第6話 魔王城の若き魔王


 目が覚めた時に見えたのは、自室と間違えるほどの見慣れた天井だった。天蓋付きの桃色のベッド。サイズは変わっても小さい頃から変わらないデザインのそれは、口では言ってくれないお父さまの愛情が感じられた……。


 もしかして今まで見ていた侵略行為は夢だったのか……なんて期待をしたけどそんなわけがなかった。ここは自室ではない……だって狭いし……。

 馬小屋かと思った。


 周囲には白い壁紙、手が届かない位置にある日の光が入ってくる小窓。四隅に電球があるので日の光がなくとも部屋は明るいけど……、中でも特に気になるのは、隅にある白いカーテンだ。薄っすらと中が見えるのでなにがあるのかは予想できた……言いたくないけど、あれってやっぱり……「便器……」


 そして、今まで避けていたこの部屋の最大の特徴に目を向けなければいけない。さすがに無視はできないよね……だってこの部屋には扉がない。あるのは鉄格子だ。

「ふう……」と一旦落ち着いてから、事態を飲み込もう……そう、ここは――「牢屋だよね」


 私は魔王軍に攫われたのだ。つまりここは魔王城……? 小窓から日の光が入っているなら地下ではなさそうだ。

 だとしても脱出は容易ではないけど。今はいつだろう……分からなかった。眠っていたけど、二日三日も眠った感じはしないから、長くても翌日だと思うけど……。


 牢屋にしては綺麗だった。綺麗にしてくれたのだろう。私に合わせてそれっぽい内装を作ってくれたのなら、気を遣ってくれているようだ。攫ったやり方は乱暴だけど、持ち帰ってしまえばあとは丁重に扱ってくれるらしい……それでも心を許すつもりはない。


「あれ!? ウィッグがない!? ……外れてる……、服もドレスじゃないし……」


 だから倦怠感がなかったのか、と納得だ。この部屋に運び込まれた段階で着替えさせてくれたのかもしれない……その時に驚かせてしまっただろう。

 メイクで仕上がった美少女だが、実は纏っていた飾りを全て剥いでしまえば、出てくるのは平々凡々な女の子だったと――。


 なんだか、夢を壊してしまったようで申し訳ないけど、これが素の私なのだから仕方ない。素体の人形――ドール王国のお姫さまは、その名の通りに人形なのだ。


「(……人形の中でも、特にお母さまの操り人形、だけどね)」



「おっと、目が覚めたみたいだね……おはよう、タウナ姫」


 鉄格子の向こう側。そこにいたのは長い銀髪の…………男の子……だよね?

 私もよく中性的だと言われるけど(素の私の方だ。着飾った私の方は誰がどう見ても女の子――というか、中性的な素の私を隠すためのデザインでもある)、目の前の彼……もしくは彼女も、充分に中性的だ。


「今説明するよ」

 と、鍵を開けて牢屋の中に入ってくる。「……なんだか狼みたい」なんて考えていたせいで、せっかく扉が開いたのに、脱出するチャンスを逃してしまった。……まあ、仮に抜け出せたところで別の人に捕まる未来しか見えなかったけど……。


 白い修道服(かなり着崩しているけど……怒られるんじゃない?)を纏っていた。

 彼(彼女?)が、私の横に腰を下ろす――女性のベッドの上にすぐ座るなんて、この人は手慣れてる!?


 自衛しないと……っ、と思って身構えていると、「違うからね?」と否定された。

 否定されるのも違うんだけど……。


「僕は『魔王』マルミミ――急に攫ってごめんね、君には少し……少し? まあ勇者の出方にもよるんだけど……ちょっと、ここにいてほしいなって思って。注文は受け付けるよ。なんでも言ってほしい……僕と僕の配下たちでなんとかするから」


「魔王…………え、魔王!?」

「うん、僕が今の魔王マルミミさ。確かに世間に顔出しはしていないから……予想外だった?」


 そりゃ、もちろん――だってアカッパナー地方を支配しようとして、国ごと雲の上まで浮いて鎮座し、一年前に地方全域を巻き込んだ大災害を引き起こした元凶が……この人?

 優しい笑顔の裏で、なに考えてるの……?


「実は僕が魔王になったのは二週間ほど前なんだよ。父上――先代の魔王が病気で倒れてしまってね……だから僕は、この魔王城を引き継いだ形になる。……ってことなんだけど、まだちょっと父上の訃報から立ち直れていなくてね。魔王らしくはないんだと思う……」


 ――威厳もまったくないしね、と笑って言うマルミミは、たぶん気にしているのだと思う。


「君を攫ってほしい、という命令はきちんと遂行してくれたみたいだけど……僕の発言力も、いつまで効果が続くのか分からないからね……」

「それは……部下に裏切られるかもしれないってこと?」

「かもしれない。僕が、みんなの期待を裏切れば、可能性は充分にあるよね」


 最悪の結果を想像したのかもしれない……私に気づかれない程度に体を震わせたみたいだけど、分かるよ……不安まで伝わってくるもの。それを振り払うように立ち上がるマルミミ。


「とにかく、君は攫われたけど、危害を加えるつもりはないから。僕には僕の考えがあるからね……君はここを抜け出そうとは考えないで、この場でのんびり過ごしてくれればいい。さっきも言ったけど、要望があればなんとかするから。気楽に、勇者の助けを待っていてよ」


 勇者の助けを待つ攫われたお姫さま――まさか本当に、こんな状況に遭うなんて。

 絵本の中でしか見なかったシチュエーションだ。


「ねえ、魔王さま」――どうかした? みたいに首を傾げたマルミミだった……中性的な顔立ちだから可愛いなあもう!「……魔王さまは、驚かないんだね。私が、こんなに普通の容姿をしていても……」


 よく目立つ橙色のウィッグはなくなり、服も高価なドレスではない。今の私は黒髪ショートで、黒いレースの服を羽織っているだけだった。服だけはちょっとえっちな感じだけど……まあ、私の体でいやらしい気持ちにはならないよね……そういう需要はないって分かっている。


「町娘よりも目立たないでしょ?」

「僕は……そっちの君も素敵だと思うけど」

「嘘つけ」


 思わず口をついて出てしまった強い言葉だった。

 お姫さまらしくないけど……正体がばれてしまっている今、取り繕っても今更だった。


 着飾った私よりも今の私が良いとは思えない。だって、飾った私はプロが多数に好かれるように作り上げた作品だ。数人のプロの技術によるものだ……それが結果を出さないとなれば、プロの技術が霞んでしまう。否定されているようなものだった。

 それだけは許しちゃいけないことだ。


「いや、君の『方が』素敵とは言っていないよ? そっちの君『も』、素敵だねって。飾った君も素敵だけど、飾らない君も充分に魅力的だと思う。他のみんながそう思うかは分からないけど」

「…………」


 まあ、悪くはない答えかな。


「……ねえ、魔王さま」

「なにかな」


 今度こそ注文かな? と構えたマルミミだった。

 ……うん、じゃあ遠慮なく注文しちゃおうか。


「お腹空いた。ホットケーキ持ってきて」

「少し待ってて。すぐに持ってこさせるから」




 ホットケーキを持ってきてくれたのは小さな女の子だった。紫色の髪をしていて、少し長い前髪で瞳を隠している。……女の子だ、と思ったけど、この子、私の首を吊った子だよね……?


「はい。持ってきたよ、お姫さま」

「……ありがと」


 ベッド近くのテーブルまで持ってきてくれて、ホットケーキを乗せたお皿を置く。二皿分あるけど、単純に私のおかわり分、ではないのだろうなあ――。

 私はベッドから移動してテーブル横の椅子に座った。新しい椅子を近づけて、女の子も座る――で、フォークをホットケーキに突き刺した。


「え、ここで食べるの?」

「別にいいでしょ。嫌なの?」

「いいけど……」

「じゃあ食べようよ」


 いただきます、と挨拶をし、その後は黙々と食べる。……会話がなかった。なにか話題を探すけど、食べていることに夢中の女の子の邪魔をするべきではないかな、という理由を付けて、喋らないことにした。だって私、積極的に人と喋る方じゃないし……。


 飾られたり表舞台に立たされれば喋るけど、そうでなければ根っこの部分はまだ暗いままなのだ。なので侍女がフォローしてくれなければ、素の私はこんなものだ。

 微妙な空気が流れる。


 やっぱり年上の私がなんとかするべき? ……とは思うけど、女の子は私に期待しているわけではなさそうだった。というか、どうしてこの子はここにいるの? 用事でもあった? 待ってみるけど、一向に話し出さないのは、どういうつもりなんだろう……?

 用事なんてなかった?


「それ」彼女はフォークで私のお皿を指した……「美味しくなかった?」


「え? そんなことないけど」

「だって、手、止まってるもん」


 彼女のことを見ていてばっかりで、手が止まっていたらしい。

 思い出してからは、私の食べるペースも早くなっていく。


「気になるの?」

「なにが?」

「魔王軍にこんな子供がいるなんてー、とか」

「いや、べつ、」


 別に、と否定しそうになって、寸前で考え直す。ここはフーセン魔国の情報を探るチャンスだと思った。聞くだけならタダだし……でも正直、上手く会話が続けられるか自信はないけど、途切れたらそれはそれで構わないって気持ちだった。


「……どの国にも受け入れられなかった『はぐれ者』たちが集まってる、とは聞いたことがあるけど……」

「そうだよ。大犯罪者とか、そうでない人とか、色々と――国外へ追放された人たちの受け皿がここ、魔王軍なんだよね」


 大犯罪者とか、そうではない人とか……「そうでない人」は、じゃあ普通の人なんじゃないの?


「冤罪とかも多いよ」……と、少女が補足してくれた。「冤罪でも、疑われた時点で社会的には殺されたようなものだからね。もうその国にはいられないの。だから、流れて魔王軍にやってきた人とか多いよ」


 なんにも悪いことなんてしていないのに……。でも、疑われるということは、きっかけがあったのだろう……。たまたま隣にいたから、というだけで疑われる人もいるだろうけど、同じくらい、犯罪に走りそうな前兆があった人も疑われていたのではないか。


「それでも、なにもしていなければかわいそうだよ」


 疑うのは自由だけど、行動を起こしてしまえば、それはナイフで斬りつけているのと同じなのではないか。結果、無罪だったとしても、既にナイフの刃は相手を傷つけてしまっている。


「じゃあ、あなたも冤罪で……?」

「ううん。親を殺したの」


「…………」


「殺されそうになったから。まあ、仕方ないけど、悪いことなのは変わりないからね……国での扱いが悪くなるのは当然だし、生きづらくなりそうだったから――逃げてきたの。そのあとで、国の外で魔王さまと出会って……この国にきたんだ」


「……そっか」

「後悔はないよ。だって殺さなかったらこっちが殺されてたわけだし」


 そう言われてしまえば……殺したことを強く怒ることもできなかった。

 他にも助かる方法はあったはず、と言うのは簡単だけど、まだ幼い女の子に当時のその状況で別の方法を探して回避するべきだった、なんて言うのは酷い仕打ちだ。


 仕方のないことだった……それでも、殺したのは罪だ。当然の罰はあるわけで――結果、逃げた彼女はこうして魔王軍に拾われ、支配者の駒として働いている。

 こんな風に、魔王軍は多くの人材を確保しているのだろう。


 多くの国が邪魔だと追放した者たちが、ひとつにまとまり、敵となっている……それが今の現状だった。


「自業自得、なのかなあ……」


 国民がみんな仲良しなら、こんなことにはならなかった……。

 まあ、不可能な話だけど。


「――ごちそうさまでしたっ!」


 両手を、ぱんっ、と合わせて、彼女が頭を下げた。

 そのあと、じー、っと、(瞳は髪で隠れて見えないけど)私を見つめてくる……?


「早く食べてよお姫さま。お皿、下げられないじゃん」

「あ、ごめん」


 残り一枚のホットケーキを食べる。すぐさま空いた皿を重ねて、彼女が牢屋の外へ出た。


「じゃ、ゆっくりしていってね、お姫さま」


 おやつを持ってきてくれたついでの雑談だったらしい……。

 そう言えば彼女も、今の私の姿にはなにも言わなかったな……。


 飾った姿だった、って気づいていたのかもしれない。いや、興味がないだけかもしれないけど。


「……あれ? 鍵、開いたまま……?」


 試しに牢屋の扉を押してみると……きぃ、と、扉が開いた。

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