第3話 急襲【1】



 挨拶回りを終えて――結果、変わらない悲惨な状況をあらためて知らされただけだった。それが悪いわけではないし、逐一、被災地の情報を知るのは必要なことだけど……。


 私にできることは、今みたいに顔を見せるくらいで――「どうでしたか? これが我が国の現状ですよ」道中のブティックで、汚れたドレスを脱がせ、新しいドレスに着替えさせてくれた侍女が言った。そう言われてもねえ……、支援はされている。あとはみんなの気力と根性な気がするし。


「……予想はしてたけど……それにしても数が多過ぎない?」


「でしょうね。貧民層と一般層がまとめて生活苦になっていますから。仮に、貴族が支援したところでカバーできませんね。身を削ってまで支援してくれる貴族も少ないでしょうから。……支援したくてもできないのが現状かもしれませんが」


 贅沢三昧と生活苦。その差が未だに顕著に出ているのは、貴族が今の自由を手離す気がないからだろう……当然だ。対岸の火事ではないけど、生活圏内が違えば、町並みはガラリと変わっている。交わらなければ関わる機会も少ない。

 藪をつついて蛇を出すことになってしまうなら、なにもしないのが貴族たちだ。贅沢をしないで支援に回って、とは、王族である私が言っても効果はない。

 そう言った私やお父さま、お母さまが贅沢をしているのだから……まずは自分たちだ。……そして私たちは、この贅沢を手離せない体である。

 貧民層の生活を見た後で、ああなりたい、とは、さすがに思えなかった……。


「(国としてじゃなくて個人として、他国と仕事の繋がりがあるなら、国が傾いても個人の資産は増やせるもんね……別に独自の文化とシステムで動いている国じゃないし……)」


 通貨も共通している。おんぶにだっこ、と言われてしまえばその通りだった。力を持たない弱小国家は、大きな国に縋るしかないのだ……。アカッパナー地方は、敗戦国なのだから。


「貴族はどうして他の地方に移らないの?」


「……詳しくは分かりませんけど、今いる家にしかない大事なものでもあるんじゃないですか? 貴族にも歴史がありますし……簡単に手離して移住できない理由がそれぞれの名家にあるのでしょう。……姫様ならそれくらい知っておいてください」


「興味がないもん」


 本当に。興味がないことを調べても、きっと覚えない。だったら自発的に知りたくなった時に手と足を動かした方がいいと思うけど……侍女はそうは思わない?


「今、興味を持ってくれたなら、調べてみてくださいね」


 結局、私は侍女に手伝って、と言うと思うけど……それはまた後で、だ。


「ねえ、私はさ…………こんなことをしてていいの?」

「いいんですよ。重要なことは国王様と王女様が手をつけてくれています。まだ幼い姫様が心労を抱える必要はございません」


「幼いって……私、もう十六歳なんだけど……」

「幼いでしょう?」

 と、言った彼女は年下だ。十五歳。私よりも全然、大人びている。


「……はぁ。次は? お城に戻る?」

「えーっと……そうですね。一旦、一息つきましょうか。その後で、騎士団の方にも顔を出しますので」

「そう……でもこのままいけばいいんじゃないの?」


 お城までの道中に騎士団の訓練場があるけど……寄った方が早いのでは?


「メイクが崩れているので直しましょう。汗をかきましたし……最低限、整えるべきです」

「少しくらい……、崩れてても分からないんじゃない?」


「分かりますよ? 見ているのが女子だから、ではなく。隠れていない姫様の本性が漏れてしまっていますから……早急に塞がないといけません」

 私の本性ってそこまで悪いものなの? 毒ガスみたいに言ってるけどさ。


「……私は、いつまで猫を被っていればいいのよ」

「人前で脱ぐことはないと思いますけど……」


 冗談でなく、本気で首を傾げていた……え、私、一生このまま?

 王族でいる限り、本性を表舞台で見せることはできないってこと?


「………………え」

「いっそのこと、その曲がった性格、直してしまいましょうよ!」


 侍女からの無邪気な提案を、私は簡単に「うん」と受け入れることはできなかった。




 お城に戻ってくる……と、城内がやけに静かだった。

 まるで誰もいないみたいに……。おかしいな、仕事をしているはずの侍女たちがどこにもいない。広い敷地だし、ちょうどみんながどこかに偏っていたとか?


「……? 別の仕事でも入ったのでしょうか?」


 伝言板を見たけど、急用ではなさそうだった。

 急用でなければ、非常事態ってことになるけど……なにが起きてるの?


「伝言に書くことも忘れて仕事に出ちゃった、とかじゃないの?」


「……いくら急だったとしても、最低ひとりは伝言板に連絡を残しますよ。そういう決まりですから……。もしも、伝言板になにもなく、なのに予定とは違う行動をしていたなら……やはりなにかがあったと見るべきです」


 侍女が重く考えているけど、こういう時、大抵は大したことがなかったりする。あまり思い詰めても仕方ないし、私はお気楽でいるべきだろう。


「ふーん……じゃあどうするの? メイクは後回し?」

「それは……」


 その時、上の階から衝撃があった。城全体が揺れたような……崩れないよね?


「地震!? え、まさかまた――あの大災害が!?!?」


 一年前を思い出す。ただあの時はもっとあっという間に、最大の被害が出ていた。比べてしまえば、今の揺れは弱かったし……それでも城が揺れるほどの衝撃だ……充分に強いだろう。


「姫様ふせて!!」


 侍女に怒鳴られて身を低くする。ぱらぱら、と破片が落ちてきた……。運が良かったのか、大きな瓦礫は落ちてこなかった。

 膝をついて頭を守る私は、もう揺れがないことを確認してから、「今のは、なに……?」


「上です!!」


 原因がそこにある。私たちはひとまず階段を上がって王の謁見室へ。衝撃の発信源はそこだろう、と思えたのは人の気配がしたからだ。赤い絨毯を辿って部屋に入ると――そこには。


 お父さまとお母さまが、倒れていた。


 その周りにはメイド服を着た侍女たち、男装をした執事服の女性たちもいて――彼女たちは全員、倒れてしまっていた。……負けた……? この人たちが?


「先輩!?」

「待ってっ、クイン!!」


 私を置いていかないでと言うつもりはない。ただこの状況では――あなたが危ない!


「ん?」


 部屋の中で一際浮いて見えている侵入者――大男が、私たちに気づいた。


「お父さまも……っ」


「ぁ、やく、逃げ、なさい……タウナ……――」


 お父さまの言葉は途中で途切れた。大男の足が、お父さまの頭を踏んづけているのだ。

 いつでも砕き割れる、そう言いたげな侵入者――敵だ。


「あれが、姫か……城にいない、町にもおらず……どこにいたんだ? まさか、下水道の中にいたわけではないだろう?」


 敵も、まさか私たちが貧民層の住宅地にいるとは思わなかったのだろう。おかげで捜索範囲から外れていたのだ。だから見つからなかった……、こうして私自身がわざわざ敵の目の前に立っていれば、その幸運も無駄になってしまったけど。


 でも、これから先も逃げられたわけではないとすれば、ここで会ったのはマシな方だと思う。

 私がいることで、お父さまとお母さまが助かるなら――「獲物は『姫だけ』だったな」

 立っているのは、ジャングルの最奥から出てきたような筋肉隆々の黒い大男だった。


 彼の足は、お父さまの頭部よりも大きかった。そして、担いでいるのは体よりもさらに大きな斧で……。侍女たちが持つ細い剣では、とても太刀打ちできるものではない――斧の衝撃を受け切ることもできないだろう。


「姫様は後ろにっ、ここはあたしが対処します!!」


 クインが割って入ってくる。薄い刃を持つ剣で応戦しようとしているけど……あんな相手にそんな細い剣では、ただの自殺志願者だ。


「いいえ、策がありますよ、姫様――」と言って飛び出した侍女クインは、薄く細い剣を握り締めている。脆いけど……だからこそ肉を切るのではなく射抜く――入り込むことさえできれば、後は心臓に傷をつけるだけ。


 どれだけ堅い筋肉でも、気を抜いた時にできる隙間から入り込むことができる……脆い剣は、不利というわけでもなかったのだ。

 身軽な動きで大男の懐に潜り込むクインだったけど……大男は、対処しなかった。周りを飛ぶ虫を振り払う必要がないとでも思っているのかもしれない……。


「その態度……なめているのであれば好都合ですね」


 クインが剣の切っ先を大男の胸に突き刺した――「極細剣ごくさいけんです」


「この薄い刃は一切の抵抗なく、あなたの体内へ侵入し、心臓を傷つけます――痛みがなくとも人を殺すことはできるのですよ」


「そうか」とだけ。


 二メートル以上の大男は、身長差があるクインを見下ろし、「なにもする必要はない」


「え?」


 視認するのも難しい薄い刃が――――砕けた。


「え……なんで!? だってそのポイントは、柔らかいはずなのに……っっ!!」


「面白い戦い方だが、どんなものであれ、通用はせん。我々魔王軍は、守られているのだからな――」


「守られている……?」


 重い腰を上げるように、担いでいた斧を振り上げた大男。

 クインめがけて、巨大な斧が振り下ろされた。


「っっ!!」


 斬られたのではなく叩かれたクインが床を転がる。何度も何度もバウンドした彼女は、止まらないまま部屋の奥の壁に激突した。

 悲鳴も上がらない。


「む。中になにかを仕込んでいたのか……真っ二つ、とはいかなかったか」


 それでも、全身の骨は折れてしまっているはずだ……。


 呼吸もできないはずのクインは、それでも意地で立ち上がろうとするけど……無理だよ……その体じゃあ、立てるわけがない! 最後の力を振り絞るように、這うように赤い絨毯を移動するクインだったけど……途中で力尽き、意識を落とした。


 その目に生気はもうなくて……死体寸前の彼女が、そこにいる。


「……ひっ!?」


 耐性のない光景だった。

 私は、両手で口を押さえることしかできなくて……。


 ――ゆっくりと、近づいてくる大男。

 近づくと、よく分かる……目算よりも、ずっと大きい――。

 実物よりもさらに大きく、私の目は彼を認識してしまっている。まるで山だった。

 黒髪で黒い体だから……まるで影の化物……そう見えている。


 彼の手が、迫ってきた。


「これで任務達成だな」

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