第3章

第12話 次のステップへ


「……師匠、やり過ぎですよ…………。あの子、お姫さまなんですよ?」


「例外は作らんよ。男だろうと女だろうと、子供だろうと老人だろうともな。魔王だろうと姫だろうと、やることは同じだ。差別はせん。まず最初に恐怖を与える……さすれば、修行の厳しさなど可愛いものと思うことだろう?」


「それは……そうかもしれないですけど……」


 魔王マルミミは経験済みである。もっと幼い頃に、だ。あの恐怖は今でも思い出しては震える一生もののトラウマになってしまったが……。だからこそ、師匠の言う通り、修行の内容でしんどいと思っても、逃げ出したいと思うことはなかった。


 わざわざ高所まで連れていかれ、落下するという急死に一生を得る経験をしてしまえば、厳しいだけの修行など大したことがない。

 比べてしまえば、というだけで修行自体が厳しいものなのは否定できないが。


「さて……そろそろ助けに向かうとするか。あの娘、自力で回避する術を持たないだろう?」

「でしょうね」



 雲の上の魔王城。

 その地下から放り投げられたとは言え、もはや多少の高低差など関係なかった。落下時間が長く感じる……タウナ姫は真下に広がる青い海が、近いのか遠いのか分からなくなっていた。


 全身の臓器が浮き上がる感覚。タウナ姫の体が回転から立ち直り、やっと、両手を広げて安定した……ものの、ここからどうする? 海に着水する以外に助かる方法はないけど……。


 着水するべきだけど、着水してもいいものか、と不安が残る。数百メートル上からの落下の勢いと衝撃を、着水程度で和らげてくれるのか。この高さからの着水は、クッションにはならないのではないか――。


「(ど、どどど、どうしよう!? どうすればいいどうしたらいいのマルミミ助けっっ!?!?)」



 次の瞬間だった。


 海が、割れた。



 そして中から飛び出してきたのは、巨大なナマズ……なのか?


 左右に波打つ長いヒゲが特徴的だった。肌のぬめりで全身が光り輝いているように見え……角度のせいか、全身が濃い青色に見えている。……これが「魔獣」。


 大災害以前には発見されていなかった危険生物以上の巨大な魔獣だ。恐らくは突然変異し、生まれた新種である。


 その生物が、大きな口を開けて上空から降ってきた餌を求めていた。

 タウナ姫の小さな体など、当然のように丸飲みできる――。



「師匠!」

「おっと、こりゃまずいか」


 言いながらも、まったく焦っていない師匠はあてにできない、と、マルミミが飛び降りようとしたが……その時、彼の視界が黒で染まった。

 横からマルミミを追い抜いたのは、屈強な肉体を持つ大男だ。


「俺がいこう」

「え、タイテイ!?」


 斧を背負った三メートルに届く黒髪の大男だ。彼は躊躇うことなく、飛び降りた――。


 斧も含め、彼の重たい体重のおかげか、落下の空気抵抗をものともせず、あっという間にタウナ姫の元まで辿り着いた大男、タイテイ。ぎゅっと目を瞑り、恐怖から目を逸らす彼女を通り過ぎ、タイテイが背中の斧に手を伸ばす。


「任せろ。真っ二つだ」


 振り上げた斧が、巨大な魔獣の額に突き刺さった。


 ――瞬間、亀裂が走る。


 魔獣の体が、亀裂から始まり、ぼろぼろと崩れていった。

 魔獣の黒目が揺れ、ぐるん、と回転するように、白目になる。押し負けた魔獣が、落下しながら真っ二つ切断された。縦に入った切り込みから、真っ二つになった体が左右に倒れる。海を、一瞬だが、青色から赤色に変えた――その赤色はすぐに青色に飲まれてしまっていたが。


 海に浮かぶ魔獣の死体に、まずはタイテイが着地する。その後、落下してくるタウナ姫を両手で受け止めた。お姫様抱っこ、と呼ぶには、体格差があるのでそうには見えなかった。


 雑な持ち方ではないものの、片手間で持っているように見える。実際、両手で抱えているように見えていても、タイテイは片手にしか力を入れていないのだろう。もしかしたら力を入れていないかもしれない。持つ、という感覚が、タイテイにはない可能性もある。


「怪我はないか」

「え……。はい……特に、どこも……」


「そうか。……よく鍛えているな。この高さから落下し、俺が受け止めても痛みを感じていないとはな……。指導者は、スージィか?」


 軽く、タウナが頷いた。


「そうか……さすが『最高の指導者』と呼ばれるだけある」


 厳しいのが、タウナからすれば気になるところだが、短期間でタウナの肉体改造をしたところを見ると指導者としては優秀なのだろう。


「――タイテイ! タウナ姫は!?」

「魔王様か。ああ、無事だ。俺が受け止めるまでもなかったかもしれないが」

「いや、さすがに受け止めてくれないと死ぬんだけど……」


 命の恩人についつい、軽くだが拳で小突いてツッコミを入れてしまう。こつん、と当てただけだが、当たったのは顎だった。一歩間違えれば脳を揺らしていたかもしれない……。

 だとしても、タイテイは気にしなさそうだ。


「そうか。なら、俺の選択は正解だったわけだな」


 まるで虫でも顔に止まったのか、とでも言うように、首を振るだけで小突かれたことなど気にしていない様子だった。それもそうか……、彼なら拳どころか刃も肌を通らなさそうだ。

 実際、弱点を狙ったクインの極細剣の切っ先は、彼の肌に入らなかった。それほど、タイテイは堅い肉体を持っている。


「こんな巨大な魔獣が真下にいたなんて……タイテイは知っていたのか?」


「底の方でなにかが動いていたのは分かっていたが……水面に出てくる様子はこれまでなかったからな……危険視はしていなかった。なにをきっかけに飛び出してきたのか、だかな……落ちてきたのが姫様だからなのか?」


 情報が足りないが、今ある情報で答えを探せばそうなる。


「え、私?」

「魔獣は姫様を狙っていただろう……魔獣にとって美味い匂いでも発していたのかもな」


 フェロモン、だろうか。異性ではなく魔獣を誘ってしまうところは厄介だ。


「まあでも、魔王城にいれば安全だよ。もし空にいる魔獣が襲ってきても、僕がいるし……タイテイも、師匠もいる。タウナ姫が食べられることはないから安心しなよ」


「そこは……うん、安心しかできないけど……」


 目の前でこの強さを見せられたら……不安要素はまったくない。

 だが、逆に言えば魔王軍の鉄壁具合をあらためて理解させられた、ということでもある。

 勇者ギルは、この壁を、壊せるのか……? そっちが心配だった。


「師匠が上で呼んでるね……戻ろうか」

「戻るって……どうやって?」


 雲の上だ。どうやって向かうと言うのか……梯子でも下ろしてくれるのだろうか?


「簡単だよ、こうやって――」

「姫様、しっかりと掴まっておくんだな。振り落とされても……その場合はきちんと回収するが」

「え?」


 タイテイとマルミミが屈んで、力を溜める――そして。


 タウナが察していた嫌な予感は、見事に当たるのだった。……ふたりは足のバネを使った爆発力で、真上へ跳んだ。一回の勢いで、一気に雲を突き抜け、魔王城まで。


「ひぁあっっ!?」


 タイテイにしがみつくタウナ姫。まるで大木を抱きしめているかのようだった。

 体感では一瞬だった。跳躍したタイテイが、魔王城の壁に突っ込んだ。撃ち出された砲弾の速度などあっさりと越えている。

 彼の体の形で魔王城の壁が凹んだが、本人に怪我はなかった……もちろん、抱えられていたタウナ姫も無傷だった。内面に与えたショックは分からないが……少なくとも外傷はない。

 魔王城から一部始終を傍観していた師匠、ガンプの元へ戻ってくることに成功した。


「ただいま戻りました、ガンプ師匠」

「ご苦労だった」


 三人の帰還を見届けた師匠が、真下の海を見下ろした。……真っ二つに裂けた魔獣が、ゆっくりと海に沈んでいく様子が確認できた。


「あんな魔獣まで生まれているとはな……。大災害、そして魔獣、か……某やタイテイで手綱が握れるかどうか……どう思うのだ、マルミミよ」

「え、なんか言ってたの、師匠」


 魔王マルミミは、膝を抱えて落ち込んでいるタウナ姫を慰めるので手一杯だった。


「こ、怖かった……落ちるよりも跳び上がる方が……怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い――」

「タウナ姫? 大丈夫だよ、もうしないから、大丈夫だから……」


 タウナ姫の背中を擦るマルミミだ。

 離れたところから見れば、二日酔いの介抱でもしているかのようだ。


「……これは――俺が悪いのか?」

「いや……タイテイは悪くないよ。君の選択は正しかった……だけどもう少し加減ができるとより良かったのかな……。微調整が苦手なことは分かってるから、責めたりはしないけど……」


「俺にそういうことを求めないでくれ、魔王様」


 見た目の通り、猪突猛進で、細かい作業は苦手なようだ。ただ、脆いものを壊さないように扱うことはできる。

 そうでなければ今頃、救出されたタウナ姫は壊されていたかもしれないのだから。


 ひとりの殻に閉じこもってしまい、現実逃避をするタウナ姫の後ろで、タイテイが腰を下ろした。ずんっ、と、魔王城が一段、ぐっと下がった気がしたが……もちろん錯覚だ。

 振動でタウナ姫が浮き上がり、お尻を地面に打つ。


「う、」という鈍い痛みと声が、彼女を現実に引き戻してくれた。


「師匠、俺は瞑想します」

「うむ、分かった」


 師匠の視線は、タイテイの弟弟子であるマルミミへ向いた。


「マルミミはどうする」

「僕は……彼女の――タウナ姫の修行に付き合うよ」

「構わんが……手助けはその子の修行にならんぞ」

「そこはまあ……がまんするよ」

「ではふたりとも……着替えてきなさい」


 着替え? と首を傾げたタウナ姫。

 一応、軽く羽織っている上を脱げば動ける服装ではあるけど……。


「それは忍ぶ格好ではないだろう。きちんとした正装があるのだ……マルミミ、ついていきなさい」

「じゃあ、タウナ姫、いこうか」


 朝からジムで運動をし、ついさっき腰が抜けるような恐怖の体験をしたばかりで……、内容は軽めにしてくれているとは言え、これから修行をするのは、ちょっとどころかかなりきついのだが……さすがに「今日はもう帰ります」と言えるような空気ではなかった。


 言えない内に、とんとん拍子に展開で進んでいっている。

 ここで着替えてしまえばもう引き返せないが、師匠もマルミミも、その気になってしまっている。嫌、と言えない仲ではないけれど……(特にマルミミ。師匠も、断って怒る人ではないだろう)タウナ自身も、興味があるのは本当だ。


 忍ぶ者。タイテイがおこなっている瞑想くらいなら、まあ……今の自分でもできるだろうと判断したのだ。


 差し出されたマルミミの手。それに手を乗せると、ぐっ、と引っ張られた……疲れているはずの足は、気づけば自然と前へ進んでいた。


「……まあいっか。やってみるだけやってみよっかなあ……」


 タウナ姫も、追い詰められた体をさらに痛めつけることが癖になっているのかもしれない。



「また、弟子を取るのか……師匠」

「マルミミ――魔王様の指示だ。ただ、弟子、ではないだろう……これはあの子の、自衛のための指導の気がするが……」

「本当に、そうなのだろうか」

「おぬしには見えているのか? あの姫の使い道が」


「いや、そういうわけではないが……。勇者を仕留めるための餌として攫ったにしては……手厚い扱いをしている気がして……。なにかを企んでいるのはなんとなく……、だが、中身まではさすがに分からない……な」

「それは魔王様にしか分からんことだろう。いずれ、某も、おぬしも、分かるはずだ。今は黙って従っていればいい。反逆は許されん。当然だがな――先代の魔王様から託されたたったひとりの跡継ぎだ。マルミミは、我々で守る必要がある――分かっているだろう?」


「……分かっているさ、師匠」

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