第18話 分断


 ――遭難したのは半月前だった。


 ギル、フラッグ、クインは猛吹雪が止むのを待ったものの、天候は荒れるばかりだった。一度止まって待ったことで、逆にどこにも行き場がなくなり、見つけた洞窟で数日を過ごすことになってしまった……。食糧もそろそろ底を尽きそうだった。


 そもそも残り少ない食糧の補給として、北東のケンダマ王国へ向かっていたのだ。荷物が軽くなるのは、当然ながら早い。

 数日間の空腹で限界がきていた三人は死を覚悟したが、洞窟内に隠されていた床と一体化していた蓋を見つけた。そこが、地下道への入口だったのだ。


 まさかそこが、魔王軍幹部である、ローサミィの糸の館だとは、この時は知る由もなかったが。



「……食糧が置いてありますね。ケンダマ王国が使っている地下道なのでしょうか? ……だとすると、勝手に持ち去るのはまずいのかもしれません……」


『え?』


 ギルとフラッグは既に食糧に口をつけていた。……仕方がなかったのだ。だって空腹が限界を迎えていた……そんな状態で目の前に食糧があれば、「ひとつくらい……」と、たとえ齧っても大目に見てくれるだろうと思ってしまうのも無理はない。


 ここで遠慮ができるほど、ふたりに余裕があるわけでもなかった。

 一旦、待ったをかけるべき制御役のクインがふたりに釣られて手を出してしまったのだ……、彼女でさえ、食べながらふたりを注意している。


「こういう、もぐもぐ……っ、場所にある食糧は……んごく。勝手にもぐ……食べてはごくり。……いけないんですからね?」


「説得力がないんすけど」

「分かってるわよ!!」


 分かってはいるが、クインも空腹には勝てなかった。

 彼女も食べてはいるものの、言っておかなければいけないことは言った――というだけだ。


「これが後に国際問題にならなければいいですけど……」


「まあ大丈夫だろ。魔王軍を倒すための旅の途中で餓死しそうになったから食べた、と言えばなんとかなる気がするけどな……」


「だといいですけどね」


 勇者ギルは能天気だった。それから、三人は満足するまで胃に食糧を詰め込んだ。贅沢を言えば、栄養が偏ってしまったのが難点だが、あるだけ恵まれている。食べられたことに感謝だ。


 腹八分目でやめておき、三人がそれぞれ食糧を懐に忍ばせる。次の補給がいつできるか目途が立たない今、無理に胃に詰め込むよりも持ち運べるものを持っておいた方がいい。


 準備を整えたら、地下道の先へ進むだけだ。引き返せば猛吹雪に繋がる洞窟へ戻るだけである……退路は断たれているようなものだった。


 このまま進めば、未知の領域ではあるものの、吹雪を避けられるのであれば、比べれば楽な道とも言えるだろう。


 このままケンダマ王国へ入国できれば理想だが……。


「道はこっちでいいのか?」

「……はい。コンパスが示す方向は……そちらで合っています」


 不安な言い方だったが、クインを信じるしかない。


 彼女が先行する。通路を沿っていく必要があるので、コンパスが示した道へ直線で進めるわけではない。迂回したり、螺旋のようにぐるぐると回ったり……方向感覚が狂ってくる。


 しかも――、


「…………」

「どうしたんすか」


 荷物持ちのフラッグがカバンを置いて、一休みしている時だった。コンパスを見て訝しんだクインの苦い表情を、彼が見てしまったのだ……それを見て見ぬフリはできなかった。


「……コンパスが、壊れましたね……」


 と、クイン。見れば、コンパスの針がぐるぐると回転し続けている……。これでは使い物にならない。これは――完全に、三人は迷ってしまったようだ。


「ここって……本当に地下道なのか?」


 ギルの疑問だった。ケンダマ王国の管轄であり、雪国ゆえに移動を楽にするために地下道があるのかと思えば、そういうわけでもなさそうだった……。


 国が移動に使うにしては通路が複雑過ぎる。コンパスもまともに機能しないほどの悪辣な環境……。まるで侵入者を惑わすためだけに作られたような……。


「迷宮だな」

「……ですね」

「え? ……もしかして、やばいんすか……?」


 呆れたギルとクインが息を合わせたように肩をすくめた。荷物持ちとは言え、最低限の危機感くらいは持っていてほしいものだが……とでも言いたげだ。

 しかし三人寄れば文殊の知恵……別の視点も必要か。


「悪意ある迷宮じゃないけど、それでもここを根城にしている誰かがいれば厄介だぞ。それが魔王軍だったら……最悪だ。オレたちは敵の巣のど真ん中にいることになる」


「えっ!? じゃあやっぱりやばいんじゃないっすか!!」

「だから最初からそう言ってるでしょ」


 十中八九、誘い込まれた。敵は魔王軍だろう……とは、まだ言い切れない。自然と出来上がった迷宮(工事の最中、失敗を繰り返し、結果的に迷宮となってしまった場合だ)に、ただただ迷い込んでしまった可能性もある。どちらにせよ、簡単には脱出できなさそうだ。


「引き返すか?」


「ここまで何度も分かれ道がありましたけど……どちらを選んでここまでやってきたのか細かく覚えていますか?」


「いや……」


「じゃあ、さらに迷うだけですね。進んだ方が出られるかもしれません……いきましょうか」

「あの、ギルさん……」


 目をごしごしと擦るフラッグが、ギルの背後をじっと見ている……。


「眠いんですか、犬?」

「わんっ――じゃなくて、違うっすよ!?」

「オレのいないところで距離が縮まってるんじゃないか……?」


 フラッグは未だにクインを「様付け」で呼んでいる。親しくなって様が取れるかと思えば、さらに忠誠心が強固になったように思えて……まあ、それが悪いことではないが。


「その……見間違いでなければ、ギルさんの後ろ、なんですけど……」

「後ろ?」


 ギルが振り向く。


「……見えにくいですけど、糸が、ありません?」


 背後に忍び寄っていた細い糸が、ギルの首に絡みついた。

 咄嗟に腕を入れたので首だけが絞まるということはなかったが、これでは身動きが取れない。


「がっ!?」

「ギルさん!!」


 クインがすぐに動いて糸を切断しようとしたが、それよりも早くギルの体が糸に引っ張られた。まるで浮遊しているかのように通路の先へ進んでいく。

 追いかけるふたりは、しかし途中で止まらざるを得なかった。

 ――通路の先に、足場がなかったのだ。


「しまった……勇者様!!」


 底が見えない大穴だった。

 底がない、とは思えないが、飛び降りればかなりの高さなのではないか。

 確認しないまま飛び降りるには、リスクが高過ぎる。

 ……ここは引き返すしか、


「先はどうなって――あ」


 がっ、と足を取られた。同じく糸である。クインが通り過ぎた後で、後方にいた荷物を背負ったフラッグを狙って仕掛けられたトラップ――。


 クインは足下にいた気配に気づいた……

「――黒猫?」が、どうしてこんなところに? と考えている暇もなく。


 振り返った時、糸に引っ掛かって突撃してくるフラッグと目が合い――


「あ」「え」


 逃げ場もなく、クインとフラッグが激突し、そのまま大穴の底へ真っ逆さまに落ちていく。

 やがて――ばしゃんっ、という水の音が響いた。高さこそあったが、下は水場だったのだ。おかげで地面に叩きつけられることはなかった。それでも浅いので無傷ではなかったが。


「あ、あなたね……!」

「す、すみませ――ッ、い、います!! クイン様っ、目の前やばいっすなにかいます!?」

「またですか……っ!」


 以前は赤い竜……その前は青い竜――そして今回は、紫色の竜だった。

 さらに以前と同じく人間の言葉を話す竜であり、その声と喋り方は、久しぶりに感じた「彼」である――そう、人格の正体はやはり、グリルだった。


 だが、このグリルは、クインとフラッグのことを――知らない。



「……妹を怖がらせる侵入者はここで始末する……――仕方ないよな?」

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