第9話
『兄さん、私やりました。上手く出来たみたいです』
昼休み。中庭のベンチでひとり昼食を取っていた僕は、アリスからそんなメッセージを受け取っていた。
『さっきクラスメイトの人たちと、改めて朝のことを話したんです』
『皆さん分かってくれました。多分もう、ああいうことにはならないと思います』
『やりました。この調子で頑張っていこうと思います。もう兄さんに迷惑をかけたくなんてないから』
断続的にスマホが震え、アリスから次々とメッセージが送られてくる。
僕が読んでいる最中にもポンポン表示されるものだから、読むのが追い付かないし返信がどうしても遅れてしまう。
どうやら妹はタイピングすら早いようだった。地味だけど、こういったところでアリスの交流関係の広さを感じてしまう。
僕はこういったことに不慣れだから、文章を考えるのも打つのもちょっと時間がかかるのだ。単純に頭の出来とか手先の器用さとかの違いもあるのかもしれないが、今はそんなことは置いておく。イチイチ細かいことを考えてもキリがない。
『そうなんだ。ありがとう、アリス、助かったよ』
かろうじて絞り出して送ったメッセージは、我ながらシンプルで味気ないものだった。
すぐに既読がついたのでアリスに届いたのは間違いないけど、こういう時気の利いたことのひとつも言えない性格であることが少し歯がゆい。
天音と付き合っていた時もこうだったから、これはもう僕がなんの面白みのない人間であるということなんだろう。
天音からはそのことについて不満を言われたことはなかったが、果たしてアリスはどうなんだろうか。
そんなことを考えていると、アリスから返事がくる。
『いえ、もとはといえば私が悪かったので。兄さんにご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません』
『謝らなくていいって。本当に助かったって思ってるからさ』
『助かってるのは私の方です。いつも兄さんに助けてもらってばかりで……』
……埒が明かないな、これは。
互いに感謝して謝ってばかりで、話を切り上げるタイミングがない。
今頃アリスは教室で白峰さんを含む友人たちに囲まれて朝食を取ってるだろうし、いつまでもスマホとにらめっこさせてしまうのは悪いだろう。
『それは関係ないって。今日のことは僕がアリスに貸し一ってことにしよう。アリスがしてほしいことがあったから、言ってくれていいからね』
僕は覚悟を決め、改めてメッセージを打ち込んだ。
途端、すぐさま既読がつくがアリスからの返信はこない。一分、二分と待っても返信はこなかった。
「悩んでるのかな」
こないならこないでそれでいい。アリスと話す機会はいくらでもあるしね。
僕はスマホを傍に置くと、まだ手つかずだった弁当箱を膝の上に広げた。
妹お手製のお弁当は、彩りが良くまたどのおかずも形よく整っている。アリスの几帳面な性格を表しているようで、僕は少し苦笑した。
「さて、いただきま……」
手を合わせ、少し遅れた昼ご飯を改めて食べようとしたのだけど、直後僕の視界は暗くなる。
「だーれだ」
遅れて聞こえてくる声。目を覆う暖かい感触。
誰かに目隠しをされたと思うと同時に、僕の口は開き、ひとりの名前を口にする。
「天音……?」
「うん、正解」
ぱっと視界が晴れる。背後から回り込むようにして、その子はすぐに姿を見せた。
「朝ぶりだね、こんにちは秀隆くん」
にっこりと笑う天音が、僕の前に立った。
「うん、こんにちは。天音」
「……あまり驚かないんだね」
「なんとなく、来るんじゃないかなって思ってたから」
天音が僕らと同じ高校に入学したことは知っていた。
それでもこれまで没交渉だったし、クラスも違ったので顔を合わせる機会はなかった。
時間が解決してくれることを願っていたけど、直接接触してきた以上そのうち向こうから会いに来るだろうことは分かっていたので、さして驚きはない。
どちらかというと、朝みたいにアリスがいるところで会いに来ないでくれて助かったという安堵の気持ちのほうが強かった。
そんな僕の気持ちを察したのか、天音はなんとも言えない顔をする。困っているような、怒っているような、ひどく微妙な表情を浮かべている。
「秀隆くんは……あたしと、会いたくなかった?」
「会いたくなかったわけじゃないけど、それより……合わせる顔がなかったって言った方が、正しいかな」
自分が振った女の子、それも親身にずっと寄り添ってくれた幼馴染の前に立つ資格が、今の僕にあるとは思えない。
「あたしは、会いたかったよ。ずっとこうしてまた、秀隆くんに会って話をしたかった」
「…………」
「あたしが秀隆くんを朝起こしに行って、並んで駅に行って電車に乗って。そして学校まで来て、休み時間には会って。昼休みにはご飯を一緒に食べる。中学と同じ繰り返しが、高校生になっても続くと思ってた」
それは、僕も同じだ。僕もそんな生活が続くことになるんだろうと、あの頃はただ漠然と思っていた。
「それがなんで、こうなっちゃったんだろうね」
天音の声には後悔があった。
空は青く澄んでいて、風もこんなに気持ちいいのに、僕らを包む空気だけはただ暗く、どこまでも重い。天音を慰めようにも、やっぱり僕にはそんな資格なんてない。
出来ることは、ただ彼女の言葉を受け止めてあげることだけ。
「あたしはただ、それだけで良かったのに」
なにも言わない僕を見る天音の目から、一筋の涙がこぼれた。
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