第10話

 少しの間、僕らの間には沈黙が流れた。

 僕はなにを話せばいいのか分からなかったし、天音はこれ以上泣かないよう我慢していた。時折しゃくり上げる声が、やけに大きく聞こえてる。聞きたいわけじゃないのに、神経だけがやけに研ぎ澄まされていくような気がした。

 だからというわけじゃないけど、そんな僕らを遠巻きに見ているちらほらとした視線には気付いていた。

 野次馬というわけではないだろう。ここは学校の中庭だから、ふと窓の外を見れば僕らのことには嫌でも気付く。

 見られるのが嫌ならこの場を離れればいいだけなのだが、僕にはそれをすることは出来なかった。


 立ち上がるためには、天音に声をかける必要がある。泣いてる天音をなだめて、ふたりで一緒に移動して。それからどうする?

 話を続けるのか、それとも別れるのか。分からない。僕は今、アリスのことで手一杯だ。

 天音との会話で、アリスのことは切り離すことはできないだろう。ただでさえまだ妹との距離感について悩んでいる最中だというのに、天音を気遣える余裕が今の自分にあるとは思えない。


「……そのお弁当、あの子が作ったの?」


 思考の中に逃避している最中、不意に天音が聞いてくる。

 顔をあげると、天音は僕の膝あたりをじっと見ていた。つられるように視線を下げると、そこには広げられ、中身を晒している弁当箱がある。


「あ、うん。そうだよ」


「あの子、料理なんて出来たっけ」


「出来なかったけど、覚えたんだよ。二人暮らしになるから……」


「つまり、つい最近覚えたんだ。それなのに、そんなに綺麗に作れるんだね」


「……アリスはすごいから」


「知ってるよ。だからダメになったのに。その料理も、きっと秀隆くんが教えたんでしょ」


 僕は頷いた。

 確かに料理は僕が教えた。習い事でこれまでずっと忙しかったアリスは、料理を覚える時間なんてなかったからだ。

 アリスが習い事をしている最中、母親は送り迎えで家にいないし、そのまま外食してくることがほとんどだった。

 父は帰ってくるのが遅かったし、必然、家には僕ひとりでいる時間が多くなる。

 そのため、食事は自分で用意する必要があったのだ。家に帰ってきた母は僕を無視していたので食事を作ってくれなどしなかったし、こっちとしても出来れば親と顔を合わせたくなかったので、あの頃の僕は必死になって料理を覚えた。生きるためにだ。

 大げさかもしれないが、食べるものを作ることが出来なければ死ぬんじゃないかと本気で思っていたのだ。

 それくらい僕はあの家でひとりぼっちで、孤独だった。


「教える必要なんてなかったのに」


「教えて欲しいって言われたから。ふたりで協力しないといけないんだから、断る理由なんてなかったよ」


「教えなくても、あの子ならすぐ覚えるよ。ネットで料理の動画なんていくらでも見つかるんだし。料理を教えて欲しいなんて、ただの口実。あの子はただ、秀隆くんの近くにいたいだけ」


 天音の指摘は手厳しかった。否定しようとしても、反論の言葉が出てこない程度には。

 天音の言っていることは事実であり、僕が教えなくてもアリスはひとりで覚えることが出来ただろう。そんなこと、あの天才としかいいようがない妹なら簡単なことだ。

 それくらい、僕にだって分かってた。だけど。


「……それでも、求められたから」


 ひとり食材を買って帰る僕を見かねて、天音はよく自分の家へと僕を連れてきてくれた。

 天音の家族は僕のことを受け入れてくれて、よく夕食を一緒に食べさせてもらったことを思い出す。

 天音と一緒に天音のお母さんに料理を教えてもらったこともあった。本当にいい人たちで、温かみのある家だった。

 僕の家とはまるで違って、あの人たちは間違いなく本当の「家族」だった。


「アリスに教えて欲しいなんて言われたのは、初めてだったんだ。教えてくれてありがとうございますって喜ばれた。作った料理も美味しいって褒めてくれた。だから」


「嬉しくなっちゃったんだ。あの子に、そう言われて。褒められちゃって」


「……うん」


「それは馬鹿だよ、秀隆くん」


 すうっと、舞うような風が僕らの間を通り過ぎる。


「また同じことを繰り返してる。それであの子に、全部全部取られちゃったのに」


 僕を見る天音の目は、ひどく憐れんでいるように思えた。

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