新の嫉妬

 何とか心を落ち着かせて、大きく深呼吸をする。


 次で最後。



 例のアプリはまだわたしのスマホに入っている。


 10/10という表示になっているそれはこのループがこれで最後だという事を物語っていた。


 もう一度深く息を吐き、ゆっくり横開きのドアを開ける。


 同じようにゆっくり閉めると、スマホ画面に施錠中の文字が加わった。



 オレンジ色に染まったカーテンに手をかけ、そっと開ける。


 白いベッドには、数時間前から何度も見ている幼馴染の姿。



「新……」


 さっきとは別の新。

 でも、同じくわたしの大好きな新だ。


「ほのか……」


 わたしの名前を呼んで目を開けた彼に、わたしは同じように説明をした。



「……マジかよ」


 録音した音声を聞き終えてそう呟いた新は、今までで一番不機嫌そうで……。


 それでも行動は同じで、保健室のドアが開かないことを確認してからベッドに戻って来た。



「で? ループは今で最後ってことか? ドアが解錠すれば終わり?」

「うん、多分」


 なんだかいっぱいいっぱいになっていたわたしは、立っていられなくて新の隣に座り答える。


 確証がある訳じゃないけれど、多分終わりだと思う。


 前の新が言ったように、彼が見たお祖父さんの夢が原因ならきっと酷いことにはならないだろうから。



「そうか……」


 呟くようにひと言返した新はそのまま黙り込む。


 その顔には余裕がない感じで、イラついている様にも見えた。


 全身で不機嫌を表している様に見えて、流石に「どうしたの?」と聞かずにはいられなかった。



「新? なんか……怒ってる?」


「……ほのか、さ。俺の録音音声、聞いた?」


 新はわたしの質問には答えず、逆に問いかけてくる。


「え? ううん、聞いてないよ? 聞くなって毎回のように言われてたし……」


 戸惑いながらも答えると、またムスッとした顔で「聞いてみろよ」と告げられる。



「いいの?」

「……」


 確認すると無言で促されたから、わたしはイヤホンをつけない状態で音声をはじめから再生した。



『ほのかの話は事実だ』


 そんな言葉から始まった音声は、わたしのタイムループが本当であること。アプリのカウンターのことや、ドアの鍵が開かないことが語られている。


 そして最後に。


『ほのかのタイムループは多分俺のせいだ。覚悟決めて男見せろ! 俺!』


 新が、新自身に向けたメッセージ。



 あ、そうか。

 お祖父さんの夢を見ていたから、最初からそう思って信じてくれていたんだ。


 軽く驚きつつも納得していると、自動再生でそのまま次の音声も再生される。



『少なくともカッコイイって思われてる。自信持て、俺!……あと、嬉しくて思わず抱き締めたんだけど……ほのかって柔らかいしいいにおいする。メチャクチャ可愛い……』


「っ⁉」


 これって、抱きしめられたときの……。



『カッコイイって思われてるならって、迫ってみた。逃げられたけど……顔赤くして、俺のこと意識してるって分かって……ヤバかった。そのまま押し倒したくなった』


「なっ⁉」


 これは、ベッドで迫られてずり落ちちゃったときの……。



『警戒されたのかベッドに座ってくれなかった。でも足の擦り傷に絆創膏貼ってキスしてみたら、すっげぇ顔真っ赤にして照れてた。……ヤバイ、もっといろんなとこキスしたい。……もっとほのかに触れたい』


「ちょっ⁉」


 今度は足の擦り傷を処置してもらった後キスして撫でられたときの……。



『この録音聞いたら我慢できなくなって、ベッドに押し倒した。キス、したかったけど……まだ肝心なことは言えてないみたいだから……。俺の気持ちは伝えとく、だから最後はちゃんと決めろ、俺!』


 最後は、ベッドの上で覆いかぶさって来た前回のもの。



「なっなっなっ⁉」


 最初はともかく、二回目以降は何を録音しているんだろうと思っていたけれど……。


 まさかこんなことを思っていて、それを録音しているなんて……!



 胸に残っていた物悲しい気持ちも忘れて、今はただただ恥ずかしい。


「その反応……事実、なんだな。何なんだよ、こいつら」

「え?」


「全部俺なんだろうけど……嫉妬する」

「え? 嫉妬?」


 新が何を言っているのかが分からない。


 だって、この音声は全部新が録音したものだ。


 自分自身に嫉妬してるってこと?



「抱きしめたとか、足にキスしたとか、押し倒したとか……今の俺は覚えてねぇだろうが!」

「新?」


「ほのか……俺、小さいころからほのかのこと好きだったよ」

「え?」


 突然の告白に、受け入れる準備もしていなかったわたしはポカン、と口を開けて聞いていた。



「中学の終わりからこんな風によく倒れて、弱そう、カッコ悪いって言われるようになって……周りの俺への態度も変わって……」


「え? そんなこと……。新の側にはいつも人がいて、人気者で……」


「教室ではな」


 カッコ悪いなんてこと有り得ない、新は人気者なのにって否定しようとしたのに、キッパリと言われる。



「教室では前みたいに一緒にいるやつはいるよ。でも、倒れるたびに“ああ、またか”って目で見られて、放課後や休みの日はいつ倒れるか分からないからって遊びも誘われなくなった」

「そんな……」


 新の言う通り教室では前と変わりなかったから、そんな変化があったなんて知らなかった……。


 幼馴染で、近くにいたのに知らなかったなんて……。


 悔しくて、苦いものが口の中に広がるような気がした。



「それでも、ほのかは側にいてくれただろ? こうして、嫌な顔もせずいつも迎えに来てくれて……だから俺は、ほのかのことが前よりもっと好きになったんだ」


「新……」


「俺の貧血って、精神的なものだろ? 多分、周囲の目を気にしてる部分もあるんだろうけど……」


 そこで一度言葉を切った新は、視線を一度逸らしてから意を決したように真っ直ぐわたしを見た。



「ほのかと二人きりでいられる今の時間を無くしたくないって思ってることも、原因だと思う」

「それって……」


 それは、わたしと同じことを思っていたってこと?



「誰にも渡したくない。俺だけを見て欲しい。……ほのか、お前はこんな俺でも好きになってくれるか?」


 最後は自信なさげに眉尻を下げる新。


 そんな弱さすら愛しく感じて、わたしはためらうことなく頷いた。


「こんななんて言わないで。わたしは、どんな新でも好きだよ」


「っ! ほのかっ!」


 息を呑んで、泣きそうにも見える笑みを浮かべた新はそのままがばっとわたしを抱きしめる。



 爽やかな香りと、硬い腕。

 そして、熱いくらいの体温。


 しばらくギュウッと強く抱いていた腕が少し緩められると、耳元でまたちょっと不機嫌に戻った声が聞こえた。


「ほのかはもう、俺の彼女だよな?」

「う、うん」


 なんで不機嫌そうな声なんだろうと疑問に思いつつ答え。彼女という言葉にじわりと胸の内側に喜びが広がる。


 でもそれもすぐに甘い熱に取って代わられることになった。



「……じゃあ、もう我慢しなくていいよな?」

「え?」


 聞き返すと同時に、わたしの視界は反転する。


 さっきまで新が寝ていたベッドに、わたしが横になった。


 元々のシーツの香りと、新の香りが混ざっているベッド。


 前回と同じ様に押し倒されて……でも、今回はすぐに覆いかぶさってはこない新。


 その手は、わたしの右足に触れていた。



「あの、新?」


 ぞわぞわして、絆創膏の上からキスされたときのことを思い出す。



「ほのか……前の俺がしたこと、出来なかったこと……全部、今の俺がやりたい」


「え?」


「……ここか」


 絆創膏が貼ってある部分を撫でると、新は顔を寄せ唇で触れた。


「っ!」


 まるで前の新にキスされたものを上書きするかのような口づけに、一瞬呼吸が止まる。



 ゆっくり顔を離して、わたしの顔を見て僅かに笑った新はさらに問いかけてくる。


「前の俺、あとは何してた? ここにキスしただけ?」


「え?……えっと……ちょっと足撫でてたかな?」


 表情は少し柔らかくなったけれど、真剣な様子の眼差しがちょっと怖くて……。

 嘘をついたら怒られそうな気がして、わたしは馬鹿正直に答えた。


「……こんなふうに?」


「え? あっちょっ!」


 実践で確かめるようにふくらはぎの内側を撫でられる。


「んっ……新ぁ……それ、だめ……っ」


 ゾワゾワと、甘い熱が駆け上がってくる。


 柔らかい部分に触れているのが新だと思うと、鼓動も急速に早くなる。



「……やべっ……ホント可愛い……」


 足から離れた手が、今度はわたしの顔の横についた。


 見下ろしてくる新の目には、ほのかな欲が見て取れる。


 その熱量に、あてられた気がした。



「あとは……押し倒したんだっけ? キスはしてないって言ってたけど……」


 そう呟くと、新はわたしに覆いかぶさってくる。


 唇同士がくっつきそうなくらい近づいて……吐息がかかったと思ったらそれる。


 新の頭がわたしの顔の横に来て、彼の呼吸音が直接聞こえた。



 ひとつ前の新と同じ行動に、ほんの少し前に見た悲しそうな笑顔が蘇る。


 あの新と、今の新が重なった。



 一つ一つ、上書きするようにわたしに触れてくる新は嫉妬しているだけなのかもしれない。


 でも、わたしには前の新を一つずつ拾っていっている様にも感じられた。


 抱きしめてくれた新。

 絆創膏の上にキスをした新。

 押し倒してきた新。


 同じ行動をすることで、前の新を拾っていって今の新と一つになっていってるような……。



 気のせいだろうって、自分でも思う。


 でも、ループで見たすべての新が、今の新と一つになっていく気がして……。


 何だか、泣きたいくらい嬉しくなった。



「新……」


 嬉しくて、愛しくて、わたしも新を求めて彼の背に手を回す。


「大好き」


 思いのまま、言葉にした。



「っ! ほのかっ!」


 余裕のない声でわたしを呼んだ新は、潰してしまうんじゃないかと思うくらい強い力で抱きしめてくる。


 苦しいけれど、その苦しさも何故か嬉しくて……。



 腕が緩み、新の顔が上がる。


 熱っぽいその目に、わたしの顔が映った。


 絡んだ視線に誘われるように。引き寄せられるように。


 わたしたちはキスをした……。

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