第14話

 最初に思ったのは、柔らかいということだった。

 銀の光沢を帯びていて、自分とはまるで違う髪色だと思っていたけど、肌触りもこうまでいいとは思わなかった。

 こういうのを、絹のような触り心地っていうのかな。実際に触ったことがないのでそこら辺は分からない。そもそも人の頭を撫でる経験自体、僕にはかなり不足している。

 力加減とか早さとか、そういうのも全然だ。どれくらいがいいのか、これでいいのか。そういった塩梅もなにもかもが不明瞭だ。

 だからとにかく、僕は出来る限り優しく触れることにした。壊さないよう、壊れてしまわないよう、ただただ優しく撫でることを心掛ける。


「ん……」


 それが功を奏したのかは分からないけど、アリスは気持ちよさそうに目を細めた。

 大きな彼女の目にまぶたが落ちてトロンとしている。まつ毛も随分長いんだななんて、他人事のような感想さえ浮かんでいた。


「いつもありがとう、アリス。アリスのおかげで、僕は助かってるよ」


 今のアリスに僕の声が届いているかは分からない。でも、届いてなくても別にいい。

 こうして触れているだけでも、きっと満足してくれている。それだけは、アリスの顔を見れば一目瞭然なのだから。


「本当、ですか。兄さん」


「うん、本当だよ」


「私、兄さんの助けになれてますか」


「うん、勿論」


「兄さんは、私のことを必要としてくれていますか」


「うん、当たり前だよ」


 どこか夢見心地で聞いてくるアリス。

 傍から聞いていれば、なんでわざわざこんなことを聞いてくるんだと思うようなやり取りかもしれない。

 アリスは学校でも人気者で、彼女を好いている生徒は多いだろう。

 詳しく聞くことはしていないけど、告白だって中学時代を含めれば、数えきれないほどされている。

 アリスを必要としている人はごまんといるはずなのだ。そして、その人数はこれから先もっと増えていくだろう。そのなかには僕より優れた人なんてたくさんいるだろうし、よりアリスのことを理解してくれる人だって間違いなくいるに違いない。


「ありがとうございます、兄さん」


 潤んだ目で僕を見上げてくるアリスだが、その目は本来僕に向けられるべきものじゃない。

 もっとアリスには相応しい人がいる。僕は妹がその人に出会うまでの繋ぎだ。

 僕はアリスが本当に大切だと想える相手と出会うまでの、寄り木であったらそれでいい。

 それ以上なんて望んでないし、望みもしないんだから。


「私、もっともっと頑張りますね。兄さん」


「……頑張る必要なんてないよ。もうアリスは、頑張らなくたっていいんだよ。だって」


「いいえ。兄さん」


 アリスが撫でていた僕の手に触れてくる。その手は、じっとりと汗ばんでいる。


「私が頑張りたいんです。そうしたら、兄さんは私を褒めてくれるんですから」


「……アリス」


「その時は、私だけを見てくれる。私のことをちゃんと見てくれるのは、兄さんだけなんですから」


 そんなことはないよ、と言おうとした。

 でも、出来なかった。アリスの瞳が、僕を囚えて離さなかったから。


「私、もっと頑張りますから。だから、ねぇ」


 ――そうしたら、また頭を撫でて、褒めてください。兄さん。


 そんな小さな子供のような願いを、妹は口にした。

 とても潤んだ瞳で。熱に浮かれたような瞳で、僕を見る。


「うん、分かったよ」


 僕はただ頷いた。頭を撫でている手をそのままに、僕は頷いた。

 一度も褒められたことのない僕が、これからちゃんとアリスを褒めてあげることができるだろうかという、内面の不安を押し殺して。


(褒めて欲しい、か)


 僕はどうなんだろう。誰かに褒めて欲しいんだろうか。

 僕を褒めてくれる人なんているんだろうか。

 親ですら褒めてくれなかった、こんな僕のことを。


(……天音は褒めてくれたんだよな)


 でも、僕はその手を振り払った。僕が選んだのはアリスだ。

 なら、もう望んではいけないんだろう。誰かに褒められるなんて、それはもう望んではいけないことだ。

 

(分かっていたけど、ちょっとキツいな)


 大人にならないといけないのに、なり方が分からない。

 誰も教えてはくれない。手探りだ。だけど、やるしかない。

 僕はアリスの兄として、ちゃんとしないといけないんだ。


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