第32話 前門のヤンデレ後門のメンヘラ

「本当に一人で行ける? おててを……」

「大丈夫だって」


 さすがに疲れてくるな。トイレに行くたびにこれだもの。

 呪いが弱まろうと、委員長の母性本能は抑えきれないらしい。これでも我慢してるほうだろうし、俺も強くは言えないんだけどさ。


「委員長、そろそろ子離れしなよ」

「熊ノ郷さんにも、いずれわかる日がくるわ。子供を産めば、女は変わるの」

「そっかぁ……」


 意味不明な会話が繰り広げられているが、無視してトイレに向かう。

 律儀にコントに付き合っていたら、休み時間が終わっちまうからな。


「坂本」


 学校にオムツを持ってこなくなっただけでも、大きな進歩かな。

 土日は念のためレベルで持ってくるけど、無理やり履かせたりはしてこない。気が気じゃないから、持ってこないでほしいってのが本音だが。


「坂本小五郎」


 呪いが強まったら、またオムツ履かされんのかなぁ。

 あまり考えたくないが、履かされるだけじゃすまないかもしれない。トイレに行くのを禁止、つまりオムツに漏らすことを強要されるかもしれない。

 それだけは阻止せねば……。


「ちょっと! 聞いてんの!?」


 うるせぇな……面倒そうだから無視してたのに。

 誰だっけこいつ? まだ名前は聞いてないんだっけ?


「なんだよ? トイレに行きたいんだけど」

「オムツを替えに行くのかしら?」

「履いてねーよ!」


 ああ、めんどくせぇ。

 一体何者なんだよ、こいつは……。


「えっと……この前、廊下で絡んできたヤツだよな?」


 俺の記憶が正しければ、黒川先輩に会いに行く時に声をかけてきた女だ。

 呪いのことを知っているようなので、キーマンポジションになりそうだが、いかんせん面倒なんだよ。会話内容あんまり覚えてないけど、面倒だったことは覚えてる。


「同級生の名前ぐらい覚えときなさい! 〝ひじり ましろ〝〟よ!」


 同級生の名前と言われても、違うクラスまで把握してないだろ普通。

 二クラスしかないド田舎ならまだしも、六クラスあるんだぞ?


「で? 白ちゃんは、俺に何をしてほしいの?」

「……誰が下の名前で呼んでいいって言ったの?」

「冷たいヤツだな、そんなヤツとは関われない。じゃっ」


 こんな女に絡まれたせいでトイレに行き損ねるなんてことは、あっちゃならない。

 呪いを解く足掛かりになりそうではあるんだが、状況が悪化する可能性もあるんだよなぁ。敵か味方かもハッキリしないし。


「一分以内に出てきなさい」


 マジか、こいつ。男子トイレの前で待機する気かよ。周りの目とか気にせんのか?

 中まで入ってこられても嫌なので、事故らない程度に早く済ませた。


「遅いわよ。男なんだから、一瞬で終わるでしょ」


 ホントにうるせぇな。俺は万が一にも、下着を汚したくないんだよ。念入りに振るタイプなんだよ。自宅なら、トイレットペーパーで先端を拭くタイプなんだよ。


「男なんて知らんくせに」

「はぁ? 経験豊富ですけど? 男よりも男を知ってるんですけど?」


 嘘だ、絶対。アニメとかドラマで男を知った気になってるタイプだ、絶対。


「ビッチと関わりたくない」


 こいつが面倒だというのもあるが、あんまり楓達を待たせたくない。

 特に委員長を待たせるのはまずい。迷子放送とかされそうで怖いし。


「なんでよ、なんで私には冷たいのよ。女を侍らせてる好色家のくせに」

「冗談だ。仲良くしようぜ、白ちゃん」


 本性を暴くために冷たくしようという作戦だったのだが、変更を余儀なくされた。

 さすがに泣かせるのはまずい。ただでさえ腫れ物みたいな存在になってるのに、これ以上はまずい。本格的に人権を失う。


「今回だけは許してあげるわ。次、冷たくしたら……アレ……アレをするわよ!」


 どれだろう。

 休み時間なんて十分しかないんだから、早く用件を告げてほしい。


「温かくしてやるから、早く用件を」

「誰のせいよ? アンタが無駄口叩いたり、立ちションに時間をかけるから……」


 だからそういうやりとりが無駄なんだって。もう五分もないぞ? 教室まで戻る時間も考慮したら、四分を切っている。そもそもトイレ前で会話したくないんだが?

 時間はないが、とりあえずこれだけは言っておこう。


「立ちションは語弊があるから、二度と言うな」


 強ち間違いじゃないんだろうけど、絶対誤解される。

 他の人に聞かれたらどうすんだよ。『あっ、この人、オムツ履いてる上に立ションしてるんだ。キモッ』って思われるだろ。


「なんでそんなキツい言い方するの? 私が何かした?」


 面倒すぎる。なんですぐ泣きそうになるんだよ。

 ヤンデレの次はメンヘラかよ。サッパリしてそうな顔してるくせに。


「温かくするって言ったわよね? あれは嘘だったの? 女に嘘つくことに、慣れすぎじゃない?」


 言いがかりにも程があるぞ。

 その場しのぎのゴリ押しとかはするけど、嘘なんかついた覚えがない。

 そもそもの話、あいつらに嘘なんかつけないしな。俺よりも、俺の行動に詳しいだろうから。


「言い方がキツかったな、すまん」


 俺に非はないと胸を張って言えるが、それでも頭を下げる。

 メンヘラ、いや、女性と言い争いしても良いことなんて一つもないからだ。


「本当に悪いと思ってる?」

「ああ、もう酷いこと言わないよ」


 一度たりとて、言ってないんだけどな。

 はぁ……本当にクソな風潮だよな。言葉は受け取り手次第ってのは。

 こんなもん、被害妄想を助長する悪風にすぎないんだよ。結局メンヘラが力を持つだけだわ。最初に言い出したヤツ死ね。


「絶対よ? もう二度と言わないでよ?」


 くどいなぁ、もう。

 残り時間どれくらいだ? もう二分ぐらいじゃないか? 用件について一ミリも情報出てきてないんだけど。


「ああ、約束する」

「信じるわよ」


 信じてくれるのはありがたいが、その小指はなんだ?

 まさかいい歳こいて、指切りげんまんか? 今時小学生でもやらんぞ?


「なんで指を結んでくれないの? やっぱりこれからも酷いことを……」

「……こうか?」


 メンヘラムーブの予兆があったので、渋々指を絡める。

 ああ、恥ずかしい。他の生徒にチラチラ見られてるよ。

 こいつらの目は、微笑ましいものを見る目じゃない。嘲笑とか不審だよ。


「嘘ついたら針千本飲ませた後、痛い目に遭わすからね」


 追い打ちまでかけるのかよ。親の仇でもそこまでできんわ。

 多分この女子に関しては、呪いの影響はないと思う。だからこそ恐ろしい。

 面倒なヤツしかいねえのか? この世には。


「それは怖いな」

「怖い? 私のセリフよ」


 俺のだよ。なんでも自分の物にしたがるのやめろ。大阪のオバちゃんかよ。

 くそっ、全然話が進まねえ。原作に追いついたアニメでも、この引き伸ばしは許されないだろ。


「下心ある男に凄まれるなんて、恐怖でしかないわよ」


 どこをどう見たら下心があるように見えるのだろうか。凄んでもないし。

 そりゃお前、可愛いとは思うけど……この程度で下心判定くらっちゃたまらんぞ?

 下心ってその先じゃん。『可愛いから、あわよくばお近づきになりたい』ってところまで考えて、初めて下心だろ?


「呪いで似非ハーレム築いてるアンタに女心理解しろってのも、無理な話かもしれないけど、よく聞きなさい」

「……はい」


 多分損する。聞いて損したって感想を抱く、絶対。


「初対面で口説いたって、女は落ちないのよ。よっぽどのイケメンであってもね」


 ほら、聞いて損した。聞いても話しても損って、関わるだけ損じゃん。まるで笑うセール……。


「そもそもイケメンじゃないしね、アンタ」


 本当に損だな! 人に『キツいこと言うな』と言っておきながら、自分は不要な一言で人を傷つけるんかい!

 ……初対面で口説いた? 初対面って、前に会った時のことだよな?

 どんな話したっけ? 話らしい話は……。


「あら? もう時間がないわね」


 誰のせいだよ。

 用件を聞けないばかりか、俺になんのメリットもない約束をさせられた挙句、不条理な説教をかまされただけじゃん。なんの時間だったんだよ。

 収穫といえば、こいつの名前ぐらいか。

 ……なんだっけ? 〝ましろ〟だっけ?


「じゃあ次の十分休みもトイレ前集合ね。絶対よ」


 なんだったんだよ、あの女。一方的にアポを取って、走り去っていきやがったぞ。

 呪い無しであの面倒くささ、話の通じなさは恐ろしい。せっかくのキーマンポジション候補がこれとは、俺もつくづく運がない男よ。


「遅いから様子を見に来たらこれかぁ」

「あっ……」

「幼馴染を教室でお留守番させて、あんな可愛い子と逢引きかぁ。やっぱり四年前も逢引きだったんだね。よもや二度も裏切られようとは思わなかったよ。一度裏切った人間は何度でも裏切るって本当だったんだね。次はいつ裏切るの? 次は誰の裏切り者になるの?」


 本当につくづく運がない。

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