛みにも鈍く、茶トラを心配しない。

 仮に俺が死んでも風が吹いたくらいにしか思わないだろう。それは悔しい。ユウコから貴方と呼ばれているのに何とも思われていないかもしれないことが一番恐ろしい。死はそれから二番目に恐ろしい。

「工場の駆動音がした。工場も俺の故郷といえば故郷だ」

 あまり面白い話ではない。砲弾が直撃して死んだはずの俺は気がつくと魂魄だけ絡繰人形に押し込められていた。生き返ったとも死に損なったとも言う。それからまた戦場に戻り敗戦を迎えた。ユウコとは敗戦後に出会った。

「ヒトを辞めるってどんな感じなの?」

 元からヒトではない者がヒトを辞めた感想を聞いてくる。

「別にどうということはなかった。クソみたいな寝覚めみたいなものだったな」

 それから茶トラを病院に運び、ゴリラを地域のごみ処理場に運んだ。日も落ちていく中、軽トラと俺の給油をして店に戻る。俺の躯体は基本的にガソリンで動かしているが生物や怪異の血液でも動く。ガソリンが一番安いのでガソリンを給油している。ユウコの血液や汁を飲むのは祝日等特別な日に限定している。

「そのうち行政が撤去すると思うが、明日か明後日くらいまで木箱が残っていたらお前も聞きに行くか?」

 店内の浴槽に浸かるユウコに出掛けるか尋ねる。

「良いわね。まだ残っていればもっと良いわね」

 ユウコは故郷を離れて千年くらいその辺の小川に住んでいた。他の人魚も川を遡上してそのまま帰れなくなった者が多い。故郷を懐かしく思う気持ちがあるのだろう。俺は特にない。

「おやすみ」

 浴槽の灯を消す。

「おやすみ貴方」

 人魚は水の中でも呼吸ができるため、水に沈み溺れたように眠る。

 敗戦後、俺は死のうと思い川に飛び込んだ。ちょうど睡眠中のユウコにぶつかり、俺たちは出会った。

 


 

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