第22話 兄は妹のために……


「お前はさ……敵なのか?」

「囚われのお姫さまは、敵でしょ?」


 グリルは口を開けてぽかんとしていた……忘れていた、とでも口からこぼれそうだ。それだけ、私は魔王軍の中に違和感なく溶け込んでいたのだろう。私はもう既に身内の人間だった。


 事情を知る魔王マルミミや、師匠、博士はともかく……まさか事情を知らないグリルにまで味方だと思われていたなんて……。ちょっと嬉しい。彼が特別、優しいだけかもしれないけどね。


 事情を知らない人で言えば、スージィ先生も無警戒だった。


「そう言われてみれば……そりゃまあ、敵なのか……?」


 囚われの姫は、敵か味方か……少なくとも味方ではない気がする……。

 普通のお姫さまは、魔王軍の脅威にはならないはずなのだから。


「残念だけど、私は敵だよ。魔王軍の敵で――だけど魔王軍の味方でもある」

「??」


 ややこしい言い方だったので、黒猫は小首を傾げている。

 あぁ……かぁいぃ(可愛い)……。愛くるしくて、思わず胸に埋まる彼の頭をさっきよりも強く撫でていた。――手が勝手に! ……グリルは嫌がっていたけど、私の手は止まらない。


「うぅ……それ、どういうことにゃんだよ」


「魔王さまはね、どうやら魔王軍の解体をしようとしているらしいのよ。だからその作戦にグリルとローサミィを巻き込めば、ふたりのことは始末しないで済むかもしれない……。私から魔王さまにお願いしてみるから、手伝ってくれないかな?」


「それ、断ればオレだけじゃなく、ローサミィも危ない目に遭うんだろ?」


 否定はしない。私はただ、くす、と微笑んだだけだ。


「……もう断らせる気ないだろ。――分かったよ、手伝う。だからローサミィの回収を――」

「うん、そのつもりだから。……ローサミィはどこにいるの? 案内してよ」


 グリルのことは抱えたまま。彼には口頭での案内をお願いする。

 自由にさせて狭い隙間にでも入られたら……今度こそ黒猫を見失うことになる。再び見つけて捕まえることはもう無理だろう。


 だからこうして抱いているままの方がいい……、グリルを信用していない証拠になっちゃうけど、抱えられたグリルは文句を言わなかった。言えない立場ってわけでもないけど……。


 グリルも、私の言うことの全てを信用しているわけでもなさそうだった。


「勇者さまと交戦中で……合ってるよね?」


「そうだな……。首を吊り、引き寄せたあの最初の一発で終わらせていなければ……かなりのピンチになっているだろうな……。ローサミィは、戦いに向いていないんだから。あいつは一度、親父を殺してトラウマになってるんだよ……だから、あいつに人は殺せない」


 ――その分、オレが殺してきたんだよ。


 と、グリルが自身の手を見た……肉球があった。


「オレはどんな体だろうと、両手だけは…………真っ赤に見えるんだよな……」

「ふうん……目の検査をしたら?」

「そういうことじゃねえよ」


 分かってるよ。


 そうやって茶化さないと、空気が重たくなりそうだったから――。




 結局、長時間も抱かれていることを苦手としているグリルの希望で、先導してもらうことになった。手離せば逃げられる危険性は、もうない。


 ローサミィの名前を出せば、グリルはどんなお願いでも聞いてくれそうだ――。


「いてっ!?」「狭い通路は使わないって約束だったよね?」

 体に覚えさせるように、彼の尻尾を踏む。痛みで振り向くグリルは「こんな小さな穴にも入れないの?」とでも言いたげで……。


 確かに猫よりは一回り以上は大きい穴だけれど、太っているわけでなくとも人ひとりが通るにしては厳しい大きさだ。……私が太ってるわけじゃないし……。


「人が通れる道か……うわ、めんどくさ……迂回しなくちゃいけないじゃん」


 渋々、と言った態度だった。


「こっちだ」と尻尾を振る黒猫に、あらためてついていく。そして、大回りにぐるっと迂回した後、再び広い空間に出た。そこは私たちが通ってきた道とはまた別の穴が無数にあり……まるで蜂の巣の中のようにも見えた。


 しかも、見えにくいけど、広い空間にはびっしりと、糸が張り巡らされている……。

 蜂の巣でありながら、中身は蜘蛛の巣だった。


 空間の中心に立っているのは……小柄な女の子。前髪で瞳を隠したローサミィだ。

 グリルにも言えるけど、幼いながらも魔王軍の幹部である……。


 そんな彼女は、頭から血を被ったみたいに、全身が真っ赤っかだった。


「はっ!? ッ、ローサミィ!!」


 妹の一大事(?)に、走り出した黒猫。空中でぴょんぴょん跳ねているのは糸を足場として利用しているからだろう……そういう使い方なんだね……。


 一度でも見えてしまえば次からは鮮明に、くっきりと目の前に現れているけど……見つけるまではまったく分からない。背景に完全に溶け込んでしまっている……、恐らく、その罠に彼ははまってしまったのだろう……。


 糸というタネ明かしがなければ、脱力して宙に浮かんでいるのは……勇者さま……。

 つま先から、ぽたぽたと血が滴っていて……。


「ぅ……、ゆう、しゃ、さま…………?」


 彼は動かなかった。まさか――、もう、死体になってる……?


「ローサミィ!! 怪我はしてないか!?」

「あ、お兄ちゃんか……。うん、怪我してないよ。これ全部、勇者の返り血だし」

「そっか……良かった……っ」


 黒猫の姿になった兄を抱え上げたローサミィ。

 元々が兄妹だからか、その姿が一番しっくりくるふたりだ。


「ところでお兄ちゃん。その子は…………あれ? お姫さまがなんでここに?」


 黒衣の姿を見せたことがあるので、彼女にばれることは想定内だった。逆に、「誰?」なんて言われたらショックだったから……良かった、という安堵の方が大きかったかもしれない。


 それでも本当にほっとできたわけではないけど。


 私も、糸に気をつけながら、「おっとと」なんてバランスを取りながら下まで降りる。もしもつまづいて倒れたりしたら……敷き詰められた糸に倒れてそのまま切断されることもあり得る。


 気を抜けばすぐに周囲の凶器は私の命を奪うだろう……その緊張感が、一息もつけない状況を作っていた。


 ふたりの元へ辿り着いた頃には、ふたりの会話も進んでいた。


「ああ……それも教えるよ。とりあえず、急ぎなんだけどさ、ローサミィに相談があってな……。魔王様の方針転換に、乗るべきだと思うんだよ……。詳しい事情を話すから、ローサミィも付き合ってくれ。でも、ローサミィが戦う必要はないからな、そこは安心してくれよ」


「うーん……、よく分からないけど……とりあえず話を聞いてからね」


 ぴく、と、視界の端で動くものがあった。

 吊るされている勇者さまの指が、僅かだけど、動いた。

 ……あ、良かった――まだ生きてる!


「へえ、まだ生きてたんだ……やっぱり窒息じゃなくて切断した方がいいよね……あんまりこの場所を汚したくなかったんだけど……、今更かな?」


 既に充分、ローサミィも含めて、勇者さまの赤い血で場が染まってしまっている。確かに、ペンキを撒いたように汚れているのに、今更汚れるかどうかを気にするのはおかしな話だ。


 確実に、首を切断でもして勇者さまを殺すべきだ、とローサミィが糸を操作した――したように見えているけど、指の動きと糸が連動しているかどうかは、まだ分からない。


「待てっ、ローサミィ!」と止めたのは、彼女の胸にいるグリルだった。

「え、なんで?」


「お前が、そういう殺しをする必要はないんだよ……そういうのは、オレの役目だろ」


「お兄ちゃんの? ……でも、その姿で殺せるの? 首を噛んで殺すとか? ……できなくはないだろうけど、手間がかかるというか……。うん、やっぱりアタシがやるから大丈夫だよ。自分の手を汚すわけじゃないし……汚れるのは糸だけだもん」


「それでもだよ……お前に、人を殺してほしくないんだ……っ」

「でも、もう既にお父さんを殺してるよ?」

「これ以上だ!」


 えー、とローサミィは不満そうだった。


 ……なんだか噛み合っていない気がする。グリルはローサミィに「人殺し」をしてほしくないと望んでいて、グリルから見てローサミィは「人殺しには向いていない性格」だと思っているようだけど……「仕方なく殺し」をしている、というスタンスのローサミィは……本当は……?


 聞いていると、ローサミィはまるで…………人殺しを望んでいるようにも聞こえる。


 蜘蛛の巣にかかればどんな相手だろうと殺すみたいに。相手が悪人でも善人でも関係なく。そういう中毒者特有の雰囲気が、ローサミィから漏れ出ている……。


 これが女の勘なのかもしれない……同時に、虫の知らせかもしれない。


「お兄ちゃんってさあ……過保護だよね。アタシだってもう色々と経験を積んでいるの。お兄ちゃんに言われなくても、自分の道は自分で決められるよ。……お兄ちゃんが勝手に博士と契約して、自分の人格をていきょーしてさ……自分の複製を作ったように、アタシだってこの糸で生き方を模索して、やっと見つけたばかりなんだから……。あまり干渉してこないでよ」


 言われたグリルは、「う、」と詰まったが、兄として退ける場ではなかった。


「でも、お前はオレの妹なんだ! 兄貴はさ、妹の保護者なんだよ……――それに」


 兄だから。

 妹の幸せを、願うのだ。


「お前には、真っ当な人生を歩んでほしいんだ……」

「真っ当、かあ……だからもう無理だって」

「そんなことな、」



「――え?」



 首が落ちた。

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