第2話 〇の出ない少女

 その子と出会ったのは高校2年の夏休みも、もう終わろうとしていた頃だった。


 目が覚めた俺は、顔を左手で覆い項垂れていた。


「またあの夢か…」


 ドカンッと大きい音が響いて綺麗な金色の糸の束が赤く染まっていき、近付くにつれて息が荒くなり、視界が霞んでゆく…


 そこでいつも目が覚めてしまう。


 度々見るこの夢がなんなのかは分からないが、気分のいい物ではないことだけは理解できる。


「ゲームしよ」


 嫌な事があったら、ゲームをして忘れる。それが俺(二階堂にかいどう じん)のちょっとしたルーティンだ。


 連休が始まる前から課題を終わらせていた俺は、いつもの如く朝からゲームに時間を費やし、リアルには存在しないネットの友達と夜遅くまで話し続けている。


『そういえば、今度あのゲームの新作が出るみたいだぜ。出たら一緒にやろうぜ』

「おっ、いいな。でも、次の受付嬢が碌でもない奴じゃないといいんだけどな」


『はは、あの迷ったら食ってみろな。すぐに変な物食べて緊急クエ発生するのは面白かったけど、結構厄介なモンスターが乱入してくるから一度縄で縛りつけようかとも考えたくらいだしな』

「俺はそこまでじゃないけど…」


『そこは乗ってくれよ!まぁ、取り敢えず出たら連絡するよ、お疲れ』

「あぁ、お疲れ」


 俺はヘッドフォンのマイクに向かってそう言い、通話から抜ける。


「んー、それにしても今日も結構やったな」


 ゲーミングチェアから降り、軽く伸びをしているとカーテンの隙間から朝日が昇っているのが見えた。


 始めたのが朝だったから…ざっと一日中やっていた事になるのか。こんな生活をしていたら夏休み明けの学校が辛く感じるんだろうな。


「そろそろ生活リズム直さないと」


 俺は今から寝ようと思ったが、喉の急激な渇きで寝られそうになく一人暮らしを始めた頃に買った冷蔵庫を開ける。


 一応ご飯は作れるので中身はそれなりに物が入っていて、手軽に食べられるカップ麺も冷蔵庫の隣に配備してあるから親が急に訪ねて来ても安心だ。


 と思っていたが…


「牛乳、買ってなかったっけ…?」


 俺は後頭部を掻きながらひとりごちる。


 どうやら、寝る前に飲む牛乳を切らしてしまっていたようでドアポケットには何も入っていなかった。


 寝る前にホットミルクを飲まないと熟睡できない人間の俺は少し困ってしまう。


 近くにコンビニはないし、自販機はあるが牛乳なんて無いし。


「とりま自販機で何か買うか」


 ミルク成分の入っている物なら多少はマシかなと、眠い目を擦り外に出る。


 俺の住んでいるマンションは古く、5階建てなのにも関わらずエレベーターがない。そのせいで、3階の端から2番目に住んでいる俺からすれば登り降りが大分面倒くさいのだ。


 これ以上、上になんて絶対に住みたくないな。親が勝手に決めたから何もいえないけど…


 コツコツと1人階段を降り、オートロックなんてないガラスの扉を押して開ける。


 ついでと思い古くなってピュイッと嫌な金属音のなる郵便ポストを開けるが何も入っていない。


 学校に行っている時は毎日見ているが、週一くらいでいいんじゃないかと最近になって思い始めている。


 朝の日課のような行動をとって、マンション正面の自販機へと向かう。


 そこはシャッターの閉まっている店前にポツンと二つの自販機がある場所。


 昔は駄菓子屋だったようなのだが、コンビニの普及で潰れてしまった。


 子供にとって少ないお小遣いで工夫し買う一喜一憂の楽しみがなくなるというのは、少し悲しい気持ちになってくる。俺、行った事ないんだけど。


「さ、何にしよう…かな」


 そんなバカな事を考えながら自販機まで進むが、目の前で綺麗な金色の髪をバサバサと上下に揺らしている少女が目に入り足を止めてしまう。


 少女は少し大き目のリュックを背負った中学生くらいの身長で、3段目の飲み物のボタンを必死に跳び押そうとしているがあと一歩と言う所で指が空を切る。


 それを何度か繰り返し疲れたのか、膝に両手をつき始めた。


「あの…俺が押しましょうか?」

「ひっ!」


 このまま待っていると、俺の寝る時間がなくなりそうで声を掛けると少女はこちらを見るや怯えたような顔をして数歩後ろに下がってしまう。


 やってしまったかな、そう思っていると少女は俺に背中を見せて…


「ちょっ、逃げなくても」


 急に走り出してしまう。


 俺は逃げる少女を追うように右手を前に出すが、これ追いかけて大丈夫なのかと一瞬頭によぎり、足を出すのをやめた。


 昔からそうだ、毎度毎度…


 ひらひら


 ため息をつきながら下の方を見ると、白くきめ細やかに逢われたハンカチが宙を舞っていた。俺は地面につきそうになったハンカチを掴んで必死に逃げる少女を見る。


「おーい、ハンカチ落としたぞー」


 久しぶりに声を張ったせいかちょっと喉が痛いが、する価値があったようで金髪の少女は足を止めると振り返ってくれた。


 手に持ったハンカチを左右に揺らして離れてしまった少女に見えるようにすると、ゆっくりではあるが徐々に近づいてくる。野良猫が人間から出されたご飯を警戒しながら食べにくる絵面に似ている気がする…


 しばらくすると、さっき声を掛けたくらいの距離には近づいてきてくれた。


「はいこれ、地面にはついてないから」

「あ…」


 少女は俺からハンカチを受け取ると顔を見て何かを言おうとして口を閉じ、深くお辞儀をし始める。


 礼儀正しい子なんだな。


 …


 ……


「あ、飲み物。どれだっけ」


 そういうと少女は、ゆっくりと顔を上げた。


「えっと、これかな」

「そ…」


 人差し指で飲み物を差すと、少女はまた何かを言おうとして口を閉じると今度はコクコクと首を縦に振った。


 無口…?な子なのかな。


 あまり喋らない人との接し方がイマイチ分からないが、今は早く飲み物買って帰りたい。


 ピッという音と共にガタンと飲み物が降ってくる。


 俺は屈み、取り出し口から飲み物を取ると温かいミルクココアが出てきた。


「はい」

「あ…」


 少女に手渡すがやはり何かを言おうとして口を閉じる。だが、飲み物をリュックの中に入れると両手を動かし始めた。


 胸の前に手の甲を上にした左手持ってきて、右手をその上で手刀を切るように上げ下げを一回。


 ?


 何やってるんだろう。そう思っていると少女は何やら満足したような表情をし始める。


「あー、うん」


 よく分からないけど、満足したのかな。それよりも早く俺も買って帰ろ。


 俺は自販機にお金を入れて、ミルクココアを選んだ。カフェオレでも良かったが、今持っているお金では買えなくて。


 もう一度屈み、取り出し口から飲み物を取り出して立ち上がると、まだ移動してなかった少女が俺の事を見ていた。


「それじゃあ俺はこれで……えっと?」


 俺は早いところこの場を去ろうと少女に背を向けると、どうしてか服を掴まれる感覚が。


 振り返ると、案の定少女が俺の服の裾を掴んでいた。


「えっと、何かな」


 俺がそういうと、少女は手を離しまた両手を動かし始める。


 今度は両手を向かい合わせにしてグーパーグーパーと閉じては開いて、閉じては開いて。


 次は右手で銃の形を人差し指と親指で作ると、顎の下に持って行き輪郭を沿うように指先同士を閉じ、最後に俺を人差し指で差してきた。


 うーん。


 分からん。


「えっと…」


 何かしらの意思表示?が終わると少女は何か期待したような眼差しをこちらに向けてくる。


 さっきのなんだったんだ?何かどこかで見たことあるような。テレビとかで見る話してる人の隣で手を動かしていた…


「あ、もしかしてそれって手話?」


 俺がそういうと少女は目をキラキラさせてコクコクと頷く。よかった、合ってて。


 だが、よくない事もある。それは…


「ごめん俺、手話分かんないんだ」


 そういうと目をキラキラさせていた少女は口を開けてポカーンと少し間抜けな顔をする。


「ふっ、あはは」


 それを見た俺はお腹を抱えて笑ってしまう。


 ひとしきり笑い、目に溜まった涙を指で取って少女を見ると、頬を赤くして眉を寄せていた。


「ご、ごめん…」


 気まずくて目を逸らしてしまう。でも、ひさしぶりに笑った。


 ネットの友達と話していると面白いことで良く笑うけど、リアルではもう何年も笑っていなかった。


 だからだろうか、少しこの子の事が気になってしまうのは。


 このの出ない少女の事を。

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