第8話 魔王城のフィットネスジム


 がちゃり、牢屋の扉が開いた。


「鎖で繋がなくてもいいの?」


「じゃらじゃら音がうるせーからいらねーよ。途中で逃げたところでなにができるでもないだろうし……それに、魔王城にはローサミィの糸が張り巡らされてる。たとえ屋根裏でも、通風孔の中に隠れていても、お前の存在はすぐに分かるからな。素直にジムだけを利用するんだな」


「はいはい」


 先導し、案内をしてくれる幼い少年。鎖はないけど私を野放しにするわけにもいかないようで――彼は自然と私の手を取っている。……きっと、彼は無意識なのだろうけど。


 男の子と、手を繋いでいる……まあ、相手はまだ幼いし、これが「そういう」意味になる、ってわけでもない。単純に鎖がないから自分の手を使っただけに過ぎなくて……でも、一度でも気になってしまうと、モヤモヤする。


「ねえ、グリル」

「なんだよ」


「手を繋ぐなら、女性の歩く速度に合わせるべきだと思うよ? 歩くのが速い。これだと私の足がもつれて転ぶかもしれないわ」


「………………悪い」


 すぐに歩く速度をゆっくりに調整してくれた。照れても手を離さないところは、鎖の役目という自覚があるからか。それとも……、手を離すことで、過剰に意識していると思われることを嫌ったのか。……どちらにせよ、手を繋いでいる現状を意識していることは確実だった。


「やっぱりまだ子供なんだね」

「……んだよ、今、バカにされた気がしたぞ」

「してないよ」


 彼の手汗が感じられた。不思議と、湿った手は不快ではなかった。


「あ。ねえグリル」

「今度はなんだ!」

「窓の外にいるあの赤い竜も――グリルなんでしょ?」


 魔王城の周りを飛んでいる赤い竜。以前、ローサミィとの雑談の中で話題に上がったことがある。竜の人格は、以前のグリルなのだそうだ。


 竜の体を手に入れたグリルの「昔」の人格と、これまで通りのグリル――当然、環境が変われば得られる経験も変わってくる。だからこそ、同じ人格だとしても違う成長の仕方をする。元は同じ人格でも、既にふたりのグリルが誕生しているとも言えた。


 正確にはひとりと一頭だろうけど。


「ああ……そうらしいな。実感はねえけど。あのジジイ……『グース博士』がオレの人格を勝手に使って作った竜なんだよ……竜というか、人格を入れただけなんだけどな――詳しくは知らねえ」


 私の手を引くグリルは、人伝に聞いただけらしい。


「あの竜が調教されている様子を見ると、複雑な気分だけどな……」

「グース博士……なんだかイメージできないんだよね。おじいさん? ってわけでもないんでしょ? 女性って意見も出てる。複数人いる?」


「さあな? 性転換してるって噂もあるが……あのジジイならあり得る話だ。ジジイじゃなくて、元々はババアなのかもしれないし……年寄りですらないかも。子供とか……。もしかしたら科学力を独占した国で開発された、コンピューターで作り出した人格かもしれねえ――真相はまだ分からないな」


 世界中のはぐれ者たちが集まる魔王城である。どんな人間が集まっていても不思議ではない。……人間以外だって、いるかもしれないだろう。三メートル近い大男もいるし……、あれを普通の人間と呼ぶのは少し違う気がするのだから……。


「世界って、広いのね」


 一国の姫というだけでは、まだまだ知らないことばかりだ。積極的に外交に手を出さないと、他地方の情報など手に入れられない。隣接する地方ならまだしも……複数の地方を跨いだ遠い地方の情報などはさらに詳しく調べないと分からないことばかりだし……。実際に現地にいってみないと情報の真偽だってあやふやだ。


 国から出るどころか部屋から出ることも珍しい私にとっては、夢のまた夢のような世界である。


「おい、箱入り姫。目的地についたぞ」

「箱入りでもないけど……」


 人形扱いはされている。着せ替えされて、遊ばれて……なので箱からは出ているのだ。

 確かに、箱から出ても部屋の外には出られていないけど。


「ほらよ。ジムには届けた。後は専門家に聞くんだな」

「え? グリルはこないの?」

「苦手なんだよ、ここ……女ばっかりだし」


 とん、と背中を押される。

 同時、開いた扉の奥に、私はたたらを踏みながら入ってしまった。


「え、」

「存分に可愛がってもらえよ……じゃあな――」


 扉が閉まり、グリルとはここでお別れだ……いいけどさ。でも、知らない場所にひとりで放り出される(放り込まれる?)のは、不安の方が勝る。グリルでもいいから隣にいてほしかった……。


 仕方ないので、前を見る。

 ジムの中は、若い女性ばかりだった……というか女性だけ……?


 みんな、国から追放された、はぐれ者たち……のはずだけど。どこにでもいそうな、普通に優しそうな人たちばかりだった。追放されるような人には見えないけど…………冤罪をかけられた人が多いのかもしれない。もしくは――、人は見た目によらない、のだろう。


 女性が好む綺麗な内装。楽しくお喋りをしているジムを利用している人たちは、各々で雑談に花を咲かせている……、入ってきた私には誰も注目しない。それが心地良かったのは、姫として人前に立てば必ず見られるストレスが、今はないからだった。


 思い出すのは私のメイクをしてくれた侍女たちだ……きゃっきゃと、楽しくはしゃいでいる姿――今頃、みんなはどうしているだろうか――って、ここで感傷に浸っていたら邪魔になる。とりあえず受付までいこう。


 利用している年齢層は幅広い。なので気を遣う空間でもあるのよね……、私は姫としてこの魔王城にいるけど、たぶんその肩書きは意味がないだろうし……今の私は客人であるけど若い女性でもある。そして初めての利用者だから――、このジムのルールは守らないと。


 マナーを意識して、他の人の邪魔にならないように利用する――。


「受付……どこ?」


 普通は入口付近にあるはずだけど……ない。お店ではなくて、魔王城にいる人たちのための施設だから――お金を取る必要がなければ受付なんて存在しないのだろうか……。となると、困ったな……どこに相談を……誰に声をかけたら……。


 右往左往しながら困っていると、戸惑う私に気づいた女性が近づいてきた。

 歳は二十代半ばくらい? 金髪で青い瞳をした、健康的な体の女性だった。


「――いらっしゃい、お姫さま!」


 褐色の腹筋が割れている……玉のような汗を流しながら、嬉しそうな笑顔だった。……私を待っていた……? でも、予約はしていないはずだけど……。


「あの、その、えっと――」


 根っからの明るい性格というのがすぐに分かった。思い知らされた。根っから暗い私にとってその光は毒でしかなかった……帰りたい……。お姉さんを直視できなくて横へ目を逸らせば――え?


 部屋の隅の方でランニングマシンを利用している、知った顔が目に入る……。

 いつもの服装ではないから分かりにくいけど、あの銀髪は…………魔王、マルミミ――。


「……魔王さま……?」

「ん? 君もきたのか、タウナ姫」


 私に気づいたから、動く床を止める魔王さま。……いや、走ったままでも――と遠慮しようと思ったけど、走りながら会話をしてしんどいのは魔王の方だよね。私が止めるのも変な話だ。


「ふう」と、大量の汗を流した魔王は、タオルで顔を拭う。今の彼は薄着だった。激しい運動をするのに適したタンクトップで……やはり中性的に見えてもしっかりと男の子だった。ちらりと見えた腹筋も割れていて……腕の筋肉も、それなりに膨らんでいる。


 見惚れてしまう肉体美だった。


「…………」

「さすがに運動不足になった? それもそうだよね……だってもう二週間だし……」


 勇者さまが遅いわけじゃない。……道のりが過酷なだけだから……。

 勇者さまは、悪くない。


「汗を流すなら彼女に頼るといいよ。僕もお世話になってる先生だから。……運動不足の解消? それともダイエット? 鍛えたいなら無理のないメニューを教えてくれると思うよ。それとも強くなりたいってことなら、ここよりももっと適した場所があるから紹介するけど……」


 そこまでは……。私も鍛錬ではなくて運動不足の解消が目的だ。ここはあくまでも体を「作る」施設だ。戦闘の「技術」や「立ち振る舞い」を学べるところではない。


「運動不足を解消したいだけだから……お手柔らかにお願いします……」


「ハァーイ! アタシに任せてくれればアナタのお体を万全にしてあげますですよーっ!」


 金髪のお姉さんにぺたぺたぺた、と体を触られる。ゾクゾクゾクッッ!? と寒気に襲われるが、必要なことだった……、お姉さんはその後で「ふむ」と考え込んで……。


「身長にしては、体重がありますですね」

「あの、そういうの、言わないでいいですから……っ」


 まだ傍にマルミミがいるんですけど!!

 彼は気にせず聞いているけど……デリカシーがない人だ。

 魔王だから、気づかないのだろうか。


「では、先にダイエットメニューから始めてしまいましょー! 同時並行で運動不足を解消、そして健康的な体作りのメニューをこなして――アナタのお体を芸術的に作り変えて差し上げますでーすっ!!」


 芸術的な体? いや、そこまでは……。

 望んでいなかったけど、お姉さんの熱量に断れなくなった。


 助けを求めるように魔王を見れば、「がんばってね」と他人事の意見だ……。

 気づいてくれないことに恨みの念を向けていると……、察したわけではないだろう、彼が近づいてくる。もしかして睨んでいたことに怒ったのかな……。魔王城で過ごした二週間。ちょっと距離が縮まったくらいで大胆な行動だったかもしれないと後悔していると、耳元に近づいてきた魔王が、ぼそっと囁いた。


「どうせ暇なんだからいい機会だと思うよ? 勇者が助けにきてくれた時、君が綺麗になっていたら――勇者だって喜ぶはずだよ」


「……それ、助けにくるまでまだまだ時間がかかることを前提で言ってるよね……? どころか、勇者さまが魔王城に辿り着けないように、魔王さまたちは邪魔をしているわけでしょう?」


「まあね。でも、いずれはやってくるはずだよ。だって勇者なんだから」


 どんな障害も乗り越え、この城に辿り着くと信じているような言葉だった……なんで魔王が?

 勇者の力を、魔王は認めているってこと……?


「(いや、タイミングを見て邪魔をやめるつもりなのかも……)」


 邪魔をして遅れているなら邪魔をしなければいい……勇者の行動は、魔王側である程度なら操ることができる。魔王軍が手を抜けば、勇者はもちろん、目の前の障害を突破できるのだから。

 でも……それはまるで、勇者は魔王の手のひらの上で転がされているかのようだった。


「退屈を紛らわせるために健康的な体を作る……いいことだと思うよ。救われる君が病で倒れたら勇者のがんばりも無駄になってしまう。救われる側だって、最低限は健康的でいてもらわないとね。数日前に風邪の予防接種を受けたでしょ? そういうことだよ」


 そういうことなのかな。


「……そう言えば、健康診断の時に打ったっけ……覚えてないけど」

「…………注射、怖くないんだね」

「当たり前でしょ」


 もう子供じゃないのだから――と言えるほど大人でもないけど。

 それでも、注射を怖がる年齢はもう終わっている。


「へえ……」と、目を逸らした魔王。……あれ? 魔王は、もしかして……。

「ねえ、マルミミはもしかして、注射が怖、」

「スージィ先生、タウナ姫のことをよろしくお願いするよ」

「はいです魔王様! それじゃあタウナ、早速ストレッチから始めましょー!」


 背中を押され、前に出る私と入れ替わりでジムを出ていく魔王……、彼の背中が、初めて出会った時よりもかなり小さくなっていた。……魔王の弱点をひとつ発見できた。


 今日は逃げられたけど、次に会ったらいじってやろうと決め、私はスージィ先生に言われた通りに動きやすい格好に着替えることにした。

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