第2話 タウナ姫のお役目



 自室へ戻り、重くて鬱陶しいウィッグを外す。橙色のロングヘア――頭の上にはティアラとか髪飾りとか色々とくっついているのでさらに重たくなっている。誰よこれを被ろうって言い出したの。……昔の私だった。


 肩の荷が下りたように、頭が軽くなった。橙色とは真逆の(……真逆?)黒髪が見える。お父さまの遺伝だ。ウィッグを付けるために本来の私の黒髪は短くしている……と言っても肩に触れるくらいで調整しているけど。


 指で触れると少し濡れている……汗だ。軽くでいいからシャワーを浴びたいわ……。ウィッグはこれがあるから嫌なのよ。というか表舞台には立ちたくないのよ……。

 もういっそ、少し整えれば男の子にも見えるんだし、身分を変えて王族を辞めちゃおうかな……と言えば侍女が血相を変えて説教をしてくるので言えなかった。もう言えないよ……。今の状況じゃあ、尚更無理だ。


「ドレス、も、歩きづらいし……胸も詰め物だらけでずれそうになるから気を遣うし……ここまでしないとお姫さまってできないわけ?」


 ドレスはひとりでは脱げないので、仕方なくこのままベッドに寝転ぶ。ドレスにしわができてしまうけど、もういいや、と諦めた。そういうしわをなんとかするのも侍女の役目だ。彼女たちの仕事を取るわけにはいかない。


「なんで王族に生まれて……、いや、贅沢な愚痴だよね」


 王族や貴族は、多かれ少なかれ、こういう仕事がある。どちらでもなければ貧民層に属することになるし……それもまた、違ったきつい部分があるのも分かってる。差が極端だと思う……。中間がない。満たされている人か、不足している人か……これも『一年前』の大災害のせいだ。


「守り神は、助けてくれないの……?」


 ここ『アカッパナー地方』に伝わる守り神――ゾウ。

 多くの国に大打撃を与えた地震、津波、山の崩落……その大災害から身を守ってくれるはずの守り神なのだけど、今のところまったく音沙汰がない。完全に、見捨てられているとしか思えなくて……。それとも、そもそも守り神なんていないのかもしれないけど……。


 大昔の人間が作り出した偶像だったりして。

 だとすれば、手が差し伸べられなくてもおかしくはない。


 天井を見て、ぼけー、っとしていると、こんこん、とノックの音だ。

 返事もしていないに、その扉は勝手に開いた。


「失礼しま――って、姫様!? ドレスのまま寝転がらないでくださいとあれほど言いましたよね!?」

「……うるさいなあ……」


 ごろごろしてたいのに……。


「ほら、起きてください。被災地に顔を出しますよ――支援できなくとも、若くて綺麗なお姫様が挨拶をするだけで現場も国民も元気になるんですから……早く」


「えぇ……でもぉ、侍女を集めて同じようにメイクをすれば、私じゃなくても別に……。代わりになるでしょ。技術があるんだからモデルの差だって埋められるような気が……」


「メイクをしたら姫様が一番なんです! ほらいきますよ、ウィッグも付け直して!」

「それ、頭が痒くなるから嫌」

「がまんしてください――王族でしょ!?」


「はぁ。こんなことなら貧民層が良かっ」


「――それ、本気で言ってますか?」


 部屋の空気が変わった。侍女の目が見開かれる……普段とは違う、彼女の剣呑な雰囲気で……やば、地雷を踏んだかも……。


「災害前は、貧民層、一般層、権力者と分けられていましたけど……今ではふたつです。災害前の一般層はそこそこ裕福ではありました。王族ほどでありませんが……それが、今ではまとめて貧民層です。被災した現状、見ていますよね? 知っていますよね? ――この現状が当たり前だった貧民層に憧れるなんて……貧困をなめていますよね?」


 質問攻めが一番怖い……。

 彼女の強い瞳が、私に言い訳をさせてくれないし、謝らせてもくれない。

 全身が固まってしまった。


「う、……確かに、詳しくは知らないから、テキトーに言ったけど……」


 がさごそ、と頭上で音がする。

 気づけば頭が重たくなっていた。


「はい、ウィッグを付け直しました」

「あれっ、いつの間に!?」

「先輩に聞きました。タウナ様が言うことを聞かなくなった場合、怯えさせれば簡単におとなしくなってくれる、と」


 もちろん、暴力は振るいませんよ? と侍女が言う……当たり前だろ。

 王族に暴力を振るう侍女なんて聞いたことがない。

 私はそんな方法で新しいやり方を開拓したいわけではないのだから。


「で、でもさ、別の地方からの支援があるんでしょ……? ほら、お父さまが中央地方の知り合いに助けを求めたって言ってて……。それじゃあ足りてないの?」


「はい、全然」

 え、こいつバカか? みたいな顔だった……ほんとっ、王族に向ける目じゃない!


「支援を受けていますけど、他のもっと大変な国を優先してもらっていますからね……我がドール王国が、こんな悲惨な状況でも一番マシなんですよ。なので復興と同時、魔国の対処も優先的に我々が指揮を執っていますし、敵を討っています。活躍しているのはギル様だけではないのです。ただ、小さい敵を倒しても大元を倒さなければ解決にはなりません。目前の魔国を討つためには、横の繋がりが必須です――そのためには、早く他の国も復興してもらわないと……手を取り合うこともできません」


「ふーん」

 そんなことになっていたのね。

「なんで他人事なんですか。姫様も責任重大ですからね?」


 ここ、ドール王国の他にもリング王国、ダイス王国、ケンダマ王国、ローラ王国、そしてコーマ王国が災害に巻き込まれている。アカッパナー地方の七大国だ。だけどひとつ足りていない。最後の国はフーセン王国……なのだけど、今では名を『魔国』と変え、その島国は浮遊している――雲の上まで。


 翼もないのにどうやって浮いているんだろう……?

 独自の技術で浮き上がったフーセン魔国。

 通称――魔王城だ。


「じゃあさ、もっと支援をしてもらうのは…………まあ難しいよね。困っているから助けてください、と縋って助けてくれる国ばかりじゃないだろうし……。実際、助ける代わりに要求されていることもあるわけで……」


 借金が増え、それを後々返すだけなら可愛いものだと思う。そうではなく、情報や兵器、人材を提供しないといけないとなれば、かなり苦しいだろう。

 ……他の地方に国の命を握られてしまっている現状は、良くはないけど……今はこの危機を乗り越えることが先決だ。それは分かっているけど……。


 問題は山積みだった。

 とにかく、フーセン魔国の侵攻と支配をどうにかしなければ、完全復活は完成しない。


「さっ、顔を出しにいきますよ。姫様の笑顔で、みなさんの士気を上げるんです」

「はいはい……」


 手を引かれる。

 仕方ないなあ、と呟きながら、私は侍女についていくことにした。……今が大変、と聞かされてしまえば、私はこれでも王族だし、渋々いく、とは言えない。それに――なんとかしたいと思っていないわけではないのだ。




 地震による地盤沈下。津波によって町は流されてしまっている。山の崩落で流れてきた土砂が国を飲み込んで――あれから一年、まだまだ、元通りと言うには程遠かった。


「あ、姫様!」


 ひとりが気づけば周囲も気づく。あっという間に人が集まってきた。


「タウナ姫様……ここは危険です。それに、不衛生ですから……お城に戻ってください」

「大丈夫ですよ。みなさんの顔を見にきたのですから……なにかご要望などはありますか?」

「姫様……っ、なんとお優しい人だ……!」


 うぅ、心が痛い……。侍女と打ち合わせした通りのセリフを言っているだけだ。まったくの嘘ってわけではないけど、私ひとりが自発的に言っているわけではないから……。


 そもそも私の発案で様子を見にきたわけではない。侍女――大元を言えば国王の指示だ。指示がなければ絶対にこなかった場所である。


「うぇ」と口の中で呟く。確かに不衛生だ……だけど、一年前と比べれば綺麗な方だ。

 みんなの努力で、ここまで回復している。


「はいはい、あまり近づき過ぎないようにお願いしますね。姫様は国の宝ですから」


 どの口が言う、と侍女を睨む。その宝を、あんたは雑に扱ったけど?

 人に押し潰されそうな私を助けるために割って入ってくれたのだろうけど……遅くないか?

 それともそこまで求めるのはさすがに私の怠慢だろうか……。


 彼女は「ここは任せて!」とウィンクしてくる。あの、前に出れば背中側になにもなくなるんだけど……一応、私も警戒はしてるけどさ……。


「ん?」


 すると、引っ張られる感覚がした。振り向いてみれば、ドレスを引っ張っているのは小さな女の子だった。その子の手は汚れていて……なのでドレスに汚れがついてしまい、


「うわぁ」と顔をしかめてしまったのは一瞬で、誰かに気づかれるよりも先に、ドレスをつまんだ女の子が、横から蹴り飛ばされた。女の子は地面を滑って瓦礫の山に突っ込んだ……え? ちょっと!! あれ大丈夫!?


 あの子を蹴り飛ばしたのは、男性だった……あの子の父親……?

 男性は泥が溜まった地面に額をつける――溺死しそうな土下座だった。


「も、申し訳ありませんッ、姫様!! うちの悪ガキが、ドレスに粗相を……ッッ!!」


 見れば全身、傷だらけだ。復興作業の際についてしまった怪我だろうか……。がんばっている人なのだろうと分かるけど、それでも我が子を蹴るのは、さすがに……。


「いえ、その、こっちは大したことないので……」

「ですが!!」


 勢いと早い対応でこっちはドン引きである。王族が引くほどの罰を先に与えてしまうことで、最悪の結果を避けるやり方なのかもしれない……培ってきた処世術?

 だとすれば、王族の印象が悪過ぎる……。


「いいんですって! ここにドレスでやってきた私も悪いですから……」


 汚れるものだ、と覚悟していたわけではないけど、普通に考えれば当然のことだ。舗装された道を歩くわけじゃない。赤い絨毯なんて敷かれていないのだから……泥道を歩けば泥がつく、当たり前だ。想像できないわけじゃない。


 そして、そこを歩いて泥がつき、怒るほど、私だって人間を辞めたわけではない。これくらい、仕方ないって思うよ。


「おぁ……ありがたき幸せ……っ!」


 膝立ちで両手を合わせる男。

 いや、私は神様じゃないんだけど……まあいいけど。

 信じる神は人それぞれだ。


「姫様、ドレスの汚れを」

「いいわよ、どうせ汚れるし。帰り道で落とせばいいわ」

「城に戻る前に、ドレスは処分してしまいましょう」


 処分するなら貧民層にあげればいいのでは?

 高価なドレスだし、使い道があるんじゃないの?


「……貴重品は奪い合いになる可能性があります。内輪揉めを起こしたいですか? 限りある食糧などで既に揉め事は起きていますけど……。まだ可愛い方ですよ。飛び抜けた高級品はまだありませんし……ですが、そこにこのドレスが放り込まれたら……もっと酷い内輪揉めが起こるかもしれません。渡さない方が賢明かと」


「…………そう」

「一か所に留まっているとトラブルに巻き込まれてしまいます。目的は顔を見せて挨拶をすることですから…………いきましょう」


 手を振って、場を後にする。

 子供たちの声に後ろ髪を引かれながらも、私と侍女は次の現場へ向かった。

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