第16話

 第一印象は、普通の男の子でした。

 お互い初対面でしたが、頭を下げて挨拶する私に対し、兄さんはただきょとんとした顔をしていました。

 父親に言われて頭を下げるも、その視線は顔の少し上。頭のあたりを彷徨っています。

 すぐに私の髪色が珍しいんだなということに気付きました。

 初対面の人は年齢問わず、まず私の髪を見てきます。

 そういう意味でも、兄さんの反応は普通でした。


 ごくごくありきたりで、特に記憶に残ることもないだろうリアクション。

 単に珍しがっているだけの、恋も何もない、ただの興味本位からくる不躾な視線。


 多分出会い方が違っていれば、私は兄さんに興味を持つことはなかったでしょう。

 そもそも、お互いの道が交わることすらなかった可能性が高いです。

 それくらい兄さんは普通の人でした。

 ごくごく普通の、どこにでもいる男の子でした。


 ただ普通と違うことがあるとすれば、私という異物が彼の前に現れたこと。

 そして彼と血が繋がっているとはとても思えないほど傲慢で浅はかで、そしてどうしようもないほど愚かな人たちを親に持ったことでした。


 生まれた家が普通だったら。

 彼を正面から見て、ありのままに愛してくれる両親だったら。

 兄さんは、きっともっと笑えたはずです。楽しかったはずなんです。友達だってたくさんできて、いろんな人と遊んで。そんな普通と言える生活を、きっと送れたはずでした。


 あるいはなんらかのきっかけがあったら。もしかしたら――


 いえ、この考えはもう何の意味もない。

 全ては終わったことです。終わってしまいました。

 私のせいで終わりました。


 私が。私が。私のせいで。私が。

 私が全てを壊してしまったんです。

 私に勇気があれば。

 私が何とか出来ていれば。

 私があの家に引き取られなければ。

 私が父にあの日迎えに行って欲しいなんて言わなければ。


 二つの家を。家族を。壊さないで済んだはずでした。

 なくさないでよかったはずなんです。

 それだけの能力を、私は持っていたはずでした。


 でも無理でした。出来ませんでした。

 私は役立たずです。いざという時、なにも出来ない人間です。


 他人を変えることなんて出来ません。誰かを慰める能力もありません。


 天才。すごい。特別だ。好きだ。

 好意的な言葉をかけられたことは幾度となくあります。

 だけど、そう言われるたびに、私の心はひび割れたガラスのように軋むのです。


 天才だからなんだというのか。

 すごいってなにが?

 特別扱いされても嬉しくない。

 私のなにを好きだと言うんです?


 そう言い返したくなります。

 私はなにもすごくない。

 人に認められても、誰かの心を動かせる人間じゃないというのに。


 本当に特別なのは――兄さんのほうなのにと。


 そう言いたいんです。

 でも言えません。

 兄さんが望んでないことが分かるから。

 兄さんは他人から認められたいと思ってるはずなのに、それが出来ない。

 そのことが、私はもどかしくて仕方ない。

 でも言えない。言えるはずがない。


 兄さんをそういう人にしてしまったのは、この私なんですから。


 ……本当に、私はつくづくひどい人間です。

 私は本当は、兄さんのそばにいちゃいけないのに。

 私は本当は、兄さんのことを兄さんなんて呼ぶ資格なんてないのに。


 離れなきゃいけなかったのに。

 離れたほうが、あの人はきっと正しくやり直せたはずなのに。

 自分の人生を取り戻して、ちゃんと笑えるようになるはずだったのに。


 ――僕ともう一度、家族になろう。アリス


 あの人から手を差し伸べられて、私は。私は――その温かい手を、握ってしまったのですから。


 本当に、どうしようもない愚かさ。

 それでも、どうしても駄目でした。

 私は、求められるのが嬉しかった。

 私の醜さを、弱さを知りながら、受け入れてくれたことが、どうしても嬉しかったんです。

 そのぬくもりを自ら手放すなんて、私には出来ませんでした。


 だけど、私はまた罪を重ねます。

 たくさん人に言えない罪を重ねたのに、まだ私は繰り返すのです。


 私を見てくれた兄さん。

 あんなにひどいことをしてばかりだったのに、私を受け入れてくれた兄さん。

 赦してくれた兄さん。

 あんな優しい顔であんなことを言われたら――好きにならないほうが、おかしいじゃないですか。


 兄さんは、「妹」として私を救ってくれようとしたのに。


 私は兄さんを、「男」としても見てしまっている。


 ひどい裏切りです。最低だというのは分かってます。

 私の中では結局、あの日私を家から外に連れ出してくれた男の子のままで止まっていたんです。

 同じ年の兄ではない。ただの男の子として、貴方のことを見ていました。


 妹として接しないといけないのに、私は最初から全てを間違えた。

 私は。私は――どうしようもなく、貴方を求めてしまうんです。

 妹では嫌だと、心の奥で叫ぶ自分がいるんです。

 本当に、どうしようもない。

 


 どうか、こんな醜い私の想いに気付かないでください、兄さん。


 だって気づかれたら、私はきっと――抑えきれなくなってしまうから。


 貴方へのこのどうしようもない、自分の想いを。

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