第56話 はちみつキッス
作品にもよるんだろうけどアニメとか漫画ってさ、名前とキャラ設定合わせたりするじゃん? 椛もそっち路線に行っちゃったのかな? 熊に寄せてきたのかな? そうでないと説明つかんよ、この状況。
「なんで学校に蜂蜜の瓶持ってきてるんだ? パンを食べるわけでもないのに」
弁当箱の横に蜂蜜の瓶、中々珍しい光景だ。デザートにリンゴでも用意してるのかな? だとしても普通は蜂蜜の瓶は持ってこないと思うけど。
「いいから早く飯を食えよ。アンタが食い終わるまで、アタシも動けねぇから」
「どういうことだ? 皆で食べる用のデザートでも持ってきたのか?」
よくわからんけど、さっさと昼食を済ませるか。逆らってもいいことなんて一つもないし。今までの経験からいって。
「デザートかぁ……」
何その……アンニュイと言うべきか、恍惚と言うべきか、表現に悩む表情は。
気になるところだが、ツッコミを入れてる暇があったらさっさと食べきらないと。
……よし、後はお茶で流し込んで……。
「〝突撃お前が晩ごはん〟ならぬ、〝突撃お前がデザート〟ってとこかな」
「げほっ! げほっ!」
お茶が変なところに入ってむせる俺。そりゃむせるよ、誰だってむせるよ。机にお茶をぶちまけなかっただけ偉いよ。
言葉の意味はわからんけど、身に危険が迫ってることはわかる。こういう嫌な直感というのは、大体当たるんだよ。
「甘っ……」
瓶に直接口をつけて、スプーンで蜂蜜をかきこむ椛。その仕草は本物の熊よりも熊だが、きっと笑ってる場合じゃない。熊は草食寄りの雑食だと思われるが、一度肉の味を覚えると肉食動物になるだろ? 一度人を食べたら、山を降りてくると聞くし。
「ぺ、ペース早くないか? 血糖値上がるぞ?」
ムショ帰りでもここまで甘味にがっつかねえよ。蜂蜜単体を甘味にカテゴライズしていいのかわからんけど。
「ほはへほはへはほ」
「タプタプじゃねえか、口の中」
見る人が見ればエロいと思うのかもしれんが、俺の目には下品な女としか映っていないぞ。口の中を見せるな、腐っても……いや、腐ってるけど乙女だろ。
「おい? なぜ俺の頭を掴む? なぜどんどん顔を……んぐぐぐ!?」
ぶっちゃけ予想通りだけど、蜂蜜を口いっぱいに含んだまま口づけをしてきた。
視界の八割ぐらいを椛に奪われているけど、クラス中の視線を集めているに違いない。特に驚嘆の声が上がってこないのが逆に辛いよ。『こいつらは何をしてもおかしくない』という共通認識があるってのは、想像に難くない。
唇の感触やら羞恥心やら蜂蜜の甘さやら、ありとあらゆる要素が俺の頭をおかしくしてくる。何この、気持ち良さと気持ち悪さが同時に押し寄せてくる感じは。
いや、なんでこうなった? こいつらの行動はいつだって突然だけど、どういう流れでこうなった?
んぐっ!? こ、こいつ……舌を……。
「いいなぁ、私も言質を取っとけば良かったなぁ」
楓は一体何を言ってるんだ? 俺が、いつ椛に言質を取られた? こんな特殊性癖プレイをする約束なんて、いつしたと言うんだ。
「小五郎ちゃんにフレンチは早いと思うんだけど、これも成長よね。ママってのは、いつだって複雑な心境よ」
教室でママになるのはやめろと……フレンチ?
……フレンチ……フレンチ……フレンチ……あっ! 思い出した! 去勢マシンになっていた白を止めてもらうために、不自由な二択を迫られたんだった!
「熊ノ郷、アンタに恥の概念はないの?」
あっ、白の声がする。いつの間に教室に来てたんだよ。どうせなら昼飯一緒に食べれば良かったのに。そうすればこの凶行を未遂に終わらせられたかもしれないのに。
「んっ! んんっ!」
あれ、なんか椛のヤツ怒ってね? もしかして、俺が必死に舌と舌の接触を回避してるから怒ってるのか? しょうがねえじゃん、口内が蜂蜜で満たされてるだけでも辛いのに、この状況で舌が絡むのは耐えられんって。
っていうか長くない? そろそろ呼吸が苦しいし、蜂蜜を吐き出したいんだけど。
……これもしかして、蜂蜜飲み込まなきゃいけないの? 普通に嫌だよ? 時間と共に、蜂蜜とお互いの唾液が混ざっていってるもん。このままだと比率が逆転しそうなんだけど、マジで助けてくれ。頭をガッチリとロックされてるから、逃げるに逃げられんし。まさか黒川先輩の呪いって、膂力まで上昇すんの? 思い返してみれば、楓も妙に馬鹿力だし。
「坂本、顔真っ赤だけど、それは羞恥心? それとも酸欠?」
両方だから今すぐ助けてくれ。度重なる異常なプレイや非日常で、ある程度の耐性ついてるけど、それでも辛いものは辛いんだ。少しでも気を抜くと、頭が変になっちまうよ。
「教室でディープキスは一線超えてるわよ? しかも蜂蜜まで使って」
わかってるなら止めてくれよ、この発情期の熊を。コイツがむやみやたらに舌を動かしまくるせいで、蜂蜜が自動的に喉を流れていくんだよ。ボツリヌス以外で蜂蜜が死因になることって、中々ないぞ。
「熊ノ郷、そろそろ解放してやらないと死ぬわよ? っていうか今、アンタも呼吸辛くない?」
俺の命が風前の灯だということを察したのか、ようやく助け舟を出してくれた。解呪方面でも助け舟を出してほしいもんだが、今は贅沢を言わないようにしよう。
「んんぇぇ!」
喋りたいなら俺を解放してくれよ。そろそろカップ麺が出来上がる時間だぞ。よほどのバカップルでも、ここまで長時間しないと思うんだけど。
「あのねぇ、別にキスするなって言ってるわけじゃないのよ」
いや、言ってくれよ。
「んん? んんん、んー」
「インターバルを設けろって言ってんの」
「んー! んん!」
「休み時間はまだまだあるし、そんな焦ることはないでしょ?」
「んん! んー……んんっん」
「まあ、好きにしたらいいと思うけど……」
「んっ」
え、なんで会話成立してんの? 言語学のパイオニアかよ。このレベルの意思伝達能力は、センセーションを巻き起こすわ。
「まったく……ここまで下品だと、嫉妬する気も起きないわ。まあ、坂本と熊ノ郷がどうなろうと私には関係ないけど」
嫉妬して暴れないってのは非常にありがたいんだけど、今すぐ助けてくれ。椛が満足するのを待たないでくれ。
うう、蜂蜜が生暖かくて気持ちわりぃ。甘さもよくわからなくなってきたし。
「白ちゃん的には蜂蜜はアリ?」
「んー、バターのほうがいいわね」
「あー、いいね、いいね」
キスのお供について語ってないで、早く助けろ。っていうかディープキスって、何かしらの味付けをするもんなの? どういうメディアでそういう知識がつくの?
「股間に生クリームとかアリじゃない?」
「白ちゃん、頭いいんだねぇ」
「ま、まあね」
「照れちゃってぇ! かっわいぃ」
「フンッ! 柊木に褒められたところで、別に嬉しくないし」
百合営業してないで助けろ! その異常な性癖に関しては、ツッコまないでやるからさ! 俺そろそろ吐きそうなんだよ! 流し込まれた蜂蜜を利息付きでお返しすることになっちまうから、早く助けろ!
「ちょうど剃毛したばっかだし、生クリーム用意しようかしら」
何がちょうどなんだよ。塗った後で、何をするつもりなんだよ。ロウソクでも立てて、誕生日を祝うつもりか? 股間に火炎属性をエンチャントしたくないんだけど。
「んー、でもまだ早くないかな? 幼馴染の私でも、そこまでは……」
「アンタに理性あったのね」
「えー? 私はいつでも理知的だよぉ」
いつだって感情的だよ、お前は。正直コイツらがブレーキを踏む基準が、よくわかんねぇよ。お前らのチキンレースは常人から見ると、常に崖から車が飛び出した後にブレーキが踏まれてるんだよ。
ダメだ……そろそろ意識が……。
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