第21話 小さな監視員

 荷物を置いて、だけど武器は持っていなかった。丸腰で、戦場に……? 彼は転がっていた石を投げることしかできなかった。

 投げた石が、グリルの額に当たる。荷物持ちだからこそか、石を額に当てる力はあるようで安心した。騎士なのだから、体力もある方だろう。


 額に当たった石が、落ちていく。

 ちゃぽん、と水面を揺らしたと同時――ギロリ、と、竜の瞳が騎士を睨んだ。


「ひっ――」と悲鳴が漏れたけど、タイミングはばっちりだった。あの一瞬でなければ、グリルを油断させられなかったし、大きな隙を作ることもできなかった。


 お荷物に見えても、彼はここぞという時に役に立つみたいだ。ここまで勇者さまと一緒に冒険できたのは、ただついてきているだけではなかったってことかな――。


 勇気を振り絞り、勝機を掴んだ彼に、クインが微笑んだ。


 彼女の自然の笑み――そんな優しい表情、私には見せたことがなかったけど……?


「あとで褒めてあげますよ、犬――」


 鱗と鱗の隙間。クインの薄い刃が潜り込み、柔らかい肉に刃が到達する。深々と刺せば心臓に突き刺さる距離だった――。


 刃が入り込んでしまえば、あとは一直線に……押し込むだけだ。

 左右にはまったく動かないが、上下にはスムーズに動く。


 ……刃が、心臓を射抜いた。


 グリルを『持った』竜が倒れる。


 これで二度……いや、もしかしたらもっとかもしれない……グリルが、『死んだ』。




 力尽き、水に沈んだグリル……。


 クインが入念に確認したので、息を吹き返して動き出すことはないだろう。


「……途中……少し変でしたよね?」

「え? ……そうだったかな……」


 フラッグは首を傾げる。

「……こいつに聞いたのは失敗だった」とは、クインは言わなかったが、「いえ、なんでも」と答えた彼女の真意は分かりやすく伝わっていた。表情で丸分かりである。


「(第三者の介入が考えられますね……)」


 鱗と鱗の隙間は、極細剣でも刃が潜り込めないほどにぴったりとくっついていたはずだが、気づけば隙間が広がっていたのだ。

 相手が油断したから、かもしれないが、そうでない場合も考えておく必要があるだろう……。たとえば、と考えた時、まず浮かんだのが、先に述べた可能性だ。


 第三者。


 クインが痕跡を探すも、当然ながら残っているものはなにもなかった。影に紛れたタウナ姫は使った武器も回収している。

 そもそも、足跡は残していないのだ……つけていなければ消す必要もない。


 匂いは、残っていても血の匂いで上書きされてしまっているだろう(消臭したら『した匂い』が分かってしまう。第三者がこの場にいたことは確定してしまうが、それがタウナ姫であることまではばれないだろうけど)。

 徹底して場に情報を残していない。クインがタウナ姫に辿り着くはずがない――


 ない、のだが……。


「…………姫様?」

「え、姫様がいたんすか!?」

「いえ、痕跡はないですけどね……匂いも血と死臭で分かりませんし……」


 じゃあ、どうして分かる? と顔に書いてあるフラッグ。

 クインも、証拠があると言っているわけではないのだ……だからこれは、勘なのだ。


 女の勘。

 虫の知らせか?


「姫様がこんなところにいるはずがないのに、鳥肌が立つみたいに心が立ち上がったんです……ああ、お世話しなくちゃいけないな、って――。姫様を前にしていないと出てこない欲求なんですけどね……」


 それが出てきたのだ……この場で。

 連想なんてするはずもないのに。


 ――だから、いたのかもしれない。


 クインの本能を刺激した、タウナ姫、本人が。


「じゃあ――姫様のこと、探しますか?」

「いえ……」


 恐らく探したところでなにも出てこない。仮に出てきたところで、タウナ姫がどこにいるのかは既に分かっていることだ。それだけの手がかりのためにこの場で時間をかけることはしない。

 今は、はぐれた勇者、ギルと合流しなければ。


「動けば動くほどに迷いそうですけど……待っていても仕方ないですからね……進みましょう」


 どうせ引き返せない。

 壁を伝って上がるには、高過ぎる戻り道だ。




「――お前、裏切る気かよ、タウナ」

「…………」


 クインがなんだか勘付いているような気もしたので、足早にその場から去ることにした。壁を伝って元の通路へ戻ってきてみれば、そこで待っていたのは黒猫だった……しかも人間の言葉を喋る……だ。


 今更驚きはしないけど、きっとグリルの人格を持った黒猫だろうと予想すれば、案の定、足下の黒猫はグリルだった。予想外だったのは、一部始終を見られていたことだ。


 いつから? もしかしたら私が地下迷宮に足を踏み入れる前からかもしれない……。


「…………」

「答えろよ、裏切り者」


 ……小さな黒猫だ。竜なら難しいけど、黒猫程度、いつでも……。


 黒衣の下に隠しているクナイに意識を向ける。素早く取り出して、目撃者を消すことも視野に入れておこう――だけどそんな敵意を読まれたようで、黒猫グリルがぴょんと跳ねた。私から距離を取って……通路の隅の狭い隙間に潜り込んでしまう。


「あっ、ちょっと待って!!」


 口止めをする前に逃げられてしまえば、私の裏切りを魔王城に持ち帰られてしまう。私の裏切りだけならまだしも、そこからマルミミまで繋がってしまうのは最悪だ……っ。


 黙っておいてほしいとお願いしても、難しいかな……マタタビが手元にあれば……仮にあったとしても口止め料にはならない?


 黒猫として考えるのではなく、グリルとして考えた方がいいかもしれない。

 ……いや、でもやっぱり取引を持ちかけるよりも始末した方が早くて確実だ。さっき倒れた竜のように、黒猫もまた……。


 気づけば私は、黒猫を殺す方向で事を進めようとしていた――それにしばらく気づけなかったのは、順当に忍びとして心も染まっていっている証拠……?


「……今は追いかけないと!」


 急いで隙間に手を突っ込む。指先が触れたそれをすぐに掴む――「にゃっ!?」と猫らしい声を漏らしたので、間違いなくグリルだ。引っ張ると、出てきたのは黒い尻尾――。


 頭より上へ持ち上げると、目線の先でじたばたともがく猫がいる。

 吊るされてるみたい……彼は必死なのだろうけど、それがまた愛くるしく感じて……かわいい……。


「はっ、離せよ!!」

「だって離したら逃げるじゃん」


「じゃあ逃げないよ!」

「それを信じると思うの?」


「尻尾を離せ! せめて掴むなら体の方をさ――痛い、んにゃあ!?」


 泣きながら言うので、仕方なく尻尾を離す。

 頭から地面に落ちる寸前で、受け止めてあげた。でも猫って高いところから落ちても大丈夫なんじゃなかったっけ……? 中身がグリルだと難しいのかな……


「どうなの?」「は? なにが……」

 受け止めた黒猫を、胸でぎゅっと抱きしめる。これでもう逃げられないから。


「爪を立てても、この黒衣は傷つけられないから無駄だよ」

「……らしいな」


 ガリガリ、と確かめたグリルは、むっすー、と拗ねた顔だった。

 猫、というだけで本来なら苛立つその顔も、今ではずっと見ていられる可愛い顔である。


 頭を撫でる。嫌がると思いきや、グリルも気持ち良さそうにしている……満更でもない感じ?

 私の胸で落ち着いたグリルが、「ふう」とひとつの呼吸を置いてから、


「――全部、見てたからな……分散したオレの一頭を殺す手助けなんかしやがって……ッ! どうせ複製された人格だし、別にいいとは言えだな…………なにが目的なんだよ?」


 言うか言うまいか、迷うけど……言い逃れができるタイミングではなかった。一部始終を見られて、言い訳ができないのであれば……選択肢はふたつに絞られる。殺すか、巻き込むかだ。


 もちろん私だって進んで殺したいわけじゃないし……できれば生かしておきたい。事情を話して、グリルに協力をお願いする……もしも断られたら……、その時は、覚悟を決めてもうひとつの選択肢を選べばいい。


「……事情を話すよ。それで、ローサミィのことで、相談があるの」

「分かった、協力する」


「協力しないなら仕方ないけど、このままあなたを殺――……え? 即答したの?」

「ローサミィが関わっているなら、悪条件だろうと関係ねえよ」


 ……無茶ぶりを言っても動じなさそうだけど……? 妹のために、という前提さえ付けば、グリルを思いのままに操ることができるのではないか。


 グリルという人格さえあれば、猫だろうが竜だろうが、妹優先のその行動の原理は変わらない。


 モデルとなった人格が既に完成されていたのだ。

 妹を愛する兄としては、百点満点に近い人格だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る