第13話 主戦力…三人目


 タウナ姫の修行が始まった頃だった――。


 地上では、勇者が最大の危機に陥っていた。

 赤い竜――その人格は「頑丈な糸を自在に操るローサミィの兄」、グリルだ。

 その竜は、魔王軍からの刺客として、勇者ギルの前に降り立った――。



「弱いじゃん、勇者」

「……ッッ」


 剣が折れ、勇者ギルが地面に倒れている。彼と共に戦っていた侍女クインも、意識を失ってしまっていた……まともに動けるのは騎士団の下っ端である荷物持ちのフラッグだけだ。彼は逃げに徹していたからこそ、ダメージが最も少なく済んでいる……。


 主戦力を欠いたパーティでは、彼が後衛から前に出ても同じ轍を踏むだけである。


 ――ダイス王国から北東へ向かっていた矢先だった。

 次に経由する国はリング王国――その手前はアカッパナー地方の大半を占めている大きな山があるのだが、大災害による崩落し、今は半壊状態だ。


 多量の瓦礫が押し寄せ、麓の洞窟は封鎖されてしまっている。目的地までの近道は不可能……迂回をするしかない。

 不安定な足場を利用して進む迂回のための山道で、上空から降ってきたのが、目の前の赤い竜だったのだ。


 まともに戦える足場ではない……としても、勇者ギルと竜には実力差があった。

 それは本人も当然、外側から観察していたフラッグにもよく分かっていた。


「(手も足も、出なかった……っ、あのギルさんが……!? ――信じられねえ……っ!)」


 ダイス王国に現れた青い竜とは違う。以前の竜は凶暴ではあったが、所詮は魔獣だった――知能を持たない生物だ(少なくとも人格があるようには見えなかった)。


 ギルたち人間の知恵を使い、工夫をすれば戦えない相手ではなかったが……この赤い竜は、明確に違うのだ。


 人の言葉を喋っている――「知恵」があったのだ。人間が持つ大きな武器である知恵と工夫を活用でき、なおかつ、単純に「ただ獲物に噛みつく」わけではないことが、脅威となっている。


 周囲の瓦礫に紛れ、息を潜めるフラッグは、竜が去るのをこのまま待つしかないが……竜が去るということは勇者ギルの敗北を意味している。それを、黙って見ているのか……?


「……今のおれに、なにができるんだよ……っ!!」


 勇者の敗北を、国に知らせる役目が必要だ。

 だから、ここで飛び出し、フラッグまで竜の餌食になることは、誰も望まない結末である。


 ギルは伏せるように倒れたまま動けない。

 クインも同じく。竜の口から吐き出された炎で焦げた地面の上に倒れていて――「え?」

 彼女は、じっと――フラッグを見ていた。


「(な、なんだよ、なんなんだよその目はよォォッッ!!)」


 逃げるのか、立ち向かうのか、試されている気がした……。

 彼女の真っ直ぐな目は、勝負を諦めるフラッグを非難しているように見えるが……気持ちの問題でもある。


 当事者である彼女が逃げる仲間を責めるのは当然だ……だけど、もしも当事者でなければ、すぐにでも逃げろと思っただろう。だから責めるけど、否定はしない……そんな目だった。


「命令を、すればいい……『助けなさい、犬っ!』って、命令してくれれば、仕方がないからおれだって動けるのに!!」


 しかし、そんな甘えは許されない。

 自身の行動に、他人の命令だから、を理由することを、クインは認めない。

 立ち向かうのであれば自分の意志で。

 そうでなければ、どうせ今後、勇者の背中についていくことはできないのだから。


「――ち、くしょう……っ!!」


 腐っても、騎士団の騎士である。

 自然と握り締めていた剣を、さらに強く強く、握り締めた。


「くそォっっ!!」


 フラッグが飛び出した。物陰から出てきた羽虫のような敵を見つけた赤い竜が目を細める。……今更、勇者以下の敵が出てきたところでなんの脅威にもならない。


「焼き殺す……必要はないか」


「うぉおおおおおおおおおおっっ!!」


 炎は必要はない。長い爪で串刺しにしてしまえばいい……二足歩行の赤い竜が、腕を振り上げ長い爪を剣のように振り下ろす……すると。

 フラッグの剣が、その爪を受け止めていた。


「……っ? まぐれ、か……?」


 受け止めたフラッグが一番驚いていた。

 その様子を見ていれば、まぐれであると思っても仕方がないだろう。


 赤い竜が片方の手でフラッグを横へ突き飛ばす。爪で串刺しにすればいいものを……、とグリル本人も遅れて気づいたようだが……その前に、動きに違和感があったのだ。これまでとは明らかに違う……だが不調、というわけでもない。


 なぜなら勇者を相手にする場合は、普段と変わらずに動くことができるのだから。


「あがッ!?」


 フラッグが作った隙を狙って動いたギルだったが、当然ながら、気づいたグリルに弾かれてしまう。折れた剣の代わりとして握っていた短剣が地面を滑った。


 ギルとフラッグを相手にすることで、竜の動きに差があった。まるで、自動でスイッチが切り替わるように……。これはグリルの意思ではなさそうだ。問題なのは、竜の体の方だろう。


 竜に人間の人格を入れたことによる弊害だろうか?


「フラッグ……っ、無事か!?」

「まあ、なんとか、っすけど……。それにしても、頭の下のこの柔らかいのは一体……」


 ぐっと押し込んでみれば、ぽよん、と頭が跳ねた。


「犬。あとで殺してあげるから」


 飛ばされたフラッグの下敷きになっていたのはクインだ。彼女は重いダメージで動けなかった……、動けるならフラッグは彼女の柔らかさを堪能できてはいなかっただろう。今頃は、彼の方が死にかけていたはずだ。


「死にかけの人に言われて……まあでも、それが言える元気があるなら安心っすね」


 おかげで、頭部を打って戦線離脱が避けられたのだから……パーティとしては良かったのだ。


「……見ていましたけど、勇者様と犬で、竜の動きが違いますね……犬に油断するのも分かりますけど……だとしても差が縮まり過ぎです。拮抗するわけがないはずですから」


 油断した、という問題でもない気がする。

 ギルたちには分からない異変が、竜の体内で起こっているのかもしれない。


「理由はどうあれ、好都合ですね」

「チャンスは今しかない、か……――フラッグ!」

「はいっす!!」


 ギルに向け、代えの剣を渡そうとしたフラッグだが、ギルの制止の声に、寸前で止まった。


「それはお前が使え」

「え? で、でもギルさんの剣は――」


 折れている。

 なのに、ギルは「構わない」と頷いたのだ。


「お前が戦うんだ」


「無理っすよ!!」


「オレもいる。信じろ――今はお前だけが頼りなんだよ、フラッグっっ!!」


 向けられているのは勇者からの期待だ。

 それに応えられる自信はない、けど……悪い気はしなかった。


「あーもうっ、分かりましたよっ、じゃあ――ちゃんと指示を出してくださいよぉ!?!?」




「(どうしてだ……? どうしてこの剣士を相手にすると、力が出ないんだ……?)」


 正確には、まったく力が出ないわけではなかった。竜としての力は充分に発揮されている……だが、これまでの『付与された力』がまるごと消えたことで、体のバランスが崩れたのだ。


 いつも通りに力を振ろうとすれば、足腰に「より」力を入れなければいけないように。

 普段通りに攻撃をすると、軽過ぎるのだ。

 だからこそ、フラッグに限り、致命傷が当たらない。


 グリルは竜の性能に頼ることにした。炎を吐き出そうとしたが、想像よりも発射されるのが遅い。発射されても簡単に避けられてしまう速度にまで落ちている……、これでは吐き出すだけ無駄である。


「(なら、勇者を狙うつもりで二次災害を狙って……こっちの剣士を狙えば――)」


 だが、そんな企みも勇者は見抜いていた。彼は近づき過ぎなかった。完全に、フラッグのサポート役に回っている。これまでの勇者と荷物持ちの関係性がひっくり返っていた。


「戦いを不得手とする者を天敵とするのかもな、魔王軍は――」


 違う、そうではない。

 グリルの力が、本来のものに戻っただけで――。恩恵を受けていた期間が長いからこそ起きた、「失ったことによる差」で、まだ戸惑っているだけなのだ。この差に慣れてしまえば……、しかしその慣れにもまだ時間がかかる。この隙を見逃す勇者ではない。


 すると、グリルの視界の端でなにかが煌めいたが、正体は分からなかった。体に違和感もない……なにかを投げられていたのだとしても、狙いが外れたのだろうと意識しなかったが、それが失敗だった――。


「……弱点に、入りましたね……。犬、お膳立てはしておきましたから」


 満身創痍のクインが振り絞った力で投げたもの――それは極細剣だ。竜の脇の下に、切っ先が入り込んでいる……刺さっていることに気づけないのも無理はない。痛みを気づかせないほどの、細く薄い刃だからだ。


「あの大男との一件がありますからね……あなたのような堅い皮膚には警戒していたんです。でも、今のあなたなら、どうやらこの剣でも刃が入り込むようですね」


 振り上げた竜の爪がフラッグに――――いや、受け止めたのは、ギルだ。

 折れた剣で、一瞬でもいい、竜の動きを止めることができればそれで良かったのだ。


「――いけっ、フラッグ!!」

「ッッ!!」


 剣を捨て、戦場を駆ける。瓦礫を越えて竜の懐に潜り込み、堅い皮膚にしがみついて上がっていく。切っ先だけが皮膚に入り込んだ極細剣を見つけた。


 フラッグが、その剣の柄を握り締め――ぐっと、押し込んだ。

 手応えはなかった。

 ……すぅ、と。スムーズに入り込んだ刃が、切っ先が、竜の心臓を、いとも容易く射抜いた。



 決着は、静かだった。


 心臓を貫かれた竜は、膝を落とし、前のめりに倒れる。


 断末魔はなく。まるで安眠するかのような、極楽の表情にも見えた。

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