第4話

 アリスと一緒にマンションを出る。

 そして並んで歩きながら駅へと向かった。

 最寄り駅までは徒歩で5分とそれなりに近い。まぁそういう物件を選んでもらったわけだけど、もっと学校から近い場所にすればよかったかなと少し思う。


「今日の電車は空いているといいですね」


「あまり期待はしないほうがいいかもね。いつも通りの時間に家を出たし」


 僕らの利用している路線はそこそこ賑わいを見せており、朝はいつもそれなりに混んでいる。

 都会の満員電車ほどではないにせよ、座る席がない程度には人が乗っているため、疲れているときなんかはちょっと憂鬱だ。

 同じ学校の制服を着た生徒も多く利用しているが、登校するとき僕は毎回少し肩身が狭い思いをしていた。その理由は言うまでもないだろう。僕は隣を歩く義妹に気付かれないようチラリと見る。


「そうですね。しかもここ数日は、少し人が増えた気がします」


 唇に指をあてながら、なんででしょうと疑問符を浮かべているアリス。

 その仕草は長年一緒に過ごして見慣れているはずの僕でさえ、可愛らしいと思うものだ。同時に、僕は内心ため息をつく。


(絶対アリスが原因だよなぁ……)


 身内の僕ですらこうなのだがら、見知らぬ他人が滅多にお目にかかれないだろう銀髪美少女をどう感じるかなどお察しである。

 現にさっきすれ違ったサラリーマンなんて、アリスのことを凝視して振り返ってたし。

 そのまま電柱に激突したことは見て見ぬふりをしたけど、アリスの注目度が群を抜いていることは間違いない。

 

「そろそろ学校に慣れた新入生の人が多いってことかもね。部活の朝練とかないなら、これくらいの時間がちょうどいいのは分かるよ」


「ああ、なるほど。確かにそうかもしれませんね」


 アリスの容姿については触れず、適当にそれっぽい理由をでっち上げて語ってみるが、妹は僕の意見を疑うことなく同意する。

 自分のことを一目見たい人が多いなどと、まるで考えていないらしい。


 (……少しは自分に自信を持ってもいいと思うんだけどな)


 別に傲慢になれと言ってるわけじゃないけど、アリスの自己評価は少し低すぎるのだ。

 まぁこれに関して仕方ない。そもそも、兄の口からお前が可愛いいから一目見ようと時間を合わせているんだよなんて言えるはずないし。シスコンみたいでキモいと思われたら、僕は泣いてしまうかもしれない。


「明日から家を少し早く出てみましょうか?」


「うーん、いやそこまでするほどじゃ……っと、着いたね」


 適当に会話を交わしていると、やがて駅に到着した。

 話を一度中断し、定期を使って改札を通りホームへ向かうが、今日はいつもよりさらに人が多い。

 電車の到着時間よりほんの少しだけ早かったらしく、直前に着いてしまったのが、よくなかったようだ。


「おい、着たぜ。あれが例の新入生……」


「うわ、写真で見るより可愛いじゃん」


「目の保養、目の保養……」


 ただ、さらによくないことがあった。アリスが現れた途端、ホームのざわめきが増したのだ。


「誰かを声かけてこいよ」


「いや、隣のやつが邪魔……」


 巻き添えに近い形で注目を浴びることになるが、これだから朝の電車は嫌だった。

 他人からの悪意。奇異の目。率直な感想。それらを全身で感じることになるからだ。

 ハッキリ言って気分は良くない。だが、それを表に出すことは僕には出来ない。


「……兄さん、私から離れないでください」


 僕のまだ真新しい制服の袖を掴みながら、小さく呟くアリス。

 

「分かってる。大丈夫だよ、僕はどこにもいかないから」


 返事をするも、アリスはなにも言わなかった。

 ただ、袖を掴む力だけは強まった気がする。


「あのさ、アリス……」


『次の電車が到着致します。ご注意ください』


 安心させる言葉をかけてあげようか迷ったが、丁度タイミングがいいことに電車が到着したので、僕らはすぐにそれに乗り込む。

 案の定空いている席はなかったが、まぁ仕方ない。吊り革に捕まろうとしたのだが、ここでひとつ問題が起こった。


「あの、アリス?」


「なんでしょう、兄さん」


「いや、手を掴まれてると、吊り革握れないんだけど……」


 未だアリスが、制服の袖を離してくれないのだ。

 ギュッと握っているせいで、腕をあげることが出来ない。つまり今にも動き出そうとしている電車で、僕はなにも掴まっておらず、立ちっぱなし状態ということである。


「はい、それくらい分かってますよ」


「なら離してくれない? もう電車動くしさ」


 このままでは慣性の法則により、身体が傾くことになる。

 どこにもいかないとは言ったし、離れないことにも頷いたけど、それはそれ、これはこれだ。


「嫌です」


 えぇ……明確に拒否されたんですけど。なんでさ。


「このままだと僕、電車に揺られてたたらを踏むことになるんだけど」


「そうしたら私に掴まればいいじゃないですか。私なら全身で兄さんのことを受け止めてあげられますよ」


「いや、そういう問題じゃないし」


 嫌だよ、妹に掴まるとか。

 ただでさえ注目の的だっていうのに、下手すれば痴漢扱いされるじゃないか。妹に抱き着いて捕まる兄とか目も当てられない。


「体幹も鍛えてましたから大丈夫ですよ。電車の揺れくらいじゃ、私のバランスを崩すのは不可能です」


「いやいや、受け止められる根拠を聞きたいわけじゃないし」


「兄さんは、私に受け止められるのが嫌なんですか?」


「いやいやいや、それは話をすり替えてるし。そもそも吊り革掴まりたいってだけなんだから、受け止められる必要全くないし」


 どうやら妹は、僕のことを受け止めたいらしいが、その包容力は今この時この場所この場面では、明らかに必要ない。

 僕はTPOを守りたい系男子なのだ。ただ、こうなるとアリスは意固地だ。参ったな、どうしよう……。

 

「それなら空いてる手のほうを使えばいいんじゃないかな」


「あ、確かに」


 それはちょっと盲点だった。

 すぐに逆の手で吊り革を掴むと同時に、電車が動き出した。間に合った。ギリギリセーフ。


「すみません、ありがとうござ……」


 妹に抱き着くという醜態を晒さずに済んだことに安堵しつつ、教えてくれた誰かにお礼を言おうと振り返る。

 だけど。

 

「少し抜けてるところがあるのは相変わらずだね、秀隆くん」


 微笑みを浮かべるその子を見て、僕は息を呑んだ。

 

「天音……」


「うん、おはよう秀隆くん。久しぶりだね」


 そこにいた女の子の名前は、綾川天音あやかわあやね

 僕の幼馴染であり、そして元恋人でもあった女の子だった。

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