第6話
ガシャンと音がして、ペットボトルが落ちてくる。
取り出し口から手に取ると、ひんやりとした冷たさが指に伝わる。
それを感じ取りながらもう一度ボタンを押して、同じものをさらに買う。
またもガシャンと音がしたので取り出すと、僕は後ろへと振り返る。そこにはベンチに座るアリスがいた。
「…………」
アリスは無言で俯いていた。じっと下だけを見ている。
僕が彼女に向かって一歩踏みだすと、合わせるかのように柔らかい風がふわりと吹いた。
すうっと、アリスを撫でるように通り抜けたそれは、銀の髪先を空へと舞わせる。
木から離れた桜の花びらのように、すぐに下へと落ちていくけど、僕の目にはその光景がスローモーションのように映っていた。
――綺麗だ。
ただ純粋にそう思った。
口に出ることはなかったのは幸いだったけど、僕の中の兄としての理性が働いた結果なのだろうか。
そうであると嬉しい。僕はアリスのことを、ちゃんと妹として見ることが出来ていることの証左だから。
……こんなことを考えている時点で、僕はアリスのことを正しく「妹」として見れていないんじゃないか。浮かんできたもうひとつの気持ちは、敢えて見なかったことにした。
「はい、アリス。これ」
近づいて、買ってきたペットボトルをアリスに手渡す。
ごくありふれたスポーツ飲料だ。どこか浮世離れした容姿であるアリスにはあまり似つかわしくないかもしれないが、そんなことを言いだすとキリがない。
「ありがとうございます、兄さん」
平凡としかいいようがない顔をした僕なんか、まさにその筆頭だ。黒髪黒目。特徴もない。アリスといると、自分が違う世界の住人なんじゃないかと思うことが時々ある。
「学校、遅刻しちゃうかもしれませんね」
「……まぁ仕方ないよ。今のうちに適当に言い訳考えておこう」
この駅で降りてから、既に10分以上が経過している。
次の電車に乗れば間に合うかもしれないが、そこまで急ぐ気にはなれない。アリスもきっとそうだろう。椅子に座ったまま動かない彼女に、僕は笑いかけた。
「とりあえず僕も座るね。ちょっと肌寒いけど、眠気覚ましにはちょうどいいか」
僕がアリスの隣にこうして座るのは、彼女がそれを望んでいるからだ。
アリスは僕が近くにいて欲しいと思っている。僕は兄としてその気持ちに応える。
そういう関係だ。なにひとつおかしなことはない。
「私は……」
だというのに、アリスの表情は未だ冴えない。
渡した飲み物も手に取ったままうなだれている。
制服が触れ合うほど近くにいるというのに、その目はどこか曇ったままだ。
そのせいか、次にアリスがなにをいうのかなんとなく分かった。
「私は、兄さんの傍にいてはいけないんでしょうか」
「そんなことないよ」
すぐにアリスの言葉を否定する。
否定することが出来たなら、今度はどうするかなんて決まってる。
「アリスは僕の家族で、たったひとりの妹だ。家族が傍にいるのは当たり前のことだよ。そうだろ?」
「でも、私は」
「じゃあ言い方を変えるよ。僕がアリスに傍にいて欲しいんだ。僕は心から、そう思ってる」
肯定に肯定を重ねる。
否定しようとするアリスを否定する。
アリスが僕の言っていることを本心だと理解するまで、何度だって僕は同じことを繰り返すだろう。
そうしないといけない。このやり方が正しいかどうかなんて分からない。だけどこういうやり方でしか、僕はアリスに自分の気持ちを伝えられない。
「にい、さん」
「天音とは久しぶりに話したって言ってたでしょ。僕はこれまでアリスの傍にいたけど、それは僕がいたいと思ったからだ」
多分、僕は不器用なんだろう。昔から、僕はずっと不器用なままだ。
「天音とのことは、もう終わってるんだ。僕が自分で決めて終わらせた。天音も納得して、別れを受け入れてくれた」
嘘だった。天音は納得なんかしてなかった。
別れの時も、ずっとずっと泣いていた。別れたくないと縋られた。
そんな天音に、僕は謝りながら背を向けた。時間が解決してくれることを願ったけど、あの目を見てそうじゃないと理解できてしまった。
アリスがゆっくりと顔をあげて、僕を見る。
「ほんとう、ですか。兄さん」
――――ああ、その目だ。
僕を求める、執着の色を帯びた目。
天音も、アリスと同じ目をしていた。
天音の中では、きっとまだ終わってはいない。納得なんかしていない。
「本当だよ、アリス」
だというのに、僕は頷く。
妹を安心させる、ただそれだけのために。
天音の気持ちを踏みにじる行為だと自覚しながら、僕はアリスのために頷いた。
そう、アリスのためならそれでいい。だって、あの人達の血が流れている僕に、価値なんてないんだから。
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