第7話 お姫さまは退屈中


 …………。

 ……今なら、牢屋から脱出することができる、けど――。


「でも、逃げて、どうするの?」


 魔王が言うには、今、勇者さまが救出に向かってくれているらしい。だったら、ここから下手に動かず、待っていた方がいいのだろう。

 仮に抜け出すことに成功したとしても、入れ違いになったらめんどうだし……。それに、抜け出した後は? ドール王国まで、どれだけ距離があるのか……地図上でしか分からないけど、数時間で帰れる距離じゃない。

 私ひとりではとてもじゃないけど帰れない。


「なにもしない方がいいかな」


 開いてしまった扉を閉めると、小さく拍手が聞こえてきた。

 物陰から顔を出したのは、先ほどの少女だ。


「良かったね、お姫さま。もし逃げていたらまた首を吊ってたよ」

「…………」


 反射的に首に触れる。……あったかもしれない未来に、ゾッとした。


「殺すことはしないけど、殺せなくとも痛みを与える方法はいくらでもあるの。あんまり反抗的だと心を壊しちゃいたくなるから、気を付けてね」


 閉まった扉に鍵をかけ、今度こそ、彼女が立ち去ろうとする――「あの!」

 と、私は声をかけていた。思わず、だったから、用事なんてなかったのだけど……そう言えばまだ聞いていなかったことがあった、と思い出した――名前だ。


「あなたのお名前は?」

「ローサミィ」


 女の子が笑った。でも、その笑みはやっぱり――魔王軍らしく、不敵だった。


「これからよろしくね、お姫さま」


 そして、ローサミィは今度こそ去っていった――。



 私は、彼女の気配が消えた後で、ゆっくりとベッドまで後退する。そのまま、背中から倒れた。ふかふかのベッドが、今は落ち着いた……ふぅ、と溜まっていた深い溜息が出る。……殺人経験者に目をつけられてしまった……そんなことを言い出したらここはその巣窟なのだけど。


 敵陣のど真ん中で安心できるほど、私は強心臓ではないのだ。


「……早く、助けにきてよ…………勇者さま……っ!!」




 姫さまが攫われてから二週間が経った――

 しかし、未だに勇者は、魔王城に辿り着いていない。




「………………退屈ぅ……」


 攫われてから二週間が経っていた……ただじっと待ち続けたわけではないけど、さすがにがまんも限界に近かった。ベッドの上でごろごろしたり、お願いして持ってきてもらった本を読んだりして退屈を紛らわせていたけど……さすがに、もう手の打ちようがなかった。


 まさか退屈が痛みの拷問よりもきつく感じるなんて……(されたことないけど)。


 今頃、勇者さまは私を助けるために過酷で長い道のりを歩んできてくれている――とは分かってはいても、祈り続けるのも長続きはしない。勇者さまの行動には感謝するべきなのに、こうして焦らされれば焦らされるほど、「遅い」なんて失礼な感想が出てきてしまう。これ以上のがまんが続けば、助けに向かってくれている彼を嫌いになりそうだった……。


 それだけは避けないと……勇者さまに悪いし……。

 だから私も動くべきだった。牢屋に設置されている呼び鈴を鳴らす。スピーカー付きのインターホンで、私の面倒を見てくれている「彼」と連絡を取ることができるのだ。


『ブッ……――――……今度はなんだよ、また違う本を持っていけばいいのか?』


「うーん……それでもいいけど。ちょっとお願いしたことがあるの。説明したいから直接こっちまできてくれる?」


 はぁ? と、インターホンの先から苛立った声が聞こえてきた。それには取り合わない。ここで説明してもどうせ分からないだろうし……。目を見て話した方が伝わりやすいのだから。


 ここ二週間、ローサミィと交代で私の面倒を見てくれていたローサミィの双子の兄だ。彼とはよく話す……魔王城の中ではかなり打ち解けている相手だと思うけど……。向こうはどう思ってくれているのだろう。厄介ごとを押し付けられた、とでも思っているのだろうか。


 この際、どう思ってくれていても構わない。困った時に頼ることができる相手がひとりでもいるというのはかなり楽だ。彼だけには、遠慮もなくなんでも注文できてしまう。

 それだけ、彼は文句を言いながらも、こっちに寄り添ってくれる性格だからだ。


『そっちに? ……面倒くさいんだけど……』


「いいからきてよ。私は魔王さまが招待した、VIP客だけど? 丁重に扱えと言われなかった?」


『……はいはい、分かったよ』


 渋々、と言った様子だが、一分もしない内に彼が駆けつけてくれた。

 やっぱり、なんだかんだ言いながらも彼は私のことが好きでしょ?


「んだよ……いちいち呼び出しやがってさあ」


 整髪料で逆立てた紫色の髪が特徴的だ。やっぱりローサミィの兄と言える髪色である。その目つきの悪さは、妹のローサミィも……? 遺伝しているだろう。だからこそ、彼女は前髪で目を隠しているのだろうと予想できる。確認したことはないけど……きっとそうだろう。


「毎日ごろごろしているだけで体が鈍ってきちゃった。フィットネスジムとか魔王城の中にあったりしないの?」

「ねえよ…………え、会って話さないといけないことってこれか?」

「うん。フィットネスジムって分かる?」

「分かるわ!! オレは中央都市からきたんだぞ!?」


 それは初耳だから知らないけど……ってことはローサミィもそうなんだね。

 故郷が「どこ」なのかまでは聞いていなかった気がする。


「ジムがないなら訓練場でもいいんだけど」

「ねえって」


 否定するばかりだな、こいつ……。面倒なのが透けて見える。あると答えれば私は「利用したい」と言うだろうし、そうなればその許可が必要で――その手続きが面倒なのだろう。仕事を増やすな、と言いたいのだろうけど、そっちの都合に構ってはいられない。


 そっか、と諦める私でないことは分かっているはずでしょう?


「魔王さまに確認してもいい?」


「チッ」、という舌打ちが聞こえた。……苛立ちを隠さなくなってきたなあ……彼も私に遠慮することなく、打ち解けている証拠だと思えば、可愛いやつね。


「あるならちょっと体を動かしたいの。いいでしょ? 別に逃げようってわけじゃないし……企んでもいないよ。体感なんだけど、ちょっと太ってきた気もするし……ダイエットのつもりでね――だからここから出して」

「太った……え、少し……?」


 おい。眉間にしわを寄せて首を傾げる失礼な少年だった。年下だからついつい手が出そうになるけど、鉄格子の向こう側にいるから届かない。格子の隙間から突くことはできるけど、当たれば痛いだろうからそれはしないであげる。鉄格子に感謝しなさいよ。


「とにかく! 体を動かしたいだけなの。こっちは育ち盛りの十代よ? お姫さまの誰もが優雅に椅子に座っているだけだと思わないことね。庭を駆け回るお姫さまだっているのよ」


 それで言うと、私はインドアなタイプだけど……それでも部屋にこもるにしても限界があるのだ。さすがにインドアでも、二週間もずっと屋根の下にいる、というのはしんどい。


 体を動かせないなら、せめて太陽の光を浴びて……外の自然をこの目で見たかった。フィットネスジムという贅沢が許されないなら、鎖で繋がっていてもいいから、城の庭に出たかった。


「ほんとに、もうそろそろやばいんだって……っっ」


 膝を崩して倒れる私を見て、彼も冗談ではないと悟ってくれたようだ。「……まあ、そりゃそうなるのも分かるけどさ……」と、同情はしてくれているようだ。私の必死さに多少は引きながらも「分かったから顔を上げろ」と、彼に似合わず分かりやすい優しい言葉だ。

 やっと前向きになってくれたらしい。


「ジムで体を動かすくらいなら……大丈夫だろ。出ろ、案内してやる」

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