第3話
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした。味の方はどうでしたか?」
「美味しかったよ。というか、いつも美味しいんだけどね、アリスの料理は」
朝ということもあってトーストにサラダとスープという、シンプルな組み合わせだったが、それでも確かに美味しかった。
「いえ、そんな。私はただ、レシピ通りに作っているだけですから」
「それで美味しく出来るのは、十分すごいと思うよ」
「あまり褒められても困ります……」
頬を赤く染めて謙遜するアリスだったが、これは純然たる事実だ。
少なくとも、僕が作るよりアリスの料理の方がよほど美味しい。例え僕が美味しく作ろうと時間をかけて調理したとしても、アリスに勝つことは出来ないだろう。
そのことを、僕はよく理解していた。それはもう、痛いほどに。
口の中に料理の残り香を感じながら、僕は自分とアリスの食器を手に取り席を立つ。
「食器は僕が洗うから」
「あ、私も手伝いますよ」
「いいって。御飯作ってもらったんだから、これくらいはさせてよ」
役割分担は大事だ。二人暮らしなら特に。片方が仕事をこなしているのに、自分はなにもやっていないのは申し訳なくなる。
「そのうち、アリスにはちゃんとお礼をしないとね。なにか僕にしてほしいこととかある?」
「えっと。それじゃあ、部屋の鍵を外し……」
「それはダメ」
「むぅ」
頬を膨らませるアリスだったが、そんな顔をしてもダメなものはダメなのだ。
なにか、とは言ったが、なんでもとは言ってない。頭のいいアリスの前で、迂闊に言質を取られるような発言をするほど僕だって馬鹿ではなかった。
「兄さんはいじわるです。朝直接起こすとか、私だってやってみたいのに」
「いじわるとかじゃないよ。僕は寝起きが悪いってわけでもないしね。ちゃんと節度を守ろうって言ってるだけだって」
親しき仲にも礼儀あり。線引きすることは重要だ。特に、僕らにとっては。
これはお互いにとって、必要な取り決めでもあった。
だけどアリスは納得していないようだ。頬を膨らませたまま、こんなことを言ってくる。
「いいじゃないですか。私たち、兄妹なんですから。妹が兄を起こすことくらい、変なことではないです」
なんでもないように、「兄」に向けるものではない感情が混じった瞳で。
「――――そうだね。確かにその通りだ。」
「でしょう?」
ふふんとドヤ顔をするアリス。
顔が整っている彼女だと、得意げに鼻を鳴らす姿も十分絵になる。
僕としても可愛い妹に朝起こされるという、ギャルゲーみたいなシチュエーションにまったく憧れがないっていうわけじゃない。
「じゃあ明日からは早速……」
「検討させて頂きますってことで。そろそろ家を出ないとだし、僕は顔を洗ってくるね」
僕はアリスに背を向けて歩き出した。
「むー! はぐらかすんですか! 兄さんのいじわる!」
「ははは。アリスも準備しなよ。」
後ろからアリスの怒った声が聞こえてくるが、僕は手をひらひらとさせて受け流す。
――うん、いい。今のは良かった。いいやり取りだった。大丈夫、僕らはちゃんと「兄妹」をやれている。
「うん、大丈夫大丈夫。僕がしっかりしていればいいんだから」
洗面所に着いた僕は、そのまま洗面台の前に立つ。蛇口をひねり冷たい水を流すと、洗顔クリームを手に付け顔を洗う。あえてバシャバシャと大きな音を立てて、自分の気持ちを落ち着かせるように。
アリスが気付いているかは分からない。でも、気付いていないならそのほうがいい。
兄妹を続けていけば、その感情はただの気のせいか、兄に対する親愛の情だと思うようになるだろう。いや、なるはずだ。
「なってもらわないと、困るんだよ」
蛇口を閉めて鏡を見ると、そこには僕の顔があった。
普通の顔。本当に、どこにでもいそうな普通の男子の顔だ。水もしたたるいい男だなんて、冗談でも言えそうにないほど、ありふれたモブのような顔がそこにある。
アリスの隣に立つには、あまりに不釣り合いだ。
そもそも、僕らは顔立ちからしてまるで違う。事情を知らない人からは、兄妹として見られたことなんて一度もない。
そのことを、アリスだってよく知っているはずだ。
「だから、僕をあんな目で見ないでくれよ……」
呟いた言葉は誰にも聞かれないまま、顔を拭くタオルの中へと吸い込まれた。
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