ジェラシー・ボイス

 音声を聞いて、不機嫌そうにドアのカギを確かめて、ベッドに戻ってくる新。


「……とりあえず、座れば?」


 また立ったままでいたわたしに、新は低い声で促す。


「え? いや、その……」


 今新の近くにいたら、一通りのことを思い出してしまいそうで……。

 それに、今回の新は中々不機嫌なのが収まらないみたいだったからちょっと怖い。


 でもそれを口にするわけにもいかなくて、だからと言って誤魔化そうとしても新にはバレてしまうんだろうし……。


 それを思うと適当な言葉が出てこなかった。



 でも、不機嫌な新はハッキリしないわたしを見逃してくれるわけもなく。


「いいから座れって」


 と腕を掴んで引っ張られた。


「え? あ、ちょっと待って!」


 座るつもりのなかったわたしは、バランスを崩して引かれるままに新の胸へと飛び込んでしまう。


 不機嫌な新に飛びつくような感じになってしまって、これじゃあ更に新の機嫌を損ねてしまうかもしれない。


 そう思ったのも束の間。



 ぎゅうっ



「え……?」


 機嫌を損ねるどころか抱きしめられて――。


「っ、ごめん、ほのか」


 切なげな声が聞こえたと思ったら体がぐるんと反転した。



「っ! え?」


 驚きに目を見開いているうちに、新の手がわたしの頭を挟むようにベッドにつく。


「ほのか……」


 熱のこもった声と眼差し。

 それはわたしにもすぐに移ってしまって……。


「あ、らた……?」


 ドキドキと鼓動が早まって……息をするのが少し苦しくなる。


 近づいて来る顔に、今度こそキスされるのかと思って目をつむったけれど……。



 新の吐息が唇を掠めたかと思ったら、スッと離れて耳たぶにチュッと口づけされた。


「っ⁉」


 唇にされてもどうすればいいのかと思っていたけれど、耳たぶにされても恥ずかしくてどうすればいいのか分からない。


「ほのか……」


 しかもそのまま耳に直接囁かれたものだから心臓はもうバックンバックンと止まらない。



「ほのかは、俺のこと……」


「っえ?」


 続きの言葉が無くて、聞き返してみたけれどその言葉はなかった。


 わたしに覆いかぶさっている状態だから、新の表情も見ることが出来ない。



 新の爽やかな香りを感じて、制服越しに彼の体温を感じて……耳に直接吐息を感じて。


 それだけでわたしは溶けてしまいそうなほど熱くなった。


 今声を出したらまたさっきみたいに変な声が出てきてしまいそうで、どうしたの? と聞き返せない。


 そうしていると、また耳に直接囁かれた。



「……ごめんほのか。これ以上変なことしないから、このままでいさせてくれ……」


「新……?」


 本当にどうしたのか。


 名前を呼んでみたけれど、やっぱり返事はない。



 結局ポン、と通知の音が鳴るまでずっとそのままの状態だった。


 音が鳴って、「新、通知が……」とわたしが声を掛けると、新は深く息を吐いてから離れてくれた。


 でも、今まで熱いほどだった新の体温が離れてしまって、何だか寂しさを覚える。


 もっと抱き合っていたかったって、欲が沸き上がる。


 新も同じ気持ちでいてくれるのか、その表情は名残惜し気なもの。


 まだ足りない、と言っている様に見えるのは、わたしの願望なんだろうか?



 だとしてもいつまでもこのままでいることも出来なくて……。


「スマホ、貸して。録音しときたい」

「……うん」


 ベッドから下りたわたしは、頷くことしかできず新にスマホを貸した。


 離れて待ちながら、なんとも言えない気分になる。



 ドアを開けて、保健室と廊下の境界線を越えれば新はまた今の出来事を忘れてしまう。


 ううん、なかったことになるんだ。


 残っているのはわたしの記憶の中にだけ。


 でも記憶だけだと忘れてしまう。

 たとえ覚えていても、ずっと同じ状態では残っていてくれない。


 だからこそ寂しくて、哀しい。


 だからこそ、名残惜しくて仕方がない。



 そんなことばかり考えているうちに、新は録音を終えてわたしの所にスマホを返しに来た。


 受け取って、沈黙が落ちる。



 名残惜しい。


 どうして押し倒して、覆いかぶさって、ずっとそのままでいたのか聞きたい。

 でも、そうして答えてくれた言葉も次の新は覚えていないのかと思うと何故か聞けなかった。



「じゃあ、行くね」


 ずっとこのままでいるわけにもいかない。


 ループは次で終わりなんだ。


 終わらせなくちゃ、始まることも出来ない。


 だから振り切るように踵を返そうとすると、そこで初めて「待った」と声を掛けられた。



「伝えておきたいことがあるんだ」


「え?」


「ほのかがループしてる理由、多分俺は知ってる」


「……え?」


 息を呑んだ。



 わたしがループしている理由をどうして新が知っているっていうの?


 わたしが新と一緒に居たいって、この今がもっと続けばいいのにって思っていたこと、それに気づいてるってことなの?



 驚き、冷や汗のようなものを感じたけれど、新の話は意外過ぎるものだった。


「おれさ、さっき夢を見たんだ。五年前亡くなった祖父さんの夢。こんなふうによく倒れて、自信喪失してる俺の手助けをしてくれるって言われた」


「新の、お祖父さん?」


 どうして突然夢の話になるんだろうと不思議に思いながらも聞き返す。



 新のお祖父さんならわたしも何度か会ったことがある。


 別居だけれど、近いからとよく新の家に来ていた彼のお祖父さん。

 主に新の遊び相手をしに来ていたみたいで、わたしも一緒に遊んでもらったことがある。


 お葬式には御焼香をあげに行ったし……。



「何か望みはないかって聞かれて、答えた。そしたらちょっと手助けするからあとは自分で頑張れって。ただの夢かも知れないけど、変にリアルだったからさ……しかもほのか、タイムループしてるっていうだろ? それでなのかなって」


「なんて願ったの?」


 新の話の通りだとしたら、わたしがループしているのはその望みが理由ってことになる。



 よく倒れて自信喪失していたんだから、貧血で倒れないようにしてくれって所かな?


 でもそれだとわたしがループする意味って?


 疑問に内心首をひねりながら、新の言葉を待った。


 そして、紡がれた言葉に頭の中が真っ白になる。



「……ほのかが俺の彼女になればいい……俺が、ほのかの彼氏になりたいって……そう願ったんだ」


「え?」


「ほのか、俺……次でちゃんと言うから。だから、次の俺に答え聞かせてくれよ」


「え……?」


 ただただ驚き、目を見開くわたしの肩を新はトン、と押す。


 そんなに強い力じゃなかったけれど、軽くよろめいたわたしはそのまま後ろに数歩下がって……。



 境界線を越えた。



「新⁉」


 手を伸ばすけれど、新には届かなくて……少し悲しそうな笑みを浮かべた彼の姿が、霞で隠れてしまう。


 そんな顔をしないで。


 あなたも――“今”の新も、わたしの大好きな新なんだから。



 ……でも、それを伝えることなく視界が切り替わる。


 目の前には保健室のドア。


 わたしの両手には二つの鞄。


 静かな廊下。



「……」


 さっきまで目の前にいた、悲しそうな笑みの新もわたしの記憶の中だけの新になってしまった……。


 どうしようもないことだけれど、言葉じゃ表現しきれない感情が胸の内に渦巻いて……。


 わたしはしばらく、目の前のドアを開けることが出来なかった。

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