第6話 お泊り会

 どこぞの大学の研究かな?

 さして興味はないので詳細までは存じ上げないが、教育においてご褒美を設けるというのは、あまりよろしくないという話を聞いたことがある。

 実際のところどうなんだろうね? 俺、すげぇやる気に満ち溢れてるんだけど。


「よーしよしよし! 偉いでちゅねぇ!」


 基礎問題を解いただけで、惜しみない頬ずりと愛撫を与えてくれる委員長。

 ああ……勉強が楽しい……もうセンコーのつまらん授業なんて受けられん……。

 ハッ!?

 そうか、そういうことか。

 ご褒美という甘美な果実を知ってしまうと、報酬が伴わない努力をしなくなる。これが、どこぞの研究がはじき出した真理というヤツか。


「さぁ、小五郎ちゃん。この問題を解けたら、ご褒美のおっぱ……」

「委員長! それはまずい! 脱ぐ……」

「ママ!」

「……ママ、それはやめない? 学校だよ?」


 俺、このままじゃ一線を越えてしまうかもしれない。

 同級生の胸をしゃぶるとか、それもう責任問題だろ?

 委員長の場合、本当に母乳が出そうで怖いんだよ。出るはずないんだけど、出そうなんだよ。生命の神秘を目の当たりにしそうで怖いんだよ。


「小五郎ちゃん、ごめんね……」


 ああもう、このママ、すぐ泣くんだから。

 俺のハンカチ、もう用をなさないよ。これ以上水分を吸収できないよ。


「ママのおっぱいが小さいから……」

「…………」


 どう言葉をかければいいんだろ。とりあえず帰りたい。

 楓が部活終わるまでに帰らんと……。


「ごめんね……頑張って大きくするから……」


 頼むから、そういう台詞を吐きながら泣くのはやめてほしい。

 ここだけ見たら、スタイルにクレームを入れて泣かしてるクズ男になるから。


「な、泣かないで」

「ごめんね……ペンチで引っ張って大きくするから……」


 考えうる限り最悪のメソッドに辿り着きやがった。

 それもう拷問なんよ。中世の悪趣味な拷問なのよ。

 とにかく止めないと、この人は本気でやるぞ。セルフ拷問を本気でやるぞ。

 このままじゃ委員長の乳首が、カルパスみたいに伸びてしまう。俺が守らねば。


「委員……ママ!」

「な、なあに? 小五郎ちゃん」

「今のママのおっぱいが好きだ!」


 静まり返った教室に、俺の恥ずかしい台詞が響く。クソ運動部共が、もっと大きな声で部活に励めよ。校内に響くくらい大きな声出せよ。

 羞恥心で死にたくなってきた。


「小五郎ちゃん!」

「ぐ、ぐるじい……」


 抱擁じゃなくて、もはやベアハッグだよ。感動を膂力に変換しないでくれ。

 ちょ、頬ずりが凄い。火が起こる勢いだよ。


「ま、ママ、とりあえずお家帰ろ? ね?」

「じゃあ、おてて繋ぎましょうか」

「う、うん!」


 ある意味、一番恐ろしい女かもしれない。

 というか、これってモテに入るのか? 恋人を超越した関係だと思うんだが。




 長かった……今日の学校生活は、やけに長かった。

 帰り道、委員長と別れる時がこれまた大変だったよ。

 家まで着いてくる勢いだったもんな。

 ちなみにだけど、ズボンがボロボロになった件は許してもらえた。

 イジメを疑われて面倒だったけど、小遣い減額とか、そういう措置を取られなくて助かったよ。


「束の間の平穏を楽しむか……」


 宿題はママ……委員長と一緒に済ませたし、ゲームでもするか。

 疲れたから眠りたいけど、夜眠れなくなるのは困る。

 起床に手こずると、何をされるかわかったもんじゃないからな。

 さてと、何をするか……よし、あえて恋愛シミュレーションをやろう。

 ギャルゲーは現実離れしてるっていうけど、現実がこれだからな。ギャルゲーこそ逆に現実だろ。現実逃避ならぬ、現実に逃避をしよう。


「あれ? 俺今クリックしたか?」


 誤クリック、いわゆるチャタリングってヤツかな?

 よりによって好感度が下がる選択肢を選んじまったよ、クソ。


「このマウス、買ったばかりなんだけどなぁ」


 まあいいや。あんまり頻発するようなら、チャタリング防止ツールでも探すか。それぐらいなら、フリーソフトの一つや二つあるだろ。


「あれ、また……」


 ……おかしいな。

 選択肢を選ぶ時に限って、誤クリックが起きる。しかもバッド選択肢。

 …………。


「透明先輩? 貴女ですか?」


 頭を撫でて返事する先輩。

 これ、他の人から見たらどう映るんだろ? 屋内なのに、俺の髪が揺れ動いているように見えるのかな。


「先輩、さすがに家の中にまで……うぶっ」


 ほ、頬ずりしてるのか? 見えんからイマイチわからんけど。


「……委員長とのやりとり見てました?」


 反応なし。まあ、何かされたところで、イエスかノーかわからんけどさ。


「嫉妬してます?」


 俺の頭を掴んで、縦に振る。なるほど、そういう意思表示の仕方があるのか。

 この人も不憫だよな、認識されない呪いをかけられたかと思えば、今度は俺にかけられた呪いに反応して、俺のことを好きになっちゃうんだもん。


「さすがに家の中まで来るのはやめてもらえますか? やりすぎですよ」


 俺の頭を横に振る先輩。

 なんだろ、俺どうすればいいんだろ。他のヤツらを見るに、説得できないよな。

 この人に至っては、向こうの声が聞こえないわけだし。


「俺にもプライベートがあるんですよ。明日も放課後に会う機会を設けますから、今日のところはお引き取りを」


 反応なし。

 悩んでいるのか、怒っているのか。

 落ち着け、下手なことを言うと危険だ。透明人間に暴れられたら、どうしようもないぞ。何かが起きた時、俺のせいになるってのも辛い。


「貴女には感謝してるんです。明日も礼法室に行きます。約束しますから」


 一分ほど遅れて、俺の頭が縦に動く。ちょっとビックリした。

 よかった、納得してくれた。

 ……本当に帰ったんだよな?

 確認がてら、しばらくギャルゲーを遊んでみたが、特に干渉はなし。

 ちょっとエッチなシーンがきたけど、干渉なし。

 ……帰ってくれたのかな? それとも、腕組みしながら監視してるのかな。

 信じるしかないよな、うん。

 ん? なんか階段を上がってくる音が……仕方ない、ギャルゲー閉じるか。


「小五郎! ケガしたって本当!?」


 嘘だろ……放課後も家に来んのかよ……。


「幼馴染でもノックはしような? 楓」

「どこ? どこをケガしたの?」


 聞いちゃくれねぇ。知ってたけど。


「手の甲と足を切っただけだ。消毒したから大丈夫」


 傷よりも深いトラウマを負ったけどな。

 赤ちゃんプレイは、俺には早すぎた。十五年は早かった。


「痛そうだねぇ」

「んな大げさな」

「大げさじゃないよぉ。服がボロボロになったとか、喧嘩したとか、いきなり聞かされた私の身になってよぉ」


 ……呪いの影響だろうか、ここまで心配してくれるのは。

 もしもの話だが、呪いがかけられてなかった場合はどうなっていたんだろうか。

 四年間疎遠だった幼馴染が、心配して声をかけてくれた。そこから昔みたいに……という展開になったのだろうか?

 いや、特に触れることなく、疎遠状態が続いたんじゃないだろうか。


「心配かけてごめんな。そしてありがとう」


 素直に嬉しい。

 こればっかは呪いに感謝だな。


「……部活辞めるよ、私」


 俺の傷をマジマジとしながら、唐突な退部宣言をする楓。


「え? 何かあったのか?」


 部活での楓を知らないが、上手くやってるイメージがある。

 部内イジメを受けるようなタイプでもないし、投げ出すようなヤツじゃない。

 一体何が……。


「何かあったのは小五郎でしょ?」

「ほえ?」

「私が目を離したから、事件に巻き込まれたんでしょ? 喧嘩っていうけど、イジメだったんでしょ? 小五郎、昔から頼りないもんね。許せないよ、小五郎にこんなケガを負わせたことを絶対に後悔させてやる。ところで、女の子の匂いがするけど、どういうことかな? っていうか、誰に手当してもらったの? 小五郎の性格的に、わざわざ保健室なんて寄らないよね? うん、実は知ってるんだ。菫委員長でしょ? 匂いでわかるよ。で、どうして匂いがつくの? なんの治療をしたの? うん、わかってるよ。保健室で男女が二人っきり、やることはもう一つしかないよね。私が部活で球を追いかけている間に、委員長は小五郎のた……」

「楓! ステイ! ステイ!」


 帰りたい。我が家なのに帰りたい。

 なんだよ匂いって。たしか子供の頃、『将来の夢はお嫁さんです』みたいなことを言ってたけど、お前の職業適正は猟犬一択だよ。その嗅覚一つで食っていけるよ。嗅覚なのに食えるとは、これいかに。


「消毒してもらったの! ほら、消毒液の臭いすんだろ?」

「わかんないよ、そんな臭い」


 なんでだよ! 委員長の匂いより、よっぽどわかりやすいだろ!


「本当に消毒液使ったの? 舐めてもらったんでしょ?」

「赤チンだよ」

「赤チン!? 赤チンにされたの!?」


 なんだよ、されたって。

 委員長も赤チンがどうのこうの言ってたけど、何を言ってるのかわからん。俺が知らないだけで、存在する隠語なのか?


「赤チンを塗ってもらったんだよ、傷口に」

「そっかぁ……そうだよね、菫ちゃんは口紅してないもんね」


 ……?


「誤解が解けたようで何よりだ」

「でもね、話はそれだけじゃないんだぁ。足も手当してもらったんだよね? 菫ちゃんの前で脱いだの? それ、実質エッチだよね? どうして菫ちゃんなの? 私を呼べば、部活も顧問も放り投げて治療しに行ったよ? 小五郎丸という船をメンテナンスするのは、私の天命なんだよ? よし、もう一度同じ場所を切りつけるよ。それで私が治療すれば、歴史は修正されるね。お義母さんに果物ナイフ借りてくるから、そこで大人しく……」

「か、楓!」

「ん? なぁに?」

「きょ、今日は久々に泊まっていかないか?」

「はわわわわ……小五郎にお誘いされちゃった……うん! 準備してくるね!」


 よし、一時しのぎできたな。

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