第24話 vsローサミィ
……避けた? 確かに、血が出ていないのであればそうだと思うだろうけど……でも、打撃ではないのだ。刃が頬を間違いなく撫でた、以上に、直撃したはずなのに……。
でも、切れていなかった。気づけば既に痛みも痒みも引いている。攻撃を受けた時は、頬から下が持っていかれたと思って背筋が凍ったのだけど……蓋を開けてみればほとんど無傷みたいなものだった。
「糸はまだまだたくさんあるの。この空間にいる限り、お姫さまは逃げられないよ」
それ以上に、「逃がさない」と言っているのだ――ローサミィは無数の糸を操作し、全方位から刃を振り下ろすことができる。さすがに数に限界はあるので、避け続けていれば糸もなくなるだろうけど……待っている内にこっちが疲弊する。がまん比べは分が悪い。
見えている糸でも膨大で、見えていない糸も含めれば、もっとだ――。
消費した糸を補うように新しい糸がまた仕掛けられるとしたら? 数が減っていかない。なので糸を消費させるよりも先に、ローサミィを叩いた方が簡単だ……簡単ではないだろうけど。
糸を浪費させるよりは、勝ち目がある戦い方だ。
「年下だから」で油断していると、見えない糸で死角からの一撃がやってくるはず――。
油断はしない、絶対に。そう思っていても、単純にローサミィの罠と戦略の攻略は難易度が高かった。死角からの糸に気づくことができた、までは良かったけど、ひとつの攻撃を防ごうとすればもうひとつの糸に対処ができなくなる。
全方位から一斉に襲い掛かってくる糸に対処できる数は、僅かな時間差で二本まで……それ以上の糸は、受け止めるしかない。
腕の一本、落とされる覚悟を決めさせられたような状況だった………「――え?」
思わず戸惑いの声が出た。
ローサミィも同じように動揺している……違和感が、膨らんでいる……?
鞭のようにしなった鋭利な糸が私を襲った……はずだよね? なのに、私の体には傷ひとつもついていなくて……さきほどと同じく、多少の痒みがある程度で……今度は痛みがなかった。
避けたわけじゃない。だって避けられなかったのだから……。それとも当たったけどたまたま怪我にはならない角度だったとか……? としても、刃だから切れるはず。
黒衣には破れた痕もなくて……なぜか、糸による攻撃が一切通用していなかったのだ。
「なっ、なにをしたの、お姫さま!!」
「知らないよっ、私はなんにもしてない!!」
ローサミィの動揺。そのせいで隙だらけだった。張り巡らされた糸の隙間を狙って、一直線にクナイを投げる。突き刺さる寸前まで気づけなかったローサミィは、見えた凶器に咄嗟に身を捻ったけれど、クナイを避けることはできなかった。クナイが、肩に突き刺さる。
感じた灼熱に、ローサミィの口が「へ」の字に歪んでいた。
「ぎぃ……ッ、い、なん、で……?」
痛みに戸惑っている様子のローサミィ……、……痛みに? 慣れてるわけじゃないのだろうか。痛みを与えても受けることには慣れていない……蜘蛛の巣の中心で獲物を待つやり方なら、反撃を受けることは稀だとは思うから……痛みに慣れていなくとも仕方ない?
それでも、クナイは意識を飛ばすほどの痛みでもないはず。ほんのちょっと刺さっただけ……にしては出ている血が多いけど。
指を切り落とされたわけじゃないのだからパニックになることもないとは思う……でも、ローサミィは顔面を蒼白にさせていて……どうしてそこまで驚いているの?
前髪から覗く瞳が見開かれていて、動揺と同時に彼女は今の違和感で事態の変化に気づいた様子だった……。す、っと、開いていた瞳が閉じていく。
「加護が……消えてるんだ……」
「?」と、私はまだよく分からない。分かっていることと言えば、私はダメージを受けず、ローサミィの動揺から考えれば、体が脆くなっている、と考えるべき……?
「……いや、違うね」とローサミィ。
「加護が、移動しているってこと……?」
加護? 誰に? ……は、考えれば分かることだ。
この場には私たちだけしかいなくて……だから私に移動したんだ――加護が。
――加護。
加護と言えば、アカッパナー地方に伝わる守り神「ゾウ」のことしか思い浮かばない。
「ッッ、どうしてよっ、魔王さま!!」
怒りを乗せた無数の糸がさらに襲い掛かってくる。
今度は明確な殺意があった……ローサミィに、遊び心はまったくなかった。
ひたすらに死体を蹴るような、鬱憤と不満を晴らすためだけの攻撃――。オーバーキルを考えない。全ての糸が肉体を切断すれば、サイコロほどの大きさに人体は分解されてしまうだろう……「本気を出せばこんなこともできるんだよ」、と言っているようにも聞こえた。
それが可能な事実にゾッとしたものの、でも、なぜか恐怖を感じても命の危機は感じなかった。
不思議なことに……安心感があったのだ。
まるで大きな体に包み込まれているような……。
無数の鋭利な糸が鞭のようにしなって襲い掛かってきたけれど、体に傷ひとつつかない。今度は痒みさえなかった。
糸が当たったことは分かったけど、それはこの目で見ているからだ……もしも死角から攻撃されていれば、当たったことにも気づかなかった可能性もある。
それほど、糸から攻撃力が奪われていた――いや、私の方?
糸ではなく、私が、頑丈になっているから……?
「魔王さまは……マルミミはっ、その女を仲間にしたの!?」
ローサミィの顔が、これまで見たこともないくらいに怒りで歪んでいた。
その顔にこっちが一歩も二歩も退いてしまうくらいには、迫力がある。
「加護の移動は、入れ替わりを意味するの……それって、お姫さまを受け入れてアタシを見捨てたってことになるんだよね……」
そんなことはない、と言いたかったけれど……勘違いでもないのが、絶妙な加減だった。
魔王軍を白紙に戻すため、一部を除けば対象となるのは魔王軍全体だ。そこにはローサミィも、もちろん含まれているし、メンバーのほぼ全員がマルミミに裏切られたことになる。
マルミミの意志を知り、賛同したメンバーだけが、今の加護を受け取っているのだろう……だから私にも加護があるのだ。
「ローサミィ……」
「哀れんだ目で見るな。お姫さまは、操り人形なだけでしょ!!」
――魔王さまの。とは、口には出さなかったけれど、そう言いたかったはずだ。操り人形……これまでの人生、ずっとそうだった……、だから過去は否定しない。
だけど……、これからの未来をそう呼ばれるのだとすれば、私はここで、否定する!
もう誰にも操られない。
自分の意志で決めたことだから……がまんなんかしない。
頭上の糸を、この手で断ち切ってやる!!
「――ローサミィは選ばれなかったんでしょ? だから知らなかっただけ……分かった?」
「…………っ」
言い返してこなかったのは、自覚があったから……? ――真実を真っ直ぐ伝える……我ながら性格が悪いな、と思った。
顔に出ていたのだろう、自分を嘲笑しただけなのに、ローサミィからすればその反応が自分に向けられたものだと勘違いしたのかもしれない。
「おまえ……ッ」
「マルミミは、あなたのこと、『いらない』って判断したんだろうね」
「……うるさい……」
「そりゃそうだよ、だって自分を守ろうとしてくれていたお兄ちゃんを殺したんだから。……手をかけることに抵抗がなかったところを見ると、実は隠れてたくさん殺してたりするんでしょ? 複製体はたくさんいるんだから、数体、殺したっていいでしょって気持ちで、何人ものグリルを――」
「…………」
嫌な沈黙だった。図星だからこそ出た沈黙であれば……。
やっぱり、彼女は『切られ』て当然だ。
「首を吊って、首を斬り落として……そんなあなたがマルミミにクビを切られるなんて……――因果応報とはこのことね」
「黙ってよ傀儡の姫が!!」
しなった糸が眼球を狙って飛び込んでくる。たとえ攻撃を受け付けない加護があっても、さすがに急所への一撃は多少なりとも人体に影響を与えると思ったけど、反射的に目を瞑る前に眼球が糸を弾いた。まるで、私の瞳はガラスみたいに硬かった……。
すると、無数の糸が緩んではらりと落ちた。ローサミィの気の緩みを表現しているみたいに……。彼女自身、諦めてしまったのかもしれない。指先ひとつで精密な操作をおこない、糸を操っていたが、感情ひとつで入り組んだ仕掛けは瓦解する。ゆえに、一瞬の緩みが罠の崩壊へ繋がったしまったのだ。
気づいた時にはもう遅い。緩んだ糸を張り直すには時間がかかる。今から一瞬で罠を張り直すことができるわけではないのだ。
「傀儡の姫でもいいよ……兄殺しの妹よりはマシだから」
「あれは、だってお兄ちゃんの複製……」
「複製でも、あなたのお兄ちゃんだったよ。妹を想う気持ちは、本物にだって負けてなかったのに」
「…………」
「でも殺した。一切の抵抗もなく。あなたは充分に――魔王軍だよ」
「だから、なんなの……?」
「ローサミィがさ、根っからの悪人で良かったなって思ったの。グリルの意思を尊重してあげたいけど、さすがに野放しにはできないって分かったから。……もう変われないほどに歪んでいるなら仕方ないよね。――ローサミィはここで、」
「ッ、平和ボケしたおまえなんかに負けるかッ、おひ、――!?」
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