第4話 急襲【2】
大きな手に飲み込まれる。動けない私は、その手を払うこともできなくて――
「(クイン、私は…………っ)」
助けを求めても、いつも傍にいてくれる侍女はいなくて……――こういう時、自分の無力さがよく分かる。王族は結局、自分の危機には、なにもできない……。
自分の身を自分で守ることさえ、できなくて。
……人に支えられているだけの存在なのだ。
私は、操り人形で、その上――担がれている。
自分の足は、もう動かなくなっていた。
「――――――っっ!!」
生まれて初めて叫んだ。
心の底から悲鳴を、その大男は、蔑んだ目で見ていた。
私は、もうこれで――――え?
「……む?」
伸びた手。その太い指に、切れ目が入った。
斬れたのだ、指が。落ちこそしなかったけど、深い傷が初めて大男に出血させる。溢れ出てきた血が赤いことに、私は少しだけ安心した。
当然、大男にとっては痛みなんてないようなものだろう。けど、痛いかどうかじゃないんだ。彼は自分に傷をつけた相手を探し、見つけて……睨みつけた。
その対象が自分だったらと思うと――ゾッとする。
それだけ、大男の威圧は、体が固まるどころか心臓まで止まりそうな迫力があった。
「…………なるほど、貴様は、強いな」
「てめぇは……この国の姫さまに、なにをしてんだよぉッッ!!」
両手剣を片手で持つ腕力があった。彼はドール王国で最強と呼ばれる、勇者の称号を持つ騎士――ギルだ。彼が駆けつけてくれた。彼が――、守ってくれる!
敵を、討ち取ってくれる!!
「これ以上の侵攻は許さねえ」
彼は大男の膝を足場にして、肩へ移る。そして大男の背後へ。その後、落下の勢いを利用し、両手剣を両手で持ち直して振り下ろす。だが、ガッッ! と斧の刃で受け止められてしまっていた。
「あっ」
「仮に皮膚だったとしても今度こそ傷つかん。……加護を突破したとしても、俺本来の力の入れ具合で筋肉を固めることができるのだからな」
「なら、試してみるか?」
両手剣を持ちながら、ギルが速度を上げる。目で追えるけど、体が対処に追いつくわけではなかった。足を重点的に狙われて、膝を崩した大男はこれまでの優位に働く高さを失った……、斬り落としやすい位置に、大男の首がある。ギルが両手剣をさらに強く握り締めた。
「その首落として、こっちの士気を上げてやるさ――!!」
「いいの? お姫さま、このまま死んじゃうけど」
勇者さまが振り向いた。だけどその時には既に私は…………糸で、首を絞められていた。そのまま吊るし上げられて身動きが取れなくなっていた……っ。
足手まといにはなりたくなかったのに……勇者さまを、困らせてしまっている……!
こんなつもりじゃ、なかったのに――
「姫さま!?」
「えへへ、手を貸したげる。だから魔王さまから褒められるのはアタシだけだね!」
彼女、は……紫色の前髪で、瞳を隠したまだ幼い少女だった。そんな彼女に、私を吊るし上げるほどの力があるとは思えなかったけど……天井を使えば、難しくはない、のか……。
私の首を絞めている糸と同じものが、この部屋に張られているとすれば。
ここは既に、彼女の巣のようなものなのかもしれない。
少女が見ているのはギルではなく……その後ろ、大男の方だった。
「不要な手助けだが……まあいい、手柄は譲ってやろう」
薙いだ斧が、油断した勇者さまの横腹を捉えた。
「しまっ……!?」
そのまま横へ飛ばされた。勇者さまは壁を破壊し、城の外へ――。
「ひめ、さま……っっ」
その声だけが、最後に聞こえた……。
7
落下していくギルと両手剣。
彼は手を伸ばすも、舞台に復帰することは叶わなかった。
「咄嗟に剣で防ぎ、直撃を免れたか……だが、衝撃は殺せなかったようだな――若い騎士よ」
「? 対面して、昔の血が騒いだの?」
「詮索はしない約束だろう」
「いや、だってもうばれてることだし」
それでも大男は隠したいらしい。
ばれていることでも、自分から嬉々として話すことではないのだ。国から追放されたはぐれ者たちには、それぞれ事情があるのだから。
「任務は」
「分かってるって……ほら、お姫さま……あ、気絶しちゃってる。強く絞め過ぎちゃったかな……まあいっか、うるさくないなら好都合だし。身動き取れないように縛って……よし。あとは魔王城まで連れ帰るだけだね。これで任務完了だよ」
「連れ帰るまでが任務だ」
油断したところで奇襲に遭い、奪われる可能性もある。倒したはずの相手が這い上がって邪魔してくる可能性は、ないわけではない……高い方だろう。
「さっきの奴よりも強い騎士がいれば、人攫いも難しいかもしれんがな……」
「大丈夫だと思うけど。だってタイテイさんが倒した騎士って、この国では勇者って呼ばれてるみたいだし……国で一番強い騎士に与えられる称号らしいから、もう強敵はいないはずだよ」
「ならいいがな」
「疑り深いなー」
縛られたタウナ姫を、酒樽のように担ぐ大男・タイテイ。
彼はギルが飛び出した大きな穴に足をかけ、空を見る。――快晴だった。
「人攫い日和だ」
「曇りの方が攫いやすくないの?」
タイテイの場合は、敵の目を盗んで攫うのではなく、殲滅させてから攫うタイプだ。なので悪天候でなくとも人攫いの任務に影響はない。
ただ、気持ちが上向きになる分、快晴である方が良いというだけだ。
「今日は帰還だ」
「はーい」
飛び降りようとした時、狙ったように近づいてきたのは赤い竜だった。――魔獣。大災害によって各地で出現した、既存の生物よりも凶暴な、生態系を破壊する存在だ。
そんな竜が、ふたりの前で滞空する。そして、くい、と顎で背中を指した。
「乗れ、か? よく調教されている竜だ。魔王様のペットかなにかか?」
「もしかして魔王城まで送り届けてくれるの? これで帰るの楽だし助かったよー」
ふたりが竜に乗ると、大きな翼をはばたかせて赤い竜が上昇する。
『――おい、オレだ、ローサミィ! あのバカ科学者が寝ているオレを利用して竜にしやがったんだっ、気づいたらこの姿になってたんだよぉ!!』
「やっぱりお兄ちゃんだったんだ。はいはい、分かってるよー」
『慣れた態度!! 兄が竜になってるのになんで戸惑わないんだ!?』
「だって…………魔王城に戻ったら見てみなよ、話が合う人がたくさんいると思うから」
『……??』
竜の飛行は安定していた。ローサミィの兄の人格が入っていても、竜としての活動は違和感なくおこなえるようだ。
「あの科学者の技術も飛び抜けてきたな……これで中央地方から追放されたと言うのだから驚きだ」
実験で人でも殺したのかもしれない……そこまでしなければ、追放される、なんて対応はされないわけだ。望んで出ていったならともかく……。国で独占された情報を持って逃げるだけでも大罪になってしまうが……ふたりが知る科学者は今のところ逃げられているらしい。
危険な状態であることは変わりないが、それを言ってしまえば、フーセン魔国にいるほぼ全員が危険人物である。魔王軍、というのは抜きにしても、ただのフーセン王国だった時から、その人員はまともではなかったのだから。
そんな彼らを受け入れた国王の方が、もっとまともではないのだろうが……。
『ローサミィっ、城に戻ったら、あのバカ科学者を捕まえるんだ! どこにいるかも分からないし性別だって分からないけど――手がかりはあるはずなんだから!!』
「俺は老人だと聞いたが」
「アタシは女性に見えたけど……変わってる? 性転換?」
年齢も操作できるのかもしれない。
「……元がなんなのか予想がつかないな。人間でないと言われても驚かんな」
「かもしれないね」
竜の背中の上で、荒唐無稽な会話をするふたりだった。
ただ、その荒唐無稽な話は、意外とそうでもなかったりするのだが――ともかく。
こうして、ドール王国の姫、タウナ・ドールは攫われた。
魔王軍の急襲を受けたドール王国は、王の不在により、壊滅の危機である。
8
「姫、さま…………ッ」
遠ざかっていく赤い竜に手を伸ばすギル……。
――宣言したのに、守れなかった……勇者なのに、ドール王国、最強なのに……ッ。
上には上がいる……分かってはいたけれど。
「クソ……ッ、オレは、まだ…………ッ」
勇者になって初日……、彼の船出は、敗北と後悔から始まった。
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