第11話 十代初めてのオムツ
もう無茶苦茶だよ。
黒川先輩のせいで、皆不幸になってる。
佐々木は、女子相手にビビってるヘタレとして、全女子から見下されている。とはいえ、元々評価低いだろうし、それはどうでもいい。佐々木だし。
委員長は、教室で乳を出そうとする赤ちゃんプレイ好きの変態扱い。今まで築き上げてきたものが、音もなく崩れ去っている。
熊ノ郷も、教室でお漏らしプレイを敢行しようとした変態扱い。小さいほうならまだしも、大きいほうはまずい。いや、小さいほうもヤバいけど、そっちはまあ……性癖としては健全じゃん? 大きいほうはダメだって、後戻りできない性癖だから。
楓も、男の家に押し掛ける愛が重い女だと恐れられている。
俺は、そんな三人をたぶらかしてるクズ。おはようのチューをして、一緒に手を繋いで登校する幼馴染を持ちながら、ギャルの唇を奪い、委員長と赤ちゃんプレイを楽しむ変態。そして喧嘩を売ってきた不良三人を、再起不能になるまで叩きのめした蛮族。それが俺の総評だ。
いや、ふざけんなよ。明らかに被害者じゃん? 俺が強要しているみたいな言い方やめてほしい。むしろ強要されてる側だから。いや、なんだよ、蛮族って。
「坂本、今日こそアタシと帰るぞ。昨日逃げたんだから、今日は……手、手、手をつないでもらうからな!」
恥じらう基準がわからん。
手を繋ぐ以上のことを平気でしてるじゃん。
「いいえ、小五郎ちゃんは私と帰るの。私がいないと誘拐されるわ。春は変態が跋扈してるのよ」
ああ、跋扈しているな。
少なくとも、目の前に二人程。
「お前らと一緒に帰るのはいいけど、少し待ってくれない? 寄るところあるから」
一人下校はもう諦めた。危険人物達と共に下校する日々を、渋々受け入れるよ。
だが、黒川先輩に会いに行くというデイリーミッションも欠かせない。必ず会いに行くって、透明先輩と約束したし。
「アンタ、昨日もそんなこと言ってたよな? 誰かとヤりにいくとか」
言ってない言ってない。『やることがある』って言ったんだよ。
「小五郎ちゃん? まだエッチは早いでちゅよ? 小五郎ちゃんは、まだ性欲がないんでちゅよ?」
あるよ、バリバリあるよ。
お前らにドン引きしつつも、性的欲求が抑えられないくらいには、溢れてるよ。
「会わなきゃいけない人がいるんだよ。お話するだけだから、着いてくるなよ」
「誰と会うんだよ? どこに行くんだよ?」
「……礼法室だ」
下手に誤魔化すとろくなことにならんし、正直に答える。
どうせいつかバレるしな。
「礼法室だぁ!?」
「礼法室!? ダメよ、小五郎ちゃん! ママは認めませんからね!」
え、めっちゃ食いつくやん。
もしかして知ってんの? 黒川先輩が、なぜか居座っていることを。
ひょっとして俺が知らなかっただけで、有名なん?
「礼法室つったら、なんかよくわからん同好会だかなんだかを、例のマジヤバなパイセンが占領してる場所じゃねえか」
「将棋同好会よ。元々いた部員達は、黒川雅先輩が来てから、全員幽霊部員になったらしいわ」
アイツ、そんなことしてたの!?
将棋同好会が存在したってのも初耳だが、そんなはた迷惑なことしてたのか。人のためになることをしろとは言わんが、迷惑かけんなよ。
「黒川パイセンを除く唯一の女性部員をめぐって、男子たちが派手に喧嘩したって聞いてたけど、ありゃあ呪術にやられたな、絶対」
んー……それだけ聞くと、オタサーの姫にサークルクラッシャーされただけな気がしなくもないが……黒川先輩だからなぁ。
「そういえば、あの情けない子も将棋部だったわね」
「情けない子って?」
「あれよ、蹴らせてくれなかった子」
え? ああ、佐々木ね。
って、おい、学級委員長。クラスメイトの名前ぐらい覚えてやれよ。たしかに情けないヤツだけど、良い子なんだよ。俺もよく知らんけど。
「で? その黒川パイセンと何すんだよ? お話ってなんだよ? もしかして、イジめられてんのか?」
「あんな危険な人と二人っきりなんて、絶対に認めませんからね! ママに心配かけちゃ、メッ! ですよ」
あっ、心配してくれてる。
優しいんだよなぁ。こんなにトチ狂っても、根っこは優しいんだよ。
「フラフラできねぇように、四六時中アタシと手錠で繋がるしかねえな」
「大人用のベビーカーを用意しなきゃ……」
手段が間違ってるだけで、根は良い子なんだよ。
俺に近寄らなきゃ、もっと良い子だよ。だから来るな。俺に近づくな。
いや、大人用のベビーカーってなんだよ。それはもう車椅子なんだよ。
「用が済んだら、絶対にお前らと帰る。約束するよ」
「昨日全力でアタシをまいたろ? 信用できねぇな」
「カバンをお前らに預ける。これで裏口から逃げたりできねぇだろ? な?」
「……そこまで言うなら、アタシは認めてやるよ」
よかった、熊ノ郷はまだ話が通じるようだ。
そうだよな、なんやかんや言っても、まだまともなんだよ。教室を排泄物まみれにしようとしてたけど。
「私は認めないわ。あんな魔窟に我が子を行かせるなんて……考えただけで育児ノイローゼになるわ」
問題は委員長なんだよ。
過保護すぎて話が通じないあたりが、妙にリアルだわ。
「俺は二回も会ってるけど、こうして五体満足だぞ? 心配しすぎだって」
「三度目の正直って言葉もあるわ。二十年間無事故で運転してた優良ドライバーが、ある日突然交通事故に遭うことだってあるわ。今日笑顔の子が明日も絶対に笑顔という保証はないわ。どんなに注意深く生きても、不慮の事故は防ぎきれないの。それを貴方は、小五郎ちゃんは……みずからスズメバチの巣を突こうというのだから……ママに心配かけて、そんなに楽しいの? ええ、わかってるわ。子供いつか反抗期を迎えるって……そんなことぐらいわかってたわ。成長の証だってのはわかってる。喜ばしいことだってのも、わかってるの。でもね、嬉しいのと同時に、寂しさもあるの。お腹を痛めて産んだ我が子が、私の手を離れようとするのが……ただただ辛い……」
泣いちゃったよ……。
あのな、別にお前はお腹を痛めてないんだよ。俺が胃を痛めてるんだよ。
「男の子はいつか旅に出るって……線路を歩いていくって……わかってたけど、覚悟してたけど……いざその時が来ると、胸がはちきれんばかりのショックが押し寄せてきたわ。貴方のために夜な夜な編んでいるお手製の布オムツが、用をなさなくなるなんて……労力を惜しんでいるわけじゃないわ、私の手で貴方にオムツを着けることができなくなる。ただただ、その事実が辛いの……なんでよ! 何がいけなかったの! そうよ、この胸が悪いのよ。母乳の一滴も出ない無駄な乳が悪いのよ。私の母乳を飲まずに育ったから、平気な面で私を捨てることができるのよ。そうよね、母乳を出せないママなんて、存在する価値がないわよね。そう、まるでネクストコナ……」
まずい、非常にまずい!
このままだと、乳を切り落としかねん!
「ま、ママ!」
「な、何よ今更!」
「ま、ママのオムツ楽しみだよ!」
「小五郎ちゃん!」
俺もうダメかもしんねぇ。
十数年ぶりにオムツ履くことになるかもしんねぇ。
でもいいんだ、俺がオムツを履くことで委員長が自傷行為を踏みとどまるっていうなら、何枚でも履いてやるよ。望むところだよ。
「明日までに完成させるわ、絶対に」
いいよ、夜なべなんかしなくても。
寝ろよ、夜は寝る時間なんだよ。オムツを作る時間じゃないんだ。
「……楽しみにしてるよ」
明日なんかこなければいいのに。
「学校で履かせてあげるから、早く来てね」
嘘だろ? 冗談だって言ってくれよ。
俺用の布オムツを作成中って時点で信じがたいことだが、委員長みずから履かせてもらうってのはシャレにならん。
人の性癖にケチをつけたくないが、自分が当事者になるというなら話は別だ。
「いや、その……自分で履くから」
あのな委員長、これでも譲歩してるんだぞ。
普通の同級生は履いてくれないんだよ。大人しく履いてやるって言ってんだから、妥協してくれよ。
「そう……小五郎ちゃんは成長したのね……そうよね、私の世話になんかなりたくないわよね。母乳をくれない女をママと認めたくないわよね。わかりました! 誠意、見せさせていただきます! これが私のケジメよ! とくと……」
いや、母乳でも粉ミルクでも、親は親だし、同級生は同級生なんだよ。お前がこの先何をしようと、ママと認める気はないんだよ。
だから、乳を落とそうとするなって! アマゾネスかよ!
仕方ない、元はと言えば、俺の巻き添えだ。
俺が体を張るしかあるまい……。
「ママ! ボク一人で履けないから! 履かせて! お願い!」
「小五郎ちゃん……」
教室で頬ずりされているというのに、何も感じない。何も考えたくない。
慣れたとかそういうのもあるけど、人としての尊厳を売ってしまったという現実が俺から気力を奪ったのだ。
うわ、熊ノ郷でさえ引いてるよ。
嫉妬でお経唱えられるのも嫌だけど、狂人にドン引きされるのは、それはそれで辛いものがあるな。
ちなみに黒川先輩は礼法室にいなかった。というか、元々今日は学校に来ていないらしい。要するに俺は、無駄に体を張っただけらしい。しかし、吐いたツバを飲み込むことは許されない。
俺にできることといえば、オムツを履かせてもらう時に勃たないよう、イメージトレーニングをすること。ただそれだけだ。
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